『珠の勇者』ミボシ④
珠の勇者が相見えるは――
「……今日も時間通りに来たな」
耳障りな歪な声が響く。朽ち掛けの階段を下り、砂利の敷き詰められた地面に足を着けると、小石たちが悲鳴を鳴らした。
「夜刀神。あんたさんがいつ暴れるか、見張っとらなあかんからなあ」
「そうか。吾は別に、暴れるつもりもここを出るつもりもないがな。毎日城の地下にまで来て吾とお喋りなど、汝もご苦労なことだ」
「労うても何もでえへんよ。あんたさんの好きな呪いをあげたいとこやけど、これは『祝呪の解き』までお預けやさかい」
「無論だ。そのために吾は、百年も待ったのだからな。途中で欲を解放するなど、愚者のすること。溜まりに貯まった呪いの澱、非常にそそる」
風も吹かず、雨も降らない。そこはアウラムにある城の地下空間。淀み、歪んだ空気が周囲に漂う中、下卑た声が五月蠅く騒ぐ。
「元々はあんたさんが振り撒いた呪いやろ。何がそんなにええんやろか」
「一度人に憑いた呪いは、独特の味を持つのだ。これを喰らい、吾はまた百年の沈黙を約束しよう」
「……ほんま、気色悪いわ」
揺れる濃紺の髪の隙間から、ミボシがそれを睨む。
目の前に浮かんでいるのは、白い大蛇。人を丸吞みできそうなほどの巨大なそれの尾は見えず、その鱗は妖しく光っている。背中には幾つかの羽毛のない鳥の翼が伸びており、剥き出しの骨のよう。
そして、その体を縛るように幾つもの紐が繋がれている。紐にはお札が貼られており、それは全て、彼の悪神、夜刀神を封印するためのもの、であるはずだった。
「あんたさんさえ、おらんかったらアウラムに呪いはあらへんかった」
「だがそのおかげで、汝は不老の身となった。誰もが羨む奇跡だ。この程度の凶事、些事にも値しないのではないか?」
「あてのことはよろし。これも立派な呪いやさかい。せやろ?」
「さてな、それを祝福と取るか禍いと取るかは当人次第だろう」
「なら、これは呪いやね。あてだけやない。アウラム中を蝕む、毒や」
冷たい視線をその怪物に向ける。恨みや怒りでそれが怯むわけもない。寧ろ好物だと言わんばかりにその口角を不気味に上げて、笑う。
「そう睨んでくれるな。今すぐに喰らいたくなってしまうだろう」
「どうぞ? 食べはったらどない? それでまた百年大人しゅうしてくれはるんなら、願ったり叶ったりや」
「いや、汝に宿った呪いはまだ喰わぬよ。『祝呪の解き』も形式だけの儀ではない。あれを通じて、ようやく呪いは吾の体に戻る。そうなれば吾の体もまた万全。百年生き永らえることができる。汝は、吾が放った呪いを搔き集めるための、器なのだ」
「随分乱暴な言い方しはるんやなあ。さすが、呪いの王やね。自分勝手で、独裁的で、高慢で――」
「口を慎むがよい」
空間が、歪んだ。その場全体が揺れたかのような錯覚と共に、息苦しい圧が震える空気に満ちていく。
「所詮汝は器。吾を誹る口は持たぬと思え」
「あら、いっぱしにあんたさんも苛立つんやねえ。怖い怖い」
口元を袖で隠しながら、眉尻を下げて煽る。空間の揺らぎがぐらぐらと煮え滾った湯のように震えていたが、やがてその歪みも収まった。
「……つまらない女だ。二百年前の蒼い瞳の女の方が、まだ幾分面白いヤツだった」
「次、レイの悪口言うたら、この場で首斬って二度とあんたさんが呪い喰えんようにするさかい」
「くくっ、やってみろ。百年前も、汝は自害しようとして呪いに阻まれていたがな。器が独りでに壊れる様は、さぞ滑稽だろう」
「……ほんま、けったいな化けもんやわ」
ジトリと睥睨し、ミボシは踵を返す。その背後から、夜刀神の声が響いた。
「もう帰るのか?」
「せやね。あんたさんの顔見てたら、満腹になってもうたわ」
「心にもないことを言う。だが、それでいい。吾と汝は、永劫わかり合えないからな」
それ以上、言葉を交わす意味もない。ミボシは来た道を戻り、その空間から立ち去る。長い階段を昇っていくにつれて、纏わりついていた嫌な澱みが薄れていくのを感じる。そして、それは城の一階に辿り着いてようやく、消え失せた。
「ふう。ほな帰るさかい。見張り、よろしゅうな」
その階段の前を見張る門番たちにそう告げると、ミボシは待機していた側近と合流しようとその間を後にする――
「これは、ミボシ様。今日も夜刀神への挨拶、お疲れ様です」
「……セイランはん」
前から、濃い水色の髪をした男性が、近づいてきた。その双眸は黒い布で覆われているものの、こちらとの距離がわかっているように、足を止めて恭しく頭を下げる。
「あんたさんも、あれの管理大変やねえ。もう随分、長いことやってはるやろ」
「とんでもありませんよ。この国で重要な役割を与えられていることに、誇りを持っていますから」
「さよか。まあ、あんま気張らん方がええで。その内、身が持たんようなるさかい」
「お心遣い、感謝します」
取ってつけたような笑いを浮かべるその彼を、ミボシは好かない。快く思っていないというよりは、何を考えているのかわからないからだ。眉を顰めながら、これ以上の長居は無用だと、視線を外して歩き始める。
「ほな、あては行くわ」
「ええ、また。次の『祝呪の解き』に」
そうして、ミボシは何とも言えない空気漂う、妖しい空間を後にした。
◆
「お待ちしておりました。ミボシ様」
城の入口で待機していた狐の面で目元を隠す女性が、そう静かに口を開いた。大した時間その城内にいたわけではなかったが、そこでようやくミボシの全身から力が抜ける。
「はあ……、ええ加減、しんどいわ」
つい、そんな甘えた言葉が出てしまう。習慣化されたこととはいえ、終わりのないこの日常に飽きているのも事実。いつまでこれが続くのかと、さすがに嫌気が勝ってしまう。
「――大丈夫です」
そんな中、女性の声が優しく響く。勇気付けるように、あるいは、言い聞かせているように。
「呪いの時代は、終わらせますから」
「なあに? まだ言うてるん? アリダもほんまモノ好きやねえ」
呆れたように笑う。掛けられた言葉を、信じているわけではなかったから。
ただ、少しだけ。
彼女のその想いに、救われたような気がして。
ミボシは、昇る月を見上げるのだった。
◆
降り注ぐ星々の輝きが妖気を照らし。
百年の杯を献げる。
直に月は満ちる。
『祝呪の解き』まで、あと九日。
お読みいただきありがとうございました!
来る儀式の刻まで、カウントダウンが迫る――
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