ナイガル村とライカンスロープ
馬車が終着点である、その村に着いたのは陽が沈みかける頃だった。乗客がすっかりいなくなった寂しい車内から降りたシリウスたちは、夕刻に馴染み遠退く馬車を見送って、改めてその村へと振り返る。
「確か、ナイガル村って言ってたわよね」
「オオカミの魔獣が出るとも言っておったな」
馬車の中で男に聞いた話によれば、ここ最近その村での魔獣の目撃例が増えているらしかった。
魔獣、と。そう一口に言っても様々なわけだが、この村に現れるのはオオカミの魔獣。しかも二足で歩行するという。
「魔獣の名は恐らくライカンスロープ。ヒト型のオオカミを想像すれば幾らかイメージし易いだろう。だが、膂力も知性も、そこらにいるオオカミとは遥かに違う。さらにその種の多くが人語を解する点が、主な特徴だと言えるな」
「人間の言葉を喋れるならなんで揉め事になんてなるのよ」
「余にも分からぬ。まあ詳しい話はこの村の人間にでも聞くとしよう」
シリウスが歩き出すと、シャーミアもまたそれに続く。
ナイガル村は素朴な雰囲気の村だった。
村全体は木製の柵で囲われていて、簡素な入口から一歩中へ入ればそこから見えるのは二十に満たない家々と、手入れされた田畑。それに透き通った小川があるぐらいで、それらが夕陽に染められて朱と影のコントラストを生み出していた。
「あら、お客さんかい?」
村の入口にある、小さな岩に腰掛けている老婆から、優しい声音で声が掛かった。
「余たちは客ではない。この村で目撃されておるという魔獣の調査をしに来た」
「あら、また村長が呼んだ魔獣討伐の警備隊の方かしら」
「また?」
「ええ。村長、何度か警備隊を呼んでいてねえ。上手くいっていないみたいで、あなたたちで六回目かしら。私たちは気にしてないんだけど」
「……そうか。その村長はどこにいる?」
「村長なら、あの大きな水車が目印の家に行くといいわ。今の時間はまだ起きていると思うわ」
「分かった。礼を言う」
余程、魔獣の討伐をしに来たわけではないと訂正をしたかったが、物事が円滑に進むのであればシリウスとしてはどちらでも良かった。何度か魔獣討伐の依頼を出していることも知れた。
魔獣に対しての緊張感が高まっていると思ったのだが、石の上でぼうっと落ち着いている老婆からはそれを感じさせない。
シリウスたちは入口からさらに村の中へと入り、村長の家を目指し始める。
「なんか、長閑ね。あたしの住んでた村みたい」
「そうだな。少なくとも殺気立ってはおらぬ」
先ほどの老婆もそうだったが、この村に漂う空気が、魔獣に脅かされていることを否定している。
もしかすると本当に魔獣の姿を見たというだけなのかもしれない。実害が出ていないのであれば、穏便に話を進めることができそうだ、と。シリウスはそう胸に期待を膨らませていた――
「やっと来たか! 随分と待たせよって! さっさと魔獣を殺してくれい!」
村長と会うなり、鬼気迫る剣幕がシリウスとシャーミアへと襲い掛かった。杖を持ったその手は力なく震えているが、彼のその目は力強く精気に満ちている。
もう討伐すること前提で話が進んでしまっている。
いや、魔獣討伐の依頼を出したのだから、村長の理解ももっともなのだが、それにしても勢いがつきすぎている。
シリウスはそんな彼を宥めながら、やんわりと魔獣の討伐を否定しようとした。
「村長。悪いが今回はあくまでも調査で――」
「魔獣に調査などいらああああん! 悪、即、殺じゃ!」
「少し落ち着かぬか。魔獣によって、どういった被害が出ておるのか、いま一度聞かせてもらおう」
「被害? 被害などない! じゃが魔獣が出るというだけでも心労が絶えん! 村のみんなも怯えておることじゃろう! ワシは、この村を村長として守らねばならんからな! だから警備隊に何度も来てもらったのだが、どいつもこいつも逃げ帰りよる! みっともない!」
「……なるほど、使命感から生じる防衛意識か」
村長が何に駆られているのか理解したシリウスは、それ以上の言葉を求めない。しかし、代わりに別の言葉を贈る。
「お主の依頼については理解した。今夜、すぐにでも魔獣の元へと向かおう」
「おお! よろしく頼む!」
「だが、その魔獣の処遇については、余たちに任せてほしい。構わぬな?」
「問題ない! 村に被害が出ないならな!」
「では依頼成立だ。――行くぞ、シャーミア」
シリウスがその紅蓮の髪をなびかせて踵を返すと、シャーミアは慌てた様子で彼女を追い掛ける。
「ねえ、良かったの?」
「何がだ?」
「魔獣のことについて、聞くことあったんじゃないの?」
シャーミアが疑問に思うのも当然だろう。なぜ魔獣が村周辺で目撃されるのか。いつ頃から現れ始めて、今もそれは頻繁に目撃されているのか。
聴きたいことは山ほどある。
だが、シリウスはその彼女の問いに、首を横に振って応じた。
「この村で起きていることは村の住民……、特に村長が最も理解しておると思っておったのだが、聞いてみればそうでもなさそうだった。魔獣という人間とは違う種がいることによる、精神的不安。それを抱いておる者から、正確な情報を得るのは難しいと判断した」
「それで、どうするつもり?」
「単純な話だ。片方から話が聞けないなら、もう片方から聞くしかないだろう」
つまり魔獣側から詳細について聞く。シリウスの案に、隣を歩くシャーミアはその細い眉を顰めた。
「そんな上手くいくの?」
「問題ない。今回、お主は傍で見守っておるだけでよいぞ」
そう自信に満ちた発言をするシリウスに、シャーミアはますます訝しんで、首を捻るのだった。




