ハウンドの長、ダクエル
ミスティージャが案内したその先にあったのは、小さな集落だった。
街道から逸れた森の中にあるそこには、家らしいものが数件ほどしかなく、人も多いとは言えない。
だが活気はあるようだった。壊れた何かを修理する男たちがいたり、これから家を建築しようとする人たちも疎らに映る。
今まさに工事中の村のような、そんな印象を抱いた。
「おお! ミスティージャさん! 無事帰って来てくれたか!」
「ああ。心配かけたな」
「いや、魔獣たちを引き付けてくれて助かったよ。それで、その後ろの方々は?」
集落に入るや否や、話しかけてきた男は、ミスティージャの背後を歩く一行へと視線を移す。
それに対して、彼は楽しそうに笑って返した。
「この国の希望となる、かもしんねえ人たちだよ」
「なんだそりゃ」
疑問に思いながらもガハハと豪快に笑う彼との会話もそこそこに、ミスティージャはその集落の中心にある建物へと向かう。
特段、語ることのない木造の一軒家。
彼はノックをし、入るぞと一言告げてドアノブを回した――
「心配したぞ! この馬鹿王子!」
「おぶっ――」
ミスティージャの体は、勢いよく開いた扉から出てきた人影と共に、吹き飛ばされていった。
突如飛び込んできたその影は、水色の長髪を両サイドでまとめており、彼に馬乗りになっている。
「ここを守るために魔獣たちを引きつけるなんて、もう二度とあんな無茶なことはするな! 分かったな!」
「分かったから抱き着くの止めろ! 他のヤツらも見てるだろ!」
悲鳴のようなミスティージャの苦情に我に返ったのか、その女性はすぐに立ち上がりシリウスたちの方へと向いた。
「す、すまない! 客人が来ているとは気が付かず……」
「気にするな。余はシリウスという。こっちの銀髪の少女はシャーミア。黒髪の男がルアトだ」
「私はダクエル。この集落『ハウンド』のリーダーを務めている」
水色の髪を靡かせ、グレーの瞳を煌めかせながら、彼女はシリウスと握手を交わす。小柄な少女の見た目をしているが、リーダーを任されるほどとなれば、もしかすると年齢はそれなりに重ねているのかもしれない。
シリウスも見た目と実年齢が合わないとシャーミアによく言われているので、その辺りの詮索にはさして興味がなかった――、わけだが、シャーミアは少し気に掛かったらしく、紹介が終わるタイミングで口を開く。
「ねえ、ダクエルさんって幾つなの? 結構、若いように見えるんだけど」
「ああ、私は今年で十八となるよ」
「え! あたしより年上、なんですか!?」
「わざわざ敬語じゃなくても構わない。それに、見た目についてはよく間違われる」
気分を害した様子も見せず、軽快に笑ってみせるダクエルに、ミスティージャが声を発する。
「ダクエルさん。この人たちのことなんだが……」
「分かってる。王子が連れてきたんだ。きっと、何かあるんだろ?」
彼の言葉に、彼女は改めてシリウスたちを眺める。
見定めているような、こちらの意図を図っているような。そんな視線が三人に送られていたが、すぐにそれは終わる。
ニコリと笑うダクエルは、小さく頷いてみせた。
「立ち話しもなんだ。良ければ家の中で、貴女たちのことを聞かせてほしい」
そう言って先導し、先ほど彼女自身が飛び出てきた家へと入り込んでいく。
シリウスたちもそれに続く。扉を開けて中へ入ると、簡素な造りの内装が視界に飛び込んできた。
寝具に机、それに椅子が数個。照明は天井から吊るされた灯りのみ。
それ以外のものはなく、それら全て随分と年季が入っているようだった。あるいは中古の家具のように、所々が痛んでいるようにも見える。
「少々ボロいが、遠慮なく座ってくれ!」
「わざわざ気を遣わせてすまぬ。それで、余たちがここへ来た目的だが――」
「あ、いやその前に、まずは言っておきたいことがある」
座りながら本題に入ろうとしたシリウスに、ダクエルが立ち上がりその場の全員の視線を集めた。
そして、そのまま丁寧に頭を下げて、言葉を繋げる。
「ミスティ王子を助けてくれた、と。そうお見受けする。彼を助けてくれて、ありがとう。感謝しても、しきれない」
彼女の感謝は空間に染み込んでいく。心の底から生み出されたそれは、確かに彼女自身の、彼を想ってのものだった。
「礼には及ばぬ。ミスティージャを助けたのは成り行きだ。それに、余にとっても他人事ではない。あの魔獣たちについて、幾つか不審な点が見られたからな」
「不審な点って、どういうことよ?」
そう首を傾げたのはシャーミアだった。彼女はあまり魔獣についての見識がない。その反応も何もおかしくはない。
だが、ここに住んでいるダクエル、及びミスティージャの反応は少し異なる。
口を閉ざし、事の成り行きを見守っている、そんな様子が窺えた。
シリウスはそれを横目で見ながら、シャーミアの疑問に頷いて返す。
「まずはあの魔獣、種族をアスプロスリュコスと言うのだが、彼奴らは基本的に集団で狩りを行う。その習性は先ほどシャーミアも見た通りだな。異なる点は、狩る対象だ」
「……? あんな狼みたいな見た目のヤツなんだから、人だって襲うんじゃないの?」
「魔獣が人間を襲うことなど滅多にないと、お主には何度も言っておるが……」
まだまだ魔獣と人間との溝は深いと、溜息を吐くが今は現状を嘆いている場合ではない。
シリウスは調子を変えずに、今度はダクエルとミスティージャへと視線を投げる。
「彼奴らの主食はイノシシやシカなど、草食動物だ。故に気に掛かる。人間を襲う理由がないからな。人間など、肉は少なく骨ばかり。にもかかわらず襲えば種族ごと危険に晒される。人間を食らえば収支が合わないと、魔獣たちも理解しておる。だからこそ、魔獣が人間を襲う理由は主に二つ。事故か、私怨か。……お主たち、何かしたか?」
「……何もしていない。この国の魔獣たちは皆、シリウスさんが言った通りの習性は残念ながら持っていない。人は襲うし、知能は薄い。まるで、本当の獣かのような――、魔獣とはそんな存在だよ」
ダクエルが首を振り否定する。
確かに、ミネラヴァの話と合致する。
この新生国家サンロキアでは魔獣の被害が絶えないと、彼女はそう言っていた。半信半疑ではあったものの、実際に人を襲う魔獣を見かけ、この国に住む者からの経験談を聞かされては否定することもできない。
では何故、シリウスの知る魔獣像とこの国との実態とで相違が生まれるのか。
確信はないものの、一つの事実をシリウスは見つけていた。
「この国の魔獣たちについて、幾らか知見を得た」
そう言って手を前方へ翳すと、淡い光と共に、先ほどミスティージャを襲っていた魔獣が現れた。
「ま、魔獣!?」
「案ずるな。気絶しておる」
微かに呼吸を繰り返す獣は、確かに暴れる素振りも見せずただ静かに目を閉じて横たわっている。
「先刻、余たちが撃退した魔獣を解析した。その結果、此奴らの肉体は普通の魔獣たちとは異なっておった」
「ちょっと待って。そもそも普通の魔獣たちのことを知らないんだけど」
「余たちと何も変わらぬ。人間のように肉があり、血が流れておる。世を生きる命と万別の違いなどない。……だが、この魔獣はそれすら異なる」
シリウスの瞳が、僅かに閉じる。悲哀に満ちているような、理解に苦しんでいるような。そんな揺らぎをその目に一瞬映すものの、それに気が付く者はいない。
「此奴の体に血肉はない。あるのはただ、土くれや石片でできたハリボテの見目形、それだけだ」




