未だ夜は長く 前編
そこはアイクティエスから遠く離れた地……
暗闇の中に、灯る火が一つ。机の上に置かれた燭台、そこに佇む唯一の光源は風の吹かない室内で、ただ己の役割を全うし続け、身を溶かす。
広い部屋だった。到底蝋燭一つで賄えるほどの大きさではなく、その部屋の闇を拭うにはあと十数本の光源が必要だと言えた。しかし、その部屋の主はそれで十分だと言わんばかりに、机の前で座ったまま動かない。
椅子に座ったまま動かず、どれくらいの時が経っただろうか。やがてそこに座る少女は、目元を覆っていた器具を外し、恍惚の吐息を漏らした。
「はあ……、久しぶりに、楽しいひと時だったわ」
その黒髪は椅子に座っていても床に届くほど長く、一面に広がっている。それに対して、不快な印象は受けない。不衛生には決して映らす、寧ろ精巧な人形がそこに座っているような、そんな可憐な雰囲気を漂わせている。
髪も手入れが行き届いているようで、灯りに照らされると艶を纏いながら存在を主張し、より一層その髪が丁重に扱われていることが窺えた。
外した器具を待機していた侍女が受け取り、人形のように美しい少女は大きく伸びをする。他の侍女たちもそれぞれ汗を拭きとる者、飲み物を飲ませる者、身だしなみを整える者とで別れ、少女への奉仕をし始めた。
「役目は終わりましたか? ピグマリアン」
静かに、少女への奉仕だけが鳴る部屋に、大人びた女性の声が響いた。ピグマリアン、と。そう呼ばれた少女が首だけを捻り、部屋の入口に立つその女性を見止め、溜息を吐く。
「年頃の淑女の部屋に勝手に入るなんて、作法がなっていないわね、エリオレス」
「ノックはしましたよ、何度も。定刻を過ぎても部屋に籠っている様子でしたので、こうしてお邪魔していました」
「そう。まあ、いいわ。今は気分もいいもの。許してあげるわ」
そこに立つオーバーコートを羽織る長身の女性、エリオレスはやり取りに疲れたように肩を落とし、しかし冷たくも妖しい瞳をピグマリアンへと向けた。
「首尾は?」
「カダモスは壊れたけれど、それでも十分な収穫だったわね。元々の予定だった魔道具の設計書についても、一通り中身は見れたんだもの」
淡々と報告するピグマリアンに、エリオレスは肩を竦め、尋ねる。
「珍しいですね。幾ら遠隔で操っているとはいえ、あなたの人形が壊されるほどの事態が?」
「ええ。『星の勇者』様と『涙の勇者』様がいたのよ。『涙の勇者』様とぶつかるのは想定通りだったけれど、まさか『星の勇者』様までいるとは思わなかったわ。あ、設計書については持ち帰れなかったけれど、ピグの頭の中に入っているから安心していいわよ」
うんざりしたように、息と共に言葉を吐き出すピグマリアン。しかし僅かに嬉しそうな声音も滲んでいる。
「それにしては、機嫌が良いですね。久しぶりの外出で舞い上がりましたか?」
「……そうね。ふふ、それもあるけれど、久しぶりに凄い魔術師に出会えたのよ。誰だかわかるかしら。聞いたらきっと、驚くわ」
打って変わって、その声を弾ませる。上機嫌であることを隠そうともせず、謳うように話す彼女に、エリオレスは纏う雰囲気とは裏腹に、ふわりと柔らかく笑った。
「魔王のご息女様でしょう? 海運都市アイクティエスに向かったという報告は受けていましたから」
「そう、そうなのよ! 久しぶりに胸が高鳴ったわ! どうしてもっと早く教えてくれなかったのかしら」
「どれだけ言っても聞かなかったはあなたですが。まあ、やる気になってくれたのなら良かったです」
エリオレスが扉を開けると、薄い明かりが漏れ、暗い部屋に入り込んできた。舞う埃が照らされて、雪のように漂っている。
「行きますよ。定刻は過ぎていますから。これ以上客人を待たせるわけにはいきません」
「客人?」
「事前に言っていたでしょう。勇者が来ると」
「ああ、そうね。確かにそうだったわ。――行くわよ、ガラティア」
ピグマリアンが呼び掛けると部屋の隅で蹲っていたそれが反応した。
立ち上がるそれは、天井にぶつかりそうなほど巨大で、緩慢な動きでピグマリアンの元へと向かう。エリオレスも背が高い方だが、比べるまでもなくその存在の方が巨大だと言えた。騎士の鎧と兜を被るその巨躯は、少女に手のひらを差し出すとピグマリアンは満足そうな表情でそれを受け入れ、その掌に足を掛けると、手に納まるように座り込んだ。
「勇者様と出会うのなら、もう少し身だしなみを整えた方が良かったかしら?」
「それ以外にドレスを持っていないでしょう。そのままで問題ありませんよ」
騎士の腕に抱かれるピグマリアンに、エリオレスが興味もなさそうにそう返す。
「それで、どういう内容の話し合いだったかしら」
「あなたは本当に魔術以外の面ではダメですね」
「そういうのはいいわよ。後で幾らでも聞くもの」
ピグマリアンの態度に溜息を漏らし、エリオレスは僅かに開いていた扉を開け放った。
光が闇を拭い、希望のように満ちて這う。
「今からあるのは、世界を変える密会です。勇者と我々、魔神臨在学会、双方による密約。それは混乱と混沌をもたらす、夜明けとなることでしょう」
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