アルデバラン家②
リリアの家の執事は柔和に佇む……
「申し遅れました。私、名をペルセミリスと申しまして、アルデバラン家の執事をしている者でございます。以後、お見知りおきを」
帽子を取り、深々と腰を折る。終始笑顔を崩さずに自己紹介を終えたペルセミリスが再び顔を上げると、シャーミア、それからルアトへと順番に視線を向けた。
「シャーミア様に、ルアト様、でございますね。もうお一方、シリウス様がお見えになられませんが、まずはお二人にお礼を申し上げます。この度は、リリアお嬢様をお守りいただきありがとうございました」
「どうして僕たちの名前を? 名乗った覚えはありませんが」
眉を顰めて尋ねるルアトに、ペルセミリスは澱むことなく当たり前のように応じる。
「リリアお嬢様の旅に関わる者は全て把握しなければ執事として名折れ。お嬢様が安全に旅をできるように、ありとあらゆる危険因子は排除しなければなりません。挨拶する者がいれば、その方のお名前を調べ、食い物にしようと企む輩がいれば、人知れず対処する。それが私の務めです」
「排除って……」
柔和な態度からはかけ離れた単語が飛び出してきて、思わずたじろぐ。いま目の前にいる彼からは敵意のようなものは感じないが、言葉の端々で釘を刺されている気がした。
「もう、ペルセミリス。あまりこの方たちをからかわないでくださいまし。あなたがこうして姿を見せているということは、さらさらその気はないんじゃなくて?」
「はは、お嬢様の仰る通りです」
リリアが呆れた様子で腕を組みジトリと睨むが、ペルセミリスはそれを意にも介さず、寧ろより笑みを深くして頭を下げた。
「申し訳ございません。少々戯れが過ぎました。皆さま方のご活躍は見聞きしております。それに、お嬢様に仇なす存在ではないということも存じております。出会ってまだ数日ではありますが、お嬢様も随分と心を開いているご様子ですからな。そのような方々に手向けを贈るなど、それこそお嬢様への背信行為と呼べるでしょう」
「……え、っと。あたしたちのことは認めてくれるってこと?」
色々と言葉を並べられるが、噛み砕いて言うとそういうことなのだろうと思った。再び戻り始めた平和な空気を肌で感じながら、念のため確認をするシャーミアに、ペルセミリスは頷く。
「左様でございます。認めると言うと烏滸がましい限りですが、どうか気を悪くなさらないでください。皆さま方はリリアお嬢様を守り、導いてくださっております。既にお嬢様にとってもかけがえのない存在となりつつあることでしょう。どうか、今後ともお嬢様の仲間であり、友であり続けていただけますかな?」
「それは、言われなくてもそのつもりよ」
「ほほ、心地の良い返答ですな」
シリウスがリリアをどうするつもりなのかは知らないが、少なくともシャーミアにとってはリリアは既に仲間の一人だ。そして、今後それが揺らぐこともないだろう。
このペルセミリスという執事がどこまで看破しているかは知らないが、彼から感じていた僅かな警戒心のようなものは、完全に消えているような気がした。
満足そうな表情を浮かべているペルセミリスは、しかし、と、そう言葉を区切ってから、その眉を若干下げる。
「リリアお嬢様には使命もございます。その状況を逐一確認するのも私の仕事。今日は皆さま方へのご挨拶を兼ねて、そちらの方も伺うために来たのですが。リリアお嬢様、勇者殺しを見つけるという使命の方は、いかがですかな?」
「そ、それは……」
リリアの顔色が曇り、言葉が濁る。視線を彷徨わせて、やがて俯いてしまった。
シャーミアもルアトも、それを黙って見守る。シリウスから聞いた話だと、彼女は勇者と繋がっていて、勇者を殺した者の情報を流すような役割を担っているらしい。勇者からの刺客であることは知っているからこそ、彼女が板挟みになっているこの状況が、心苦しくも感じてしまう。
「……シリウス様――、勇者を殺した者を見つけ、今まさにその仲間として行動を共にしておりますわ」
「なるほど。それで、わかったことはそれだけですかな? その目的や優先事項、行動原理や弱点など、報告することがあれば聞きましょう」
「……」
彼女の瞳が揺らぐ。わかっている。リリアは根っからの善人だ。一緒に行動することを許してくれているシリウスのことを売るようなことをしたくないのだろう。それは、彼女の性格を鑑みればわかることだ。
シャーミアとしてもリリアが情報を渡すことで、彼女が今後の旅で気まずい想いをすることは望まない。
「別に、良いわよ。言っても」
「……シャーミア様?」
「あいつが、その程度の情報でくたばるわけないもの。もうちょっと、あいつのことを信頼? というか適当に扱っても、あたしはいいと思うけどね」
彼女が何を思って、この旅に同行しているのかは、正直よく知らない。本当に勇者を殺した者の情報を渡すためだけに取り入ろうとしているのなら、その演技力は大したものだが、恐らくそうではないはずだ。
彼女はきっと、彼女自身の意志でここにいる。
それはただのシャーミアの希望でしかなかったが、ルアトもそれに同調するよう口を開く。
「リリアさんにはリリアさんのやるべきことがあるんでしょう。どうか、僕たちのことは気にせずに、報告してください」
「ルアト様も……」
リリアがその瞳を瞬かせる。その瞬き一つで、戸惑っているようだった彼女の視線は、しっかりとした力強い意志と共に、ペルセミリスへと向かうようになっていた。
「……これ以上、お渡しできる情報はありませんわ。シリウス様は、正しく道を照らす星彩として、世界を導くお方です。誰にも、その邪魔をさせませんの」
「ちょ、ちょっとリリア!?」
そのままシリウスのことについて報告するものだとばかり思っていたシャーミアは、驚きのあまりそんな声を上げてしまっていた。
いったいどうしてしまったのか。リリアの意図が汲み取れず、困惑して見つめる。
ただ、彼女はちらりとこちらへと視線を合わせると、小さく頷いてみせた。
「報告事項はありません。――ペルセミリス、もう下がってよろしくてよ」
「お嬢様。アルデバラン家の代表として、そして勇者――、現当主であるフレヤデス=アルデバラン様の長女として、使命を任されておりますことをお忘れですかな? 得た情報の隠匿はただの裏切り行為。アルデバラン家、延いては母君の期待から外れる行動であることを十分にわかっておられるはずです」
「……もちろん。わかっておりますの」
言葉が、震えている。それでも彼女の覚悟は揺らがない。窘めるような棘を吐き出すペルセミリスに、抗うべくまっすぐその視線とぶつかり合う。
「でも、それでは世界は変わりませんの。今の聖都は、私の知るモノではなくなってしまいました。救いも希望も、光もない。ただ見せかけの救済だけが跋扈しているだけ。……私は、そんな故郷を変えるため、いえ――」
声に色が灯る。先ほどまであった弱々しく薄いものではなく、濃淡はっきりとした、感情の色が、はっきりと浮かぶ。
「元に戻しますの。聖都もお母様も、全部、ぜんぶ――」
決して大きな声だったわけではない。それでも、届く音はどれも力強く、潔い。
「……それが、リリアお嬢様の答えでよろしいでしょうか?」
「構いませんわ。これで私が裏切り者として扱われようとも、後悔はありませんの」
ペルセミリスの表情は柔和なまま。しかしその言葉一つ一つに圧がある。押し潰すような力任せな強さではなく、見定めるようなじっとりとしたそんな圧。リリアの頬を汗が伝うのを、シャーミアは見た。
「……」
しばらく、二人は見つめ合う。どれだけ時間が経ったか。壁に掛かった時計を見ても、数秒しか進んでいない。それほどの重い雰囲気が、その場を満たしていた。周囲が賑やかなことも相まって、ひと際強くそう感じてしまう。
「――わかりました。このペルセミリス、リリアお嬢様の覚悟を尊重いたしましょう」
「……え――?」
そうして、やがて彼が見せたのは、とびきり深い笑顔。上機嫌とも取れる言葉から繰り広げられるのは、それまであった気が遠くなるような圧の弛緩。
想定していなかったのはリリアも同様らしく、ペルセミリスのその変化に呆然としている。
「実は私としては、リリアお嬢様がどちらを選んでも後押しをするつもりでして。ただその覚悟を問うただけなのです。試すような真似をしたこと、どうかお許しください」
「え、じゃ、じゃあ――」
「はい。シリウス様の旅に同行することを正式に許可いたしましょう」
リリアの眼が、見開かれる。そして、口を一度結ぶと、溜めたものが溢れるように、再び開いた。
「あ、ありがとうございますわ!」
「とんでもありません。寧ろ、この爺や、お嬢様の成長を実感できたことを嬉しく思いますぞ」
それまで紡がれていた声よりも一層優しい声音に、もうこれ以上波立つことはないと確信する。
シャーミアを含め、その場の全員がひと安心していると、宿の扉を開けて、静かに入ってくる少女が一人。彼女は、宿の人間と一言二言会話したかと思うと、こちらへと向かってきた。
「――すまぬ、いま戻った。話しておるところ悪いが、出立の準備をしてもらおう」
お読みいただきありがとうございました!
宿に戻ったシリウスが急ぐ理由は……?
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