大海の声、壮美の残響
大渦を前に、シリウスたちは……!?
甲板から外を見る。相も変わらず荒れた海だが、しかし先ほどよりも揺れが少なくなっていた。
それは船体を揺らすような不規則な波がなくなったから。いや、厳密には消えたわけじゃない。波間はまだ周囲に白波を立てている。ただ、船がその場所いないだけだ。
「なるほど。これは確かに、もう操舵も意味をなさぬか」
それは巨大な渦潮。船一隻はまるまる呑み込めるほどの大きさを持ちながら静かに、しかし異様な存在感を放ちながらそこにいる。その潮流は波も立たないほどの水流と共に、渦の中心へと吸い込もうとしているようだった。
「申し訳ありません。何とか避けようとはしたんですが……」
「そう何度も謝るでない。この嵐の中、よくここまで船を保たせた。それだけで十分な働きと言えよう」
「しかし、このままでは……」
焦るスズの瞳を受けて、シリウスは再び海へと視線を投げる。
「自然に抗う術はいくつか持ち合わせておるが、ここは一つ協力を仰いでみるとしよう」
「協力……?」
果たしてこの状況で誰に助けを求めるというのだろうか。そんな奇異の視線がシリウスへと集まる中、彼女は甲板から外に向けて堂々と声を放った。
「セイレーンたちよ、助勢せよ」
決して大声とは言えない、しかし威厳すら感じさせる声音が、波間に聞こえる。
「セイレーン、ですか。確か海に住む、半獣の魔獣ですよね?」
「そうだ。姿は見えぬが気配はする。大方、余たちの様子を窺っておるといったところだろう。そら、反応があったぞ」
シリウスがそう言うと同時、音が響いた。
雨と風、それから周囲の荒波によって掻き消されることもなく、高く伸びる音は、まるで唄声のように海原を駆け抜けていく。
「これが……」
「セイレーンの声なの?」
まるで楽器を弾いているような。
あるいは高貴な旋律を奏でているかのような。
いずれにせよ、その音調は不気味なほどに美しく、そしてよく耳に溶け込むものだった。
「……ふむ。なるほど」
「何ブツブツ言ってるのよ」
鳴り響く海の声を聞いて考え込む素振りをするシリウスに、シャーミアが尋ねた。この現状で、魔獣の言葉がわかるのはシリウスだけだ。故に、全員の視線が彼女へと集まる。
「セイレーンたちからの返答だ。助けるために協力はしてやってもいい。人間が沈むのは哀しいことだ。しかし、ただ力を貸すだけではつまらない」
「助けてやるから報酬をよこせってことか。それで、何が必要なんだ? 金以外なら、まあ大体ある」
カピオが渋い顔を覗かせて、海の向こうを垣間見る。セイレーンの姿は見えないが、今もその唄声のような音は響いていた。
彼の言葉に、頷き返すと、そのままシリウスは視線を流す。
傍らに立つ、空色の髪の回復術士へと。
「昨夜アイクティエスで響いた唄を、もう一度聞かせてほしいそうだ」
「それって……」
「うむ。リリアの唄を、聞きたいというリクエストだな」
色々とセイレーンは言葉を並べていたが、要約するとそういうことだった。それを聞いたリリアはわかりやすく目を泳がせて慌て始める。
「わ、私ですの!?」
「うむ。どうやら昨晩披露した聖歌をやけに気に入っておるようでな。美しく、心地よい歌声だったと絶賛の嵐だ」
「そ、それほどのものじゃありませんのよ。私の唄をその、評価してくださるのは嬉しいのですけど。今は唄を歌っている場合ではありませんこと?」
「余たちにとってはそれどころではないかもしれぬが、セイレーンにとっては大事なことのようでな。すまぬが、歌ってやってくれぬか?」
困惑している瞳をシリウスが覗き込む。僅かに、気恥ずかしさも滲んでいるその顔は、やがて抵抗を諦めたのか、決意を固めたものへと変わった。
「……わかりましたわよ。それで何かの役に立てるなら――」
リリアが、その瞳を閉じた。その間も風は吹き、雨は荒れる。船は、海の底へと続く渦の中心に向かっている。
そうしている場合ではない、この状況で。
しかし誰もが、静かに黙り、彼女を見守っていた。
「―――――――――」
そして、リリアの口元が開く。高く、澄んだ空を思わせる突き抜けるような声に伴い、しっとりと落ち着いた旋律が奏でられる。
高音なだけではない。抑揚がはっきりとしており、聞く者の心を動かすだけのリズムが紡がれていく。
「これは、昨夜聞いた歌声……」
「良い声だねェ。酒が進むや」
雨の中、海上を駆け抜けていく音響がこだましていた。ここに一人の少女が歌うと、そう存在を主張している。
「……心が洗われるようだ」
「同感です」
先ほどまであった、事態への不安感は既に消えていた。諦めたわけではない。船内に漂うのは、歌声続く希望の風。
「――唄が……」
耳に、さらに唄が広がる。リリアのモノだけではない。海の彼方から張り上げるように、隣で子どもが口遊むように。
幾つもの晴れやかな声が、連なり始めた。
「良い歌声だ」
シリウスは瞳を閉じて、そのコーラスに浸る。
さながら、劇場に足を運んだかのようだ。静謐な空気の中、澄み渡るのは美しく荘厳な歌声たち。リリアの声も、セイレーンの声も、互いに邪魔をし合うことなく、共鳴してさらに空間を彩っていく。
「見ろ! 海が――」
カピオが驚いて、そう叫ぶ。夢から覚めるように、瞼を開くと先ほどまであった大渦が、いつの間にか消えていた。
「こりゃあ、なんということでしょうか」
「奇跡だなァ、ガハハ」
風や雨の勢いは変わらない。鬱々とした黒い雲が頭上に広がり、嵐の只中にいることがわかる。
しかし先ほどまであった荒波はない。波は、その音を小さく立てるばかりで、船に与える揺れは晴れやかな日の航海のそれと変わらないほど。
歌声に応えるように、海もまたその情景を相応しいモノへと移していた。
「奇跡などではない。魔獣と人が手を取り合えば、これぐらいの難事は些末なこと。憶えておいてほしい。魔獣は決して、人間に仇なす存在ではないということを」
歌声が彼方へと伸びていく。鳥が自由に空を飛ぶように。魚が海原を駆け回るように。
彼女たちが重ねる唄は、さらに楽しそうに流れていく。
「さて、スズよ。これなら航行は可能か?」
「……はい! 必ずや、皆さんを無事に、東都までお連れすることを約束します!」
「うむ。頼んだ」
そうして船は再び前へと進みだす。雨風は未だ強い。しばらくそれも続くだろう。
だが、対して海は穏やかに揺蕩いながら、航海を見守っている。
曇天。嵐の中。目的地まではまだまだ距離はあるが、船内に降りた雰囲気は陰鬱なものではなくなっていた。
「改めて向かおう。――東都、アウラムへ」
その少女の声に同調するかのように。
歓声のような祝福の唄は、行く先のどこまでも響き渡っていた。
お読みいただきありがとうございました!
シリウス一行はいよいよ東都アウラムへ――!!
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




