木鉢法師
むかしむかしあるところに、一人の僧がおりました。
僧の名前は、キバチ。ひとところに留まることはなく、巡錫の僧として各地へと赴いていました。
病気の人間の元を訪れては、ただひたすらに鼓舞を続け、またある時は喧嘩を仲裁するために現れることもあったそうです。誰もが諦めるようなことにも、めげることなく挑み続け、勇気づけたり怒りを鎮めたり。人相が窺えないほど深く被った笠から響く声は、不思議と前向きになれるものでした。
そんな彼のことを、人々の誰もが尊敬し、そして友好的に迎えるようになりました。キバチが現れた村は、幸福が訪れる。そんな根も葉もない噂まで流れます。
さて、幾ばくか時が流れ、陰の時代。争いや病気が国中に蔓延し、穀物も取れなくなる大飢饉が人々に襲い掛かりました。
戦が日々起こるような治安の悪さもあいまって、民たちは絶望しました。この世に希望などない。暗澹たる空気が重く国に横たわる中、一人の僧が錫杖を鳴らしました。
しゃん。
ひとつ錫杖を鳴らすと、人々の間から争いがなくなりました。
しゃん、しゃん。
二つ、錫杖を鳴らすと、それまで抗えなかった流行り病が終息しました。
奇跡が起きた。誰もがそう信じて疑いません。錫杖を鳴らしながら、国を巡遊するその僧は、各地に現れては清浄の音を響かせました。
アウラム中に鳴らす、聖なる音色は人々の争いを消し、病を消し、そして、その心に希望の火を灯します。
太陽を前にしたような、明るい未来。それを浴びた民たちは立ち上がろうとします。
ですが、どうにも力が出ません。
それもそうでしょう。いくら争いが絶えて、心身を滅する病魔を消し去ったとしても、人々を動かすのは食物。飢饉という現実的な悪夢によって、満足にそれすらも満たせない人間たちは、再び暗い思いに目を閉じようとしました。
「まだ、その眼は閉じるべきではない」
またも、鈴が鳴りました。今にも倒れてしまいそうに弱った童の前に現れたキバチは、薄く開くその童に向かって手を伸ばします。
「受け取れ。ぬしのために」
「……?」
力なく、童が伸ばした手に、キバチがそれを授けました。
それは、真珠のように艶立ち輝く、大きな握り飯でした。
「こ、これ――」
「ぬしの分だ。遠慮なく食らえ」
風前の灯だった童が、受け取った生命の塊を齧り付きます。溢れ出す唾液と、零れる涙を見て、キバチはその場を後にしました。
それからキバチは、飢えた人々の前に現れては、十分な量の握り飯を分け与え始めました。皆、歓喜に打ち震えながらそれを頬張り、そして漲る活力として取り込みます。
キバチはアウラムを救いました。人間にとって全ての悪を根絶し、生きる力を与えたのです。
そんな中、キバチが食べ物を分けているという話を聞いた、青年がおりました。
彼は貴族の息子であり、人々が苦しんでいる中でも、特別食事に困ることもありませんでした。
しかし、民たちだけが無私の奉仕を恵んでもらっていることが気に入らない青年は、待ってましたと言わんばかりに、現れたキバチの元へと向かいます。
「そこな、僧よ。下賤な民だけに飯をやるとは何事か。全て領主たる私を通してからの行いならば、許してやろう」
「……ならば、くれてやろうかの。民たちに行き渡るだけの、十分な量のメシだ」
鈴を鳴らしたかと思うと、キバチの背後に無数の米俵が現れます。目の色を変えた青年は、それらをすぐに自分の屋敷へと運ばせました。
「はっはっは! 間抜けな僧もいたものだな! これほどの量の米! 誰が民たちに渡すモノか!」
その晩、高笑いをする青年は早速貰った米を炊きました。運ばれて来た米は、艶輝かせて食欲のそそる香りを放っています。
「なんと上質な米よ! さぞ上手いに違いない!」
興奮した様子の青年が、炊かれた米を口に運んだ瞬間のことでした。
それまで白米として輝いていたそれは、枯れるように突如その形を崩したのです。
そして強烈な異臭と共に、溶けた米が砂利のような食感へと変貌します。
「~~~~~~ッッ!!?」
青年は思わず悶え苦しみ、口に入った異物を吐き出します。涎に混じって畳を汚すのは、腐った泥。粘り気のあるそれは、未だ口内に残ったままで自然、呼吸も荒くなります。強い忌避感に絶望している青年の耳に、鈴の声が届きました。
「やはり、ぬし自身で食うつもりだったようだの」
いつの間にか庭に現れていた僧が、暗い声を響かせます。
地の奥深くから鳴るような、底知れぬ感情の濃さに脅える青年に、僧は強く錫杖を鳴らしました。
「ぬしは、欲深き人間だ。ただ己の身のみを案じ、誰かに手を差し伸べようという、善の心を持ち合わせておらん。そんな人間に渡す祝福は、ない」
しゃん、しゃんしゃんしゃんしゃんしゃん――――
鳴り止まない錫杖を突く音。鬼気迫る勢いで絶え間なく鳴る救済の調べは、やがて一つの大きな音となり混ざり合います。
「ひ、ひぃ――っ!!?」
そして、それに呼応するように地面が揺れます。何度ものたうち、青年が住む屋敷が悲鳴を上げます。歪み、軋み、引き裂き呑まれ。
胎動する地面は、気がつけば屋敷ごと青年を呑み込んでいました。
「生まれ持った力に溺れるなど、愚か者よ」
最早、それに応える声はありません。
キバチはしゃん、と。鈴の音を鳴らすと。
それ以来人前に姿を現すことは、ありませんでした。
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