魔王の娘と酒場にて 後編
「ならば何故それを告発せぬのだ? いかに英雄と言えどもそこまでの横暴は到底許されないだろう」
民にはその権利があるはずだ。無論、国だって勇者の横暴を許すはずはないだろう。見たところこの国は軍事力で抑圧されているわけでもなく、寧ろ民は自由にされているとさえ感じる。
多少の意見も国は聞き入れるだろうとも思える。
だが、店主から酒を受け取った商人の男は、グラス片手にゆるゆると首を振ってみせた。
「できねえのさ。この都市は、あいつに生かされてるんだからよ」
「生かされている? 勇者アルタルフは何かしておるのか?」
瞬く間にグラスに入った酒を半分ほど飲み干した男は、溜息を一つ吐いてその問いに応じた。
「結界って知ってるか? えーっと何だっけか? 何とかっつう特殊能力らしいんだが……」
「特異星。勇者アルタルフの持つそれは【神魔拒絶の障壁】とそう呼ばれています」
「ああ、それそれ。ともあれ、それがこの都市全体を覆ってるってわけだ」
店主の言葉添えもあり、勇者アルタルフが振るう力の一端を知ることができた。しかし、ふとシリウスは疑問を抱く。
「何故結界で都市を覆うだけで生かされておると、そこまでなるのだ?」
「そりゃあお嬢ちゃん。その結界のおかげで、魔獣がこの都市に侵入できないからな。結界がなけりゃ、今頃この街は魔獣に脅えてただろうぜ」
「……その結界は、魔除けの効果でもあるのか?」
「は? いや、そりゃそうだろ。じゃねえと魔獣が入ってきちまう」
「ふむ、そうだな。それが道理だ」
店主を横目で見ても訂正が入る様子はない。ということはこのカピオという男が嘘を吐いている可能性は限りなく低いということだ。
だが、その話には絶対的矛盾が発生してしまっている。
シリウスは魔獣の王の娘だ。人の姿はしているものの、魔獣という枠組みからは外れていない。
つまり、仮に本当に結界が正常に作用しているならば、シリウスがこの都市に入ることはできないはずだった。
――勇者は特異星を発動していないと見るべきか。
あるいは発動できない事情でもあるのか。断定は禁物だが、この情報は現在の勇者を表す手がかりでもある。
「色々と助かった。礼を――」
理解し難い部分を飲み込んだシリウスは二人に礼を告げようとしたその時、不意に視界が闇に支配される。
照明という照明から光が消え、夜の暗がりが外同様に店内にも生まれていた。
「……なんだ? 停電か?」
「お嬢ちゃん街中に張ってあった張り紙見てねえのか? ほら、窓の外見てみろ」
突然明かりがなくなったというのに、男含めた全員が先ほどまでと変わらない調子で盛り上がっている。
言われた通りシリウスが窓の外に目を向けると、タイミングよく虹色の光が夜空に咲いていたのが見えた。
「あれは?」
「ああ、知らねえのも無理はねえか。ありゃ花火つってな。何でも東方の技術を真似して魔術で再現したんだとよ」
男が話している間にも花火は空に咲き続け、時間にして五分ほどではあったが街の夜を彩っていた。
そうして、花火が終わると同時に、再び照明がその灯を取り戻す。
「なるほど。今の停電は、花火をより際立たせるためのものだな」
「そうらしいぜ。これもアルタルフの思い付きでな。祭りの期間は七時ピッタリに照明が消えるようになってる」
壁に掛かっている時計を見れば確かに七時を少し過ぎた時間を指している。
「随分とロマンチストな勇者なのだな」
「どうだか。ただ自分勝手なだけだと思うけどな」
そう言い、商人の男はグラスに残った中身を一気に呷る。
勇者と、彼の評判。それに最も知りたかった部分を知ることができた。想定以上の収穫に改めてシリウスはその場で感謝を述べる。
「二人とも礼を言う。おかげで、勇者のことが僅かながら分かった」
店主は無言で頷き、対して商人の男は物足りなさそうに空のグラスを回しながら声をさらに張った。
「なんだなんだ? もういいのかよ。他にもまだまだあるぜ? 勇者アルタルフの知られざる女性関係とか――」
「へえ、カピオ。勇者様にそんな噂があるなんて知らなかったよ。ぜひ、聞かせてほしいな」
唐突に、別の男の声が挟まった。爽やかながらも落ち着いた声の主は、カウンター席の男へと肩を組んで、すぐさまそれは振り払われる。
「って、カラン隊長様かよ。今日は憲兵隊の仕事はもう終いか?」
「そんなわけないだろ? 魔獣討伐部隊編成の通達が来てから、人の手が足りないんだよ。アルタルフ様が気前良く俺らの隊以外を全部向かわせたからさ。しわ寄せが全部俺の隊に来てる状態さ」
カランと呼ばれた金髪の男は、その短い髪をガシガシと搔きながら溜息を吐いた。
「そんな忙しいのに、こんなところで油売ってていいのかよ」
「ちょっとした息抜きさ。それに、何やら不測の事態があったらしくて、他の部隊は数日で戻ってくるらしい。それまでの辛抱だよ。店主、ミルクを一つ」
その男の声を皮切りに他の客たちも注文をし始める。情報収集もこの辺りが潮時だろう。
「馳走になった。機会があれば、また来よう」
言いながら椅子から降りた。並ぶカウンター席を通り抜けて、出口へと向かう。
「……? おいどうした、カラン隊長様」
「いや、何か――」
そう呟く男の視線がシリウスへと向けられるものの、彼女はそれを意に介さない。
外に出たシリウスは再び街の活気を全身に浴びる。祭りはこれからだと言わんばかりに、その勢いを増していて、人混みも如実に増えていた。
「そうだ。シャーミアに何か買って帰るとしよう」
どこか元気がなかった旅の仲間の顔が思い浮かび、少女は軽い足取りで祭りの雑踏へと消えていくのだった。




