新生国家サンロキア②
山や谷もなく、ただ起伏の乏しい森を歩くこと数日。
ようやく見えてきたのは無味乾燥な変哲もない道路だった。
しかしこれまでの獣住み着く森林とは違い、明らかに人が往来している痕跡は感じられる。久々に見るその人の気配に、シャーミアは膝に手をついて息を整える。
「やっと着いたのね……」
「まあ、まだ国の端の方だろうがな」
新生国家サンロキアには到着したわけだが、まだまだ都市部には程遠い。人の住む村はあるだろうが、それもここからどれほど歩くだろう。
地図を取り出して行先を確認していたシリウスの耳に、シャーミアとルアトの会話が飛び込んでくる。
「情けないですね。やはり君にシリウス様は相応しくありません」
「別に疲れたなんて言ってないでしょ? 見てなさい。これから凄い勢いで次の村まで行ってやるから」
「なら勝負しませんか? どちらが先に村へ着けるか」
「望むところよ」
知らない間に勝手に勝負が始まっていた。
元気なのは良いことなのだが、事あるごとに言い争いをするのを聞く方の身にもなってほしい。
どうにか仲良くしてほしいとシリウスは願っているが、わざわざそれを口に出すことはしない。
旅はまだ始まったばかりだ。それに、そういった喧嘩も旅の思い出となる、かもしれない。
確証はなかったが、シリウスはそう信じていた。
「精が出るな! どちらも頑張るがよい!」
ヌイに関しては少し説教した方がいいかもしれない。最近容易にその姿を見せるので、いつか混乱の元になるではないかと、そんな危惧もしなければならない。
「それではシリウス様。どうか決戦の火蓋を切ってください」
「ああ、それは構わぬが……」
今まさにシャーミアとルアトの駆けっこが始まろうとする中。
シリウスはその視線を道路の遥か先へと向ける。
「――追われておるな」
「え?」
シャーミアがその視線の先を見るのと、遠くから一つの人影が現れるのはほぼ同時だった。
ぼろいローブを目深に被っている人物が、一目散にこちらへと駆けてくる。
そしてそんな人影の後方。
四つ足を駆る獣が、逃げる獲物を追い掛けていた。
このままでは追いつかれてしまうだろう。
魔獣が何故人を襲うのか、それは後回しにしてまずは危機からの回避を優先させよう。
「シャーミア、ルアト」
迫り来る人物と魔獣を見据えながら、少女は軽い調子で傍らの二人に話しかける。
「――あの魔獣を止めよ。ただし、殺すな」
まるで鼻歌でも交えながら紡がれたその言葉に、しかし二人は嬉しそうに返す。
「任せなさい」
「シリウス様のご命令なら」
言うが早いか、二人はすぐさま駆け出した。
「――た、たすけ――……」
そんな男性の言葉が、風に乗って届いた気がした。
ローブ姿の人物にまさにその魔獣の爪が突き立てられようとした瞬間――
シャーミアの蹴りが一匹の魔獣の顔面へと命中する。
「グ――、ガ――!?」
そのまま声も出せずに蹴り飛ばされた魔獣に、他の獣は瞬時に臨戦態勢を取る。
追っていた人物からシャーミアへと、その瞳は狙いを定めるが――
「どこを見てるんですか?」
いつの間にか回り込んでいたルアトが、最後尾の一匹へと正拳を見舞った。
横合いから殴られた魔獣は叫ぶ暇もなく、立ち並ぶ木に勢いよく叩きつけられる。
数的有利があったはずの魔獣側が一転、瞬く間にその状況を覆された。
残る魔獣は二匹。彼らはその足を後退させ、やがて背を向けて逃げ出す。
だが――
「余は、聞き分けの良い獣を好むのだがな」
その行く手を、紅蓮の髪の少女が阻む。
魔獣たちは逃げることを選択しない。
所詮力も持たないか弱い少女。そう判断したのかもしれない。それは合っているようで、間違っていた。
一匹の魔獣が駆けて、シリウスに飛び掛かる。
対して彼女は、髪の隙間から蒼い瞳を瞬かせて、ただ告げる。
「――待て」
その一言で、飛び掛かっていた魔獣の動きが止まり、そのままシリウスの後方へと転がっていってしまった。
残されたもう一匹の魔獣は、それまでの好戦的な態度はどこへやら。できるだけその身を小さく見せようと縮こまっているようだ。
その様子に満足するシリウス。最早魔獣たちに戦意はないことは明白だった。
「さて――」
呆けたまま、これまでの光景を眺めていた人物に視線を送る。
叫び声然り、ローブを纏うその体格然り。その人物が男性であることが随所から見て取れる。
膝を折り地につく男性へ向けて、シリウスは安心させるように声を掛けた。
「お主を襲う魔獣たちは制圧した。安心するがよい」
その声を聴いて我に返った男は、確かに脅威が去ったことを確認し立ち上がる。
「……お、お前ら、何者だ?」
その顔に浮かぶ色は怯えと警戒。
突如現れた謎の一行が魔獣を蹂躙すれば、そんな表情を浮かべるのも納得できる。
当然の問い掛けにシリウスは平然と応じた。
「余たちはただの旅人だ。そう警戒するな」
「ただの旅人には、見えねえけど……」
何か言いたいことがありそうな男だったが、しかし再び見せたその表情は、どこか吹っ切れたように見える。
「……でもま、旅人なら俺の素性バラシてもいいか」
彼は言いながらその目深に被ったフードを取り、素顔を晒す。
癖のある短い金髪に、宝石のような碧眼。
やつれながらも、どこか品のある顔立ちには少年のようなあどけなさはなく、どこか精悍な顔つきをしている。
青年はその背筋をピンと伸ばし、続けて堂々とその名を口にした。
「俺はミスティージャ=スキラス。一応元この国の、王の息子だ。……助けてくれて、ありがとな。礼の一つでもしたいところなんだけど、今生憎持ち合わせがなくてさ」
彼はそう、取っ付きやすい笑顔を見せながら、疲れたように言った。




