魔王の娘と老魔術師④
「魔王の深淵湛える波濤の泪」
空から降り注ぐ雨の弾丸。岩は削れ、地は穿たれる。
あっという間に更地を作り上げた破壊の豪雨を、しかしウェゼンは魔術結界を張ることにより耐えていた。
しかし――
「魔王の罪禍断ずる調停の明滅」
横薙ぎの雷撃が迸る。ウェゼンに命中したことを確認し、さらにシリウスは声を震わせる。
「魔王の虚空引裂く激情の溜息」
空間という空間に生み出された斬撃の嵐。一閃一つひとつが大地を切り裂く威力を持つ風の刃。それが無数にウェゼンの結界を斬りつける。
(――結界にヒビが……!?)
最早長くは保たない。そう判断し攻撃に転じようとするが――
「魔王の終焉導く壊滅の灯火 × 魔王の絶望遍く破壊の産声」
少女の声が、静かに響く。
「魔王の創造阻む琰焦の魂魄」
詠唱が紡がれる。その瞬間、ウェゼンの足元が熱を帯び、爆炎が勢いよく立ち昇った。
結界の破片が宙に舞う。それを視認したシリウスは、ゆっくりと地上へと降り立った。
「――生きておるな」
その声は、少女らしい甘さを含んだものに戻っていた。未だ盛る炎柱に手を突っ込み、それを引き抜く。
半身。業火から助け出されたウェゼンの肉体は、腹から下が消失していた。腕も片腕は焼け焦げており、彼は喋ることもままならないはずだった。
「ほら、魔術での延命だ。これでしばらくは意識も保たれるだろう」
「……私は、負けたんだな」
「ああ、【強制進化】を使わなければ、余が危なかったがな。よく頑張ったな、褒めてやろう。……さすがは、余の師と言ったところだ」
彼女の言葉に焦りはなく、嘘偽りは感じられない。純粋で真っ直ぐで優しい、敬意と労いだった。
ウェゼンの表情もまた晴れやかで、一つの憂いもなさそうに微笑を浮かべている。
「それで、お主を唆した勇者についてだが――」
「待て。その前に、シリウスに、頼みたいことがある」
彼の声音はボロボロで、言葉を発するのも辛く見えた。しかしそれでも、ウェゼンの瞳には光が宿る。
「私の住む村にいる、孫の世話を願いたい。彼女は、一人だと、どうにも危なっかしくてな」
「……お主が世話をすればいいだろう。今のこの傷ならば、余が治せる」
「そういうわけにはいかん。私の行動は、これで感知されている」
ウェゼンが口を開き、舌を出す。そこには幾何学模様と記号が刻まれていた。魔術による刻印だ。
「この程度、解術できる方法があるはずだ。何故、お主が死ぬ必要がある?」
「それは、お前さんに勇者の名を、伝えるためだ。これを伝えた瞬間、私は死ぬようになっている」
シリウスは口を開きかけて、すぐに閉じた。それを見て、ウェゼンはニコリと笑う。
「だから……、頼んだぞ」
「――分かった。お主の、最後の願いだからな」
その答えに満足したのか。曇り一つないその表情で、やがて口を開いた。
「勇者の名はジェミナ。かつて勇者連合軍、第三軍のトップだった者だ」
彼の体が淡く光る。
その身に施された魔術が作動したのだろう。ウェゼンは光に包まれて、瞬きする間もなく風と共に散った。
粒子が、空に舞い上がる。
「……愚か者め」
最早呟きとなったそれは、空気に溶けて吐き出される。
彼の腕を掴んでいた手をそっと下ろす。握り締めた手の中には、ただ温もりと肌の柔らかさだけが残されていた。
きっと少女は、その感覚を忘れることはないだろう。
「悲しむ時間もないか」
懐から、一つの髪留めを取り出し、紅い髪に留める。
金色に染められた羽の意匠があしらわれたそれは、ウェゼンが最後に渡してくれたものだった。
そうしてシリウスは再び宙を舞い、南方を目指す。
目的はただ一つ。
魔獣の残党狩り、その部隊を迎え撃つためだった。
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