ハム=バージャー
ハム=バージャーという男は、貴族の生まれだった。
バージャー家の一人息子として父から教育を受けて、皇国の本都市から騎士を呼んで剣の鍛錬もしてきた。
やることは全て肯定されてきた。それに我が儘も受け入れてくれる環境で育ってきた。
何をしても許されるし、自分が世界を変えられる。
自分は特別なのだと、そう自負していた。
「魔獣は全て駆逐する。そうすることで世界は平和になるのだ。それがこの皇国の役目だと思え。そして我々は、その皇国の手となり足となる。任務の失敗は、皇国の敗北だ」
皇国の騎士団へと入団して、そういった信条が騎士団長から掲げられた。今でもその言葉を覚えているし、皇国の役に立ちたいとは思っている。
しかし、現実はそう上手くいかない。
騎士団へと入団して五年は経つ。その間、彼は何も実績らしい実績を上げられていなかった。
未だ騎士団へと入る前の過去の功績をひけらかすことしかできない。親の功績でも、まるで自分のことのように語る。
こんな自分でいいのだろうか。もっと役に立たなくてはならない。そうは思うものの、結果はどうにも伴わない。
「バージャーさん凄いですね! ぜひバージャーさんの元で鍛えてほしいです!」
「自分もバージャーさんのように立派な人になりたいです!」
過去の自慢話を聞いて、そう慕ってくれるようになった二人の後輩。大した実績もない自分に今でもついてきてくれている。
その期待に応えたいという想いも、自分の背中を押す一助となったのかもしれない。
騎士団に舞い込んだ、一つの依頼に誰よりも先に手を挙げたのは、そういった背景もあった。
依頼の内容は、魔獣の駆除。
カルキノス国の辺境の村に現れるというライカンスロープの討伐だった。
今度こそ必ず、皇国の役に立ちたい。そう思ってのことだったが、それはきっと、自分自身のための行動だったのかもしれない。
意気込んで街を出たハムは、やる気に満ち溢れていた。
魔獣を見かけた経験はそれなりにあった。自分で狩ったことはなかったが所詮獣。
人間の敵ではないと、そう思っていた。
だが――
「ウガアアアアアアアアア!!」
「ひえええええええええ!!」
思いがけず村で遭遇したライカンスロープの雄叫びを聞いて、ビビッて逃げてしまった。
恐怖したのだ。
自分よりも何倍もデカい人外と敵対して、命が惜しくなった。
覚悟はあった。
討伐しようという意志もあった。
しかしそれだけでは体は動いてくれなかった。
「バージャーさん! 大丈夫ですか!?」
「いきなり威嚇してくるなんて、野蛮な魔獣ですね」
そう後輩二人が心配して声を掛けてくれて、ハムもまた平常心を取り戻す。
体は臆病にも逃げてしまったが、心までは折れていない。
ハムとその後輩二人はその依頼を諦めない。
「おい……、あの魔獣を追い掛けるぞ。魔獣は絶対に討伐しないといけねえからな」
「もちろんですよ! バージャーさんならそう言うと思いました」
そうして彼らは魔獣とそれを先導する人間二人の尾行を開始した。
しかし直後に後悔する。
彼女らが行く先は道ならぬ道。足の踏み場も怪しい山道を登り、何度転落しそうになったか最早数えていない。
それでも彼が諦めなかったのは、自分のプライドが許さなかったからに他ならない。
貴族として生まれて、子どもの頃から失敗らしい失敗もせず、挫折も味わったことがなかったからこそ、今のこの状況を覆したかった。
そうしてようやく追いついたその場所は、手入れが行き届いた廃寺院。
どうやらそこで、魔獣の子どもたちと人間が暮らしている様子だった。
「どうしますか? いったん戻って報告してもいいですが……」
「いや、その間にも逃げられる可能性がある。俺たちがやるしかねえ」
物陰に潜みながら、そんな相談をするもののタイミングを計りかねていると、突如として空が陰った。
雲一つない空のはず。
ハムが空を見上げるとそこにいたのは、最も名高く、最も凶悪な魔獣の存在。
「ど、ドラゴンだとお――……っ!?」
思わず言葉を失ってしまっていた。
あまりにも巨大。
あまりにも高圧。
彼がその尾を一振りすれば、自分の体など粉々になってしまうだろう。そんなイメージが容易に過る。
神聖で、雄大なその姿を間近で目に映した彼は。
気がつけばその意識を飛ばしてしまっていた。




