濁世懲りて泥に咲く
「こりゃあひでえですね……」
顔の半分を袖で覆いながら、スズは呻くような声を絞り出した。鼻につくのは湿った土の臭い。それもただの泥臭さではない。腐敗した草花を混ぜ合わせたような、死臭に等しいほどの悍ましい空気が一帯に濃く降り積もっている。
馬を駆りていた途中、泣き叫ぶ女性の声が聞こえたシリウスたちは、馬を止め女性の元へと駆け寄った。
そこで広がる惨劇を目の当たりにしたのだ。
何もないような畑が広がるその道すがら、地面に横たわり嘆き女性を取り囲むようにして、聳え立つ数本の泥塊。不細工な木のような、あるいは出来損ないのオブジェのようなそれは、まるでもがき苦しむ人間のようで――
「もう、大丈夫ですよ。ケガはねえようですね」
「……はい。お見苦しいところをお見せしました」
女性がしゃくりを上げながら、どうにか落ち着きを取り戻す。スズは彼女の背中を優しく撫でながら、優しく問い掛けた。
「何があったか、伺っても?」
「……山菜を取った帰りに山賊に襲われたんです。腰を抜かして動けなくて、もう駄目だってそう思った時、鈴の音が聞こえました」
「鈴の音?」
撫でる手が止まった。俄かに張り詰めた空気に女性は気がつかない様子で、滔々と言葉を吐き出す。
「ええ。坊さんが、錫杖を鳴らす音の、あれです。山賊たちもそれに気がついたみたいで、音の方へと振り返りました。そこには、一人の僧がおりました」
「……それって――」
スズがイッサを見やると、彼もまた小さく頷いてみせた。恐らく、シリウスたちが追い掛けていた木鉢法師という妖だろう。
「怪しい僧でした。袈裟を着て錫杖を鳴らす姿こそ見慣れた僧のものでしたが、笠から伸びる大量の札。顔も隠すほどのそれは、まるで怪異です。怯える私たちに、その僧は見向きもせず歩み始めました。……そこからです。悪夢が広がったのは。僧が錫杖を鳴らす度、山賊の一人が湧いた泥に飲み込まれていったんです」
女性の声に緊張が乱れる。その時のことを思い出したのだろう。収まっていた動悸は再び、彼女の心を惑わせ始める。
「それで、それが立ち去るまで私は泣き叫ぶことしかできなくて……っ」
「もう、大丈夫ですから。怖かったでしょう。家まで、お送りします」
さめざめと涙を流す女性を近くの村まで送り届け、ついでに馬ともそこで別れることにした。
ここからは山岳地帯。馬の機動力は削がれるだろうし、何より予想される戦闘に、無関係な存在を巻き込むわけにはいかなかった。
「……やっと追いついたな」
イッサが拳を鳴らし、鼻息を荒くさせた。だが、その身はわかりやすく震えている。
「怖いのか?」
「ばっ――、怖くねえよ! ちょっと緊張してるだけだ! 馬鹿!」
張る虚勢もいつもより弱々しい。畏れているのだろう。これから相対するであろう、木鉢法師という妖を。彼とそれとの力関係をシリウスは知らないが、明確な実力差をイッサは抱いているようだった。
「恐怖を恥じる必要はない。その心が、成長を育むこともあるだろうからな」
「だから怖がってねえって!」
そのことを主張するかのように、イッサは歩く足音を大きくさせた。そうして再び戻ってきた、泥塊が生える道。それらに手を翳したシリウスは、込める魔力の出力を上げて丁寧に泥を吹き飛ばした。
中から現れたのは、苦しみ引きつった顔の男たち。水で溺れたように皆一様に手を空へと伸ばして、硬直している。
「……山賊とはいえ、同情します」
スズが彼らに手を合わせ、静かに目を瞑った。イッサはただ脅えた瞳で凄惨な彼らの最期の姿を見つめている。
「イッサよ。これは例の妖の仕業か?」
「……多分そうだ。っつうか、絶対そうだ。吐きそうな、この泥の臭いに混じって、木鉢法師の匂いがするから。……本当は、こんなことするような、妖じゃねえんだけど」
伏せた瞳に抱くは、在りし日の木鉢法師の姿か。イッサが噛み潰すように落とした言葉は、滞留する心地の悪い温い空気に溶けずに揺蕩う。
「案ずるでない」
「――わわ!?」
沈みすぎて笠が落ちそうになっているその頭に、わざと力を籠めて手を乗せた。すぐに手を払われてしまい、笠の影から睨む視線が突き刺さる。
「妖のことはわからぬが、必ずお主が追うアマビエとやらも、木鉢法師とやらも救おう。だが、余一人では恐らく難しい。お主の力が不可欠になるだろう。頼めるか?」
「……当っ然! オレ様もアマビエ様を救うんだ! 泣き言なんて言わねえさ!」
「頼もしいな」
ふっと息を吐くと、イッサが果敢に一歩踏み出した。
その後に続くように、スズもシリウスも月が照らす道を行く。
濃くなる泥の臭いを辿るように。悪意に吞まれる、その影を追い掛けて。
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