アルデバラン家
場所は移り、朝の宿……
「へえ、それじゃあ衛兵として働くことになったのね」
宿のエントランスホールで、シャーミアは対面に座る少女に向かってそう言葉を返す。
黒い髪を小綺麗に整えた彼女は嬉しそうに表情を華やがせた。
「そうなんだよ。昨日詰所で衛兵たちに色々訊かれてさ。嘘吐くのも良くないし、何より変わるって思ってたから全部喋ったんだ。オレがこれまでやった、盗みとかのこと」
エントランスホールは昨夜の騒ぎなどなかったかのように、朝食を取ったり新聞を読む人が静かな物音を立てている。それに合わせるように、彼女は言葉を発していく。
「怒られると思った。だってそれだけ悪いことをしたんだから。やっぱり、ちゃんと衛兵には怒られたしな。でも、そんなオレに真っ当な仕事をくれたんだよ」
「良かったわね。あの時テトラが、衛兵に連れられて行ってどうなるかと思ってたけど」
テトラは長らくこの街で盗みを働いてきた。それは日々を生きるための小銭稼ぎに過ぎなかったのだろうが、それでも罪は罪。何かしらの罰は与えられると思っていた。
あるいは、正しく示された道を進むことこそ、これまでの罪に対する贖罪なのかもしれない。
傍らにいたルアトは納得した様子で頷いて、テトラの方へと視線を投げた。
「『涙の勇者』が、身寄りのない子どもたちに仕事を斡旋する政策をしているようですね。彼女を衛兵に誘ったのも、その一環だと思います」
「まあ、あの勇者の寛大さなら納得ね。いかにも怪しいあたしたちを、こうして街に置いてくれてるわけだし。ちょっと偉そうだけど」
眼鏡を掛けた深い蒼の髪をした少年を思い出す。出会って日はまだ浅く、そんなに会話があったわけでもなかったが、彼のことは不思議と信頼できるような気がしていた。
勇者であるにもかかわらず、シリウスを受け入れたことが、フェルグの印象としては大きいのかもしれない。
「フェルグ様も、お父様が亡くなられて大変なはずですわ。それでも、他者に優しい部分は私が会った時と変わっておりません。彼は勇者として、この街の人々を導いてますの。……尊敬いたしますわね」
リリアが静かに、けれどもどこか嬉しそうな顔をする。同時に、影も見えたような気がした。彼女も勇者の関係者だ。何か思うところがあってもおかしくはない。彼女の中に、どのような感情、想いがあるのかシャーミアにはわからなかったが、それを安直に尋ねることもしたくない。結局いつものように過ごすしかないのだろう。
「リリアだって凄く頑張ってるじゃない。一人で旅に出て、色んな人を癒してるんだし」
「……ありがとうございます。ですが私、そのような立派な人ではありませんの。皆さま方ほど実力もなくて、まだ何も為せていないのですから」
「リリア……」
シャーミアたちは、彼女のことをよく知らない。善人であることを信頼しきっているものの、彼女のその善性の背景やそもそも何者なのかを正しくは把握していなかった。
「シャーミアの言う通り、リリア様は大変立派です。それに優しい方でもあります。それほど思い詰める必要もないと思いますが」
「そう言ってくださりますが、私自身が納得できていませんの。タウリ村で皆さま方に守って貰ってからずっと、自分にできることが何かを考えておりました。人を癒し、唄も歌えますが、それでもそれらは私個人でできていることではありません。親から与えられた魔術に、幼い頃から教わった聖歌。意思はありますが、そのどれもが私の意志ではないように思えてしまって」
胸に手を充てて、瞳を瞑る。正確に、自分自身のことを知覚するかのように、数度呼吸を繰り返した後、リリアは再び目を開いた。
「私は、痛感いたしました。この世界の広さ。人の温かさ。街の賑わいに、人々の営み。そして、己の未熟さを。この世には、怖い人たちも当然いますが、それすらも私の認識を改めさせる学びとなっておりますわ。それもこれも、全部、シリウス様にシャーミア様、ルアト様のおかげです」
ふわり、と。柔らかい笑顔を浮かべて綻ぶ彼女に、シャーミアもつられて笑う。
「あたしたちは何もしてないわよ。リリアが頑張ったから、その結果がついてきてるんじゃない?」
「ええ、ええ。爺やもそう思いますぞ」
「そうよね? ほら、この変な白い服のお爺さんもそう言ってる――」
瞬間。
シャーミアはテトラを、ルアトはリリアを庇うようにして立ち、突如現れた謎の人物と距離を取った。先ほどまであった温和な空気はすっかり醒めて、剣呑な雰囲気が場を満たしている。
現れた人物は、髭を蓄えた老人だった。黒と白が混じった髪を後ろに流しており、その頭に帽子を乗せている。顔に刻まれた皺の割には、年齢を感じさせない気がした。
それよりも彼の服が気にかかる。似たような服を『涙の勇者』の執事を着ていたが、あちらよりもどちらかと言えば派手に映る、白を基調とした意匠なのだ。ゆったりとした裾の先は黒で彩られていて、『涙の勇者』の執事が着ていたモノよりも異質だと感じられた。
「ほほう、随分とお早い反応。若い頃を思い出しますなあ。ですが、少し気付くのが遅いのではないですかな?」
「アンタ、何者よ?」
宿の中、不穏な空気を纏うものの、短剣までは構えない。それは、決して油断ではなく、男から敵意のようなものが感じられなかったからだ。
だが、全く気配を感じなかったのもまた事実。故に警戒度を引き上げて、相手の出方を窺う。
「あ、シャーミア様! この方は違いますの!」
「何が違うってのよ」
ルアトの背後から顔を出すリリアが、気まずそうに目を泳がせている。
そして、苦い笑いを浮かべると共に、口を開いた。
「この方は、私の家の執事でございますのよ」
「……え?」
リリアの言葉に目を向けると、紳士然とした男はその笑顔をさらに深く、微笑んでみせるのだった。
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