シャーミアVSルアト
その日の翌朝は、眩いばかりの太陽の光が降り注いでいた。山間に佇む古い寺院が輝き、まだまだ建物としての存在感を放っている。
そろそろ春も近い。風は柔らかく、周囲に植えられた花々が静かに揺れていた。
「世話になった、ミネラヴァ。リュオンをよろしく頼む。……それからリュオン。しっかりと頑張るのだぞ?」
寺院の玄関口で、シリウスがミネラヴァに向けてそう言って、そのままリュオンに視線を流す。
「分かってるさ。ありがとうね、居場所を提供してくれてさ」
「こちらこそ理解を示してくれて助かった。お主ならば上手くやっていけるだろう」
彼女は恐らくナイガル村の人物たちと良い関係を築ける。それでもここに連れてきたのは、無用な面倒ごとを限りなく起こさないため。
次いでシリウスは、そのままミネラヴァの背後にいる魔獣の子どもたちにも優しく声を掛ける。
「童たちも、すくすくと育つのだぞ」
ざわつきながら、お互いに目を合わせる魔獣の子。その中の一人の子どもが声を上げた。
「ちっちゃいまおう様も元気でね」
「うむ! 努々、余の凄さを忘れるでないぞ!」
声を掛けられてヌイは即座にその姿を現した。その危機感の薄さに自分の分体ながら頭が痛くなるものの、心配しても仕方ない。
溜息を漏らすシリウスに、ミネラヴァがその目を細める。
「お前のことは誰にも言わないから安心しな。そもそも、お前と関わりがあると知れたら面倒なことになるさね」
「ああ。そうしてくれると助かる。余たちも、ここに被害を出したくないのでな」
アルタルフを下したことは公にはなっていない。だが魔王の娘がいることはもう知られているだろう。魔王討伐部隊を退けた時に、丁寧に名乗ってしまったのだから。
しかしその存在が今どこいるのかまでは、把握されているはずもない。
魔王の娘が辿る軌跡を特定される前に、早めにここを去った方がいい。
「さて、行こうか。シャーミア、ルアト」
「はい。……ですがその前に一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ?」
ルアトの視線がその隣に向けられる。
銀髪赤眼のシャーミアへと。
「この旅を共にするにあたって、僕と彼女、どちらがシリウス様の右腕に相応しいのか決める必要があるかと」
「いや、ないと思うが……」
「なので、僕と彼女とで勝負をさせてください」
「相変わらず余のこととなると話が通じぬ……。シャーミアはどうしたい?」
断る権利はもちろんある。こんな意味不明な挑戦を受ける道理などないはずだ。
「……そうね。あたしとしては、アンタの右腕とかはどうだっていいんだけど――」
だが、彼女が見せる瞳には諦観と、それから熱が籠ったような色へと変わる。
「でも自分の腕を磨くためなら、その勝負に乗るわ」
「決まりですね」
ルアトは不敵な笑みを浮かべ、そうして彼女と距離を取るように跳躍する。軽々しく着地してみせた彼は、改めてシャーミアへと向き直った。
「勝負の方法は単純です。どちらかが土を付けた方が負け、これでどうでしょう」
「それでいいわ。武器は使っていいの?」
「大丈夫ですよ。持てる力の全てを使った方が、実力のほども分かりますから」
「そうね。それじゃあ遠慮なく――」
シャーミアは短剣を構え、ルアトを見据える。
ルアトもまた、戦闘の姿勢へと移る。と言っても彼は武器を持たない。彼は左拳をこめかみの高さに、右拳を顎の辺りに構える。
軽い前屈みな体勢だが、しっかりと顎を引いてその視線はシャーミアを睨みつけていた。
「まったく……。危なくなったら止めるからな?」
「はい。よろしくお願いします」
「まあ、気のすむまでやるがよい。何があっても、余が回復させてやる」
彼は既に意識を眼前のシャーミアへと向けている。言葉だけでシリウスに反応した彼に溜息を漏らすが、ここまで来たら止めることも時間の無駄だ。
「ルアトがあんなにも好戦的だとはねえ。竜の血を引く者だからかね」
「ミネラヴァは彼奴の戦いを見たことはあるか?」
「ないね。そもそも竜と人の子ってだけで珍しいさ」
「そうだな。余もルアトのことをよく知らぬ」
以前助けた時は、彼は既にボロボロで戦う力も残っていない状態だった。あの村を襲っていた人間たちについて、シリウスも詳細は知らないが、恐らくそれなりに腕の立つ人物たちだったのかもしれない。
でなければ、ドラゴンと竜の血を引く者を虐殺などできないだろう。
辺りが静まり返る。
シャーミアとルアトが互いを見つめ合い、そして出方を窺う。
そんな静寂はいつまでも続かない。それは一瞬の硬質な打撃音で掻き消された。
瞬時に距離を詰めていたルアトがその拳を振りぬいて、シャーミアがそれを短剣で弾く。
「竜鱗か」
硬いもの同士が打ち合った時の音が発せられたのは、ルアトの皮膚が特別故だった。
彼の肌色の素肌は一見、通常の人間の柔肌のようにも見えるが、実際は無数の鱗に覆われている。
竜鱗、と。そう呼ばれるドラゴンの鱗だ。
半端な攻撃では傷一つつかない。
それを見て取ったシャーミアはその身を捻りながら短剣を勢いよく振るう。
不快な金属音が響く。
ルアトの体を袈裟斬りにするものの、やはり傷はついていない。
「固いわね」
「これでも内部に衝撃は届いてますよ」
再び体勢を立て直すルアトは、そのままシャーミアへと飛び掛かる。
左拳を彼女の脇腹に打ち込むものの、彼女はこれを回避。
しかしその攻撃は牽制に過ぎない。本命は右拳。
彼女の頬を狙うフックが放たれる。
だが、それは彼女の頬にまで届かない。
「な――」
高い金属音と共にルアトの声が驚愕に満ちる。
打ち込もうとしていた拳を阻むように、彼女の肩から生えた黒い短剣。防がれたこともそうだが、予想よりも手前で攻撃を受けられ、一瞬思考が止まってしまう。
シャーミアは、その隙を見逃さない。
彼の拳を受け止めた衝撃をそのまま、自身の身の回転へと繋げる。
地を蹴り、宙に浮いた彼女は、回転の勢いを利用した蹴りを見舞った。
「――っ!?」
ルアトの顎に、強烈な蹴り上げが入る。
シャーミアはその勢いのまま距離を取り、バランスを崩すことなく立っているルアトを見やった。
「一応、顎って人体の急所なんだけど。なんで倒れないわけ?」
「……生憎と、人よりも丈夫な体に産んでもらったもので」
蹴られた箇所をさすりながら、ルアトは笑う。
同時に、その目つきはより険しいものへと変化した。
「あまりこの勝負を長引かせたくありませんし、僕も奥の手を使わせてもらいます」
彼はそう言い、構えを解いた。
それから息を深く吸って、吐き出す。
やがて再び見せたその瞳は、黒く染まっていた。
彼の黄金の瞳孔は変わらないままに、その白目の部分だけが黒く塗り潰されている。
それは正しく、竜の瞳だった。
「――【化する空の王】」
彼の言葉と共に、周囲に霧が立ち込める。
あるいは、それは雲なのかもしれなかった。彼を中心として辺り一帯を覆うほどの暗雲は、やがて風に吹かれ、晴れる。
「……ドラゴンなんて、初めて見たわ」
シャーミアは、空を見上げてそう言った。
爬虫類のような体に、丸太のような手足。そしてその背には大きな、コウモリが持つような翼。
頭部は蛇のようだが、二本の長い髭を揺らめかせ、大きな翡翠の双角を生やしている。
その寺院よりも大きな体躯を覆うのは、薄緑の鱗。それらは陽光の輝きを受けて、反射し煌めていた。
「これが、僕の特異星です」
先ほどまで耳に届いてたものと、同様の声音が頭上より降り注ぎ、シャーミアは思わず感情を吐き捨てる。
「この巨体に、どうやって土を付けろってのよ!?」
「ふふ、勝負は決まったみたいなものですね」
既に勝ち誇ったように大人げなく笑うルアトに、勝ちの目が薄いながらもそれでも短剣を構えるシャーミア。
いま、どちらともなく動き出しそうな気配が場を満たす中で――
それを引き裂く、ある男の声が寺院に響き渡った。




