ハウンドの長、ダクエル③
「『ハウンド』の表向きの役割は、この国に蔓延る魔獣たちの抑制。大都市に魔獣を寄せないための防波堤を果たしている」
気分転換にと外に出たダクエルは、集落を見回してそう言った。
今でも集落では、崩れた家や防壁を修繕する作業の音が鳴り響いており、長閑だ。それは、どこかのんびりとしているようにも感じてしまう。
こんなゆっくりとした空気で本当に魔獣たちと戦えるのかは疑問だったが、シリウスのその思考を見透かしたように彼女は苦笑いを浮かべた。
「だが最近魔獣たちの勢いが凄まじくてな。先ほども魔獣の襲撃があったばかりで、こうして修復作業に当たってもらっている。ミスティージャが魔獣を数体引きつけてくれたおかげで難を逃れたが、もう二度とあんなことはするなよ?」
「はいはい。分かってるって」
ミスティージャに向けて一睨みするダクエル。それに対して彼は言葉だけで反省を述べる。絶対彼は同じ状況だったならば、同じことをするのだろう。
会って一日も経っていないシリウスでも、手に取るように分かってしまった。
「ダクエルさんとミスティージャってどういう関係なの?」
ふと、シャーミアがそんな疑問を唱えた。
ダクエルはともかく、ミスティージャは元王子という身分だ。元々気軽に話し合えるような間柄だったのだろうか。
彼女のその疑問には、ミスティージャが応じる。
「助けてもらったんだ。俺は父様が犯した罪で、牢獄に囚われてた。五年ぐらいかな。多分あのままだったら一生あそこに閉じ込められっぱなしだっただろうからな」
「当然だ。ミスティ王子が罪を犯すわけがないからな!」
「なんでダクエルさんが誇らしげなんだよ」
何故か自らのことのように胸を張るダクエル。ミスティージャはそれを笑って小突く。
過酷な道を歩んできたはずの彼だが、しかしその経緯を悟らせることはしない。
あえて隠しているとも思ったが、きっと彼は今本心からこの状況を笑っているのだろう。
あるいは、もう覚悟が決まっているのかもしれなかった。
「しかしそうなると、現王である勇者イデルガは今頃血眼になってミスティージャさんを探しているんでしょうね」
「……イデルガさんは俺のことなんて歯牙にもかけてねえよ。実際、脱獄してきたのはここ一週間ぐらいのことだけど、騎士団が俺を探してるって話は聞かねえし」
「必要もない人間を、長い間鎖に繋いでおくでしょうか?」
「その労力が惜しいほど、俺なんてどうだって良かったのかもな」
ルアトの疑問にも、彼は諦めたような態度で返す。
王族の人間を捕らえる理由としては、見せしめか利用価値があるか。他にも色々と思惑はあるかもしれないが、考えられるのはその二つだろうか。
いずれにしても取り返さない理由はないはずだ。
それをする素振りも見せないということは――
「それすらも、見越しておるということか」
「どうかしたの? シリウス」
「いや、大した問題ではない」
一人ごちた言葉はシャーミアの耳に届いたものの、即座に話す意志はない旨を伝える。
不用意な発言は場の混乱をもたらす。
それに、その言葉は噓ではなかった。ここで気がついた問題は、シリウスにとって何の障害にもならない。
「……でも結局は、私たちはイデルガを倒すためにヤツの元へと赴かないといけない。イデルガを倒せば、全部終わるだろうからな」
「ふむ。ダクエルよ。イデルガを倒せば、何故この国に安寧は訪れるのだ?」
単純な疑問。勇者一人倒したところで、魔獣たちがいなくなるわけがない。普通の認識ならばそうだろう。
シリウスのその疑問には、確認の意味合いもあった。
「それは、この国に流れる噂話のせいだな」
「噂話?」
「ああ。サンロキアの中心にある大都市ディアフルン、その地下にて魔獣が生まれているという話が、まことしやかに囁かれていてな。それをイデルガが指揮しているというのが、私たちの見解だ」
イデルガと魔獣たちに繋がりがあると、ダクエルたちは踏んでいるのだろう。
シリウスは納得し、理解を示す。
「だからダクエルは、勇者を倒そうと思ったのだな」
「そうだな。この国を救うため、それもある。だがそれも実は大義名分でな。私には一人、弟がいるんだ。大事な家族だ。ずっと一緒に生きてきた。――……だがある日、私の前から姿を消した」
彼女は、その声音を数トーン落とした。落とさざるを得なかったのだ。
悲嘆や悔悟がその表情の端々に現れるが、それをダクエルは決して悟られないよう、いつも通りの様子を見せる。
だが、それは容易に隠せるようなものではない。
彼女もそれを理解しているのだろう。無理に取り繕うとはせずに、言葉を続ける。
「攫われたんだ。この国の連中にな。残念ながら、その場に居合わせてしまった。……弟は、私を見つけても助けを呼ばなかった。私まで、巻き込みたくはなかったんだろう」
「……賢い弟君だな」
「ああ。代われるなら私が代わりたかった。だが、もうそういった感情の変遷は過ぎた。……今は、ただ弟を取り戻すことだけを、考えている」
そう語る彼女の瞳は強く明るく、そしてほんの少し、滲んでいた。
完全に、感情と目的とを切り離すことはできない。若い人間ならば尚更そうだろう。家族を喪ったシリウスには痛いほど分かってしまう。
「……だが、まだ希望はある」
「そうだな。だからこそ、シリウスさんたちが来てくれて、助かった。これで戦局は大幅に動くだろう」
「期待されても困るのだがな。まあ、やれるだけのことはさせてもらう」
実際、この国の実情について、シリウスは何も知らない。間違った選択を下すこともあるかもしれない。
それでも打倒勇者という目的は一致している。
見知らぬ地で志を共にする仲間がいる。それだけで、随分と動きやすいはずだ。
「さて、随分と遠回りをしてしまったが、余に相談したいことがあったのだったな?」
少し前、ダクエルが魔王の末子であるシリウスにそんな話を持ち掛けていた。
その時はまだダクエル自身に話す勇気がなかったようだったが、今の彼女はどうやら必要以上に気負っている様子もなさそうだ。
シリウスの言葉に、彼女は頷いて返した。
「ああ、実は――」
「ダクエルさん! 大変です! 西方の森で魔獣の群れが……!」
言いかけた彼女の言葉を、慌てて駆け寄ってきた集落の男が遮った。
「なんだと! 進軍方向は!?」
「それが、交戦している様子で……!」
「分かった! 私たちもすぐ向かう! お前たちはこの集落の防衛に当たれ!」
そう指示を飛ばした彼女は、すぐにシリウスたちの方へと向き直る。
「シリウスさんたちには申し訳ないが、少し力を貸してはくれないか」
「問題ない。余も暴れる魔獣たちを放っておきたくはないからな」
シリウスは言いながらシャーミアとルアトに目配せをしていく。
両者ともに頷き、いつでも戦地へと赴ける準備はできているようだった。
「そう言ってくれると助かる。それに恐らくだが、先ほどシリウスさんが尋ねていた質問にも答えられるだろう」
「余と何か関係があるのか?」
前回も彼女はそんな風なことを言っていた。
だから改めて尋ね直す。
マントを羽織り、剣を携える。戦闘準備をこなしながら、ダクエルはその瞳をシリウスへと向けて語る。
「魔王の子、第九子。その名をグラフィアケ―ンと、自身でそう語る魔獣が、ここ近辺を荒らし回っているんだ。その真偽を、貴女に頼みたい」




