星待ちの寺院
街道から外れた、道とも呼べない獣道。最近人が通った形跡などない、そんな道を踏破して、山を登る。
決して険しい山ではないものの、舗装されていないこともあり歩くのは至難を極める。
シリウスは飛行魔術を使って飛べるものの、シャーミアとリュオンは足場とも呼べるか怪しい心許ない踏み場を見つけては、前へと進んでいく。
途中であった洞窟で夜を明かし、朝から再度登頂すること数時間。
昼に差し掛かる頃には、三人は頂上へと辿り着いていた。
「はあ……ハア……。アンタ、飛行魔術とか、卑怯じゃない?」
息も絶え絶えになりながらもシリウスへの文句は怠らないシャーミアに、それを言われた本人は涼しい顔で、膝に手をつく彼女に水を渡す。
「すまぬな。この飛行魔術は本人しか適用されぬ。それに、体を鍛えるのも悪くないだろう」
「ん……――。まあそうなんだけど、飛んでるやつに言われても説得力ないわよ」
喉を潤した彼女は、幾分活力が回復したようだ。対して、リュオンはと言えば疲れを感じていない様子だった。
「リュオン、アンタは平気なのね」
「アタイは元々山で暮らしてたからね。これぐらいの山なら、問題ないさ」
「疲れてるのはあたしだけってわけね……」
盛大に溜息を吐くシャーミア。そんな彼女に、発破をかける元気な声が飛んでくる。
「大丈夫だ! お主はよく頑張っておる!」
いつの間にか、彼女の肩に小さいシリウス――、ヌイの姿があった。
それを見てまずリアクションをしたのがリュオンだ。
「な、なんだい? この小っちゃいご息女は?」
「ふふん。驚くがよい。余はシリウスの分体。ヌイと呼んでくれても良いぞ」
得意げに胸を張る彼女をまじまじと見るリュオン。ヌイが顔を出すタイミングは、彼女自信の意志で決めている。恐らくリュオンにならバレても問題ないと判断したから、こうして顔を見せたのだろう。
ヌイの言葉に続いて、シリウスもまたシャーミアへと声を掛ける。
「たった一日と少しで山頂まで来られるとは思わなかった。お主が頑張ってくれたおかげだ」
「……これからあとどれくらいあるのよ」
「ここまで来ればもうすぐそこだ。……あそこにある廃寺院が見えるか?」
見通しのいい山頂から、麓にあるその場所を指差す。そこは周囲を森と山々に囲まれ、しかしそれなりに広い範囲で開拓されている。
特に目立つのは白い建物。いや、建物と呼べるかどうかは最早怪しいレベルで、遠くからでも分かるほどに屋根もボロボロで、誰も使用していないことが見て取れる。
「あそこが目的地だ。もう少し、頑張ろう」
休憩もそこそこに、シリウスのその言葉でシャーミアたちは山を下り始めた。
下山も、それなりに時間と手間が掛かる。ただ登頂よりは幾分マシで、麓にある目的地までは数時間で辿り着くことができた。
既に陽は沈みかけていて、月がその姿を主張し始めている。
「ここが――」
シャーミアの声が響く。
森の中にぽっかりと空いた広大な土地。ほとんど中央に建つ廃寺院は間近で見るとそれなりに大きく、かつては立派なモノだったのだろうと思える。
その代わり、というわけではないだろうが、寺院の周りには色とりどりの花々が植えられており、それらが風で揺れている。
見える範囲には人や生き物はいない。だからこそ、夕刻に映るその廃寺院が、荘厳で神秘的だと感じられる。
「……誰もいないわね」
しばらく辺りを探してみて、残る確認箇所は寺院の屋内となった頃。シャーミアがそう零す。
だが、シリウスは気がついていた。
ここに来た時から、向けられる視線を。
「いや――」
空が黒く塗られる。
陽が沈みきり、空には小さい星と、月が浮かぶ。
「――管理者のお出ましだ」
それは、突如起こった。
空間から現れた一つの人影。剣を構えたその人物はそれを勢いよく振るものの、シリウスの背には傷一つつかない。
剣による物理が効かないと見るや否や、そのまま後ろに跳躍。
そして、冷たい言葉が一つ落ちる。
「――【欠月】」
瞬間、辺りが真っ黒に染め上げられた。
周囲にあった花々や廃寺院、それにシャーミアとリュオンの姿もそこにはない。
あるのは、剣を持つ相手の姿と、遥か天空に浮かぶ月のみ。
大地すらない闇に覆われたその空間は、まるで夜空に浮かんでいるかのようだった。
「対象を自らの空間に引きずりこむ特異星か」
恐らく一対一に持ち込むためのもの。あるいは、どれだけ暴れても周囲に影響を及ぼさないための、配慮か。
どちらも満たすいい能力だ、と。発動者の理念に感服する。
そうしてシリウスは改めて対面に立つ相手を視認した。
黒を基調とした修道服に長い白髪がよく目立つ。他に視覚から得られる情報はその相貌と携える剣のみ。
その顔には無数の傷。そしてそれとは別に皺が刻まれており、相応の年齢であることを感じさせる。
年齢による衰えすら感じさせない、眼前で剣を構える彼女が――
「元『星の勇者』、ミネラヴァ=バルザ。お初にお目にかかる。余は魔王の子の生き残り、名をレ=ゼラネジィ=バアクシリウスという」
恭しく頭を下げるシリウスに剣を構える老婆、ミネラヴァはその瞳を見開いた。
「まさかお前が、ウェゼンの言っていた魔王の娘か!?」
「うむ、その通りだ。知っておるのなら話は早いな」
「……道理でただ者じゃないわけさね」
「できれば、剣を納めてくれると嬉しいのだが」
言外に戦う意思はない旨を伝えるものの、しかしミネラヴァはその剣を下ろそうとしない。
「……お前さんが嘘を言ってないのは分かる。戦う意志がないこともね。聞いていたウェゼンの特徴とも一致する。ただ――」
その瞳が、眼光が光る。
それまで宿っていた警戒心と慈愛はすっかり姿を潜め、そこにいるのはただ一人の戦士。
「アタシが元勇者として戦いたい。退かない理由は、それだけさね」
「そうか。ならば少しだけ、相手になろう」
シリウスがそう言うとミネラヴァが頷き、剣を構えた、と。そう認識した瞬間には、既にそこに彼女の姿はなかった。
「捉えた――」
いつの間にか背後にいた、彼女の声が耳に届く。
振るわれるのは剣と、もう片手には魔力の奔流。それがシリウスへと向けられる――
「あがっ――」
と思われたのだが、間抜けな声と共にミネラヴァがその場に倒れこんでしまった。
「……どうした?」
「こ、腰が……」
最早そこに闘志はなく、形成されていた空間も消え去った。
「シリウス! ……えっと、何があったの?」
隣にいたシャーミアが戻ってきたシリウス、そして地面に突っ伏す老婆へと流れていく。
「ああ、色々と説明したいところだが……、まずは此奴の回復を優先しようか」
そう言って、リュオンに両手でミネラヴァを持ってもらうと、廃寺院の中へと入っていくのだった。




