アイクティエスに響く唄 後編
街の人々の避難を行っていたシャーミアの耳にも、その歌声が届く。
「この声……」
聞き覚えのある声。水路を通して渡る旋律は確かに、リリアのものだった。その歌声に重なるように現れた、ふわりと浮かぶ仄かに輝く球体が、色とりどりの粒子となって混乱極まる街に降り注ぐ。
不思議と、皆がそれを受け入れる。怖いものではない。寧ろ、この響く唄のように暖かいものであると、見上げる者たちは直感的に理解していたのかもしれない。
やがて、それに触れる。感じる魔力は確かにリリアのモノ。
手に触れた粒子は僅かな発光を残して、体に溶けた。
「暖かい……」
陽だまりに触れたかのような、心が安らぐ温もり。同時に、それまであった疲労感のようなものも払拭されていた。
回復魔術の一種だろうか。リリアが回復魔術を扱えることは聞いていたが、まさかこれほどの広範囲にまで及ぶものを行使できるとは思ってもいなかった。
「――シャーミア!」
まるで輝く雪が降る。そんな幻想的な光景を眺めていると、呼ぶ声と共に一人の少女と、男性がこちらへ向かってきているのに気がついた。
「テトラ。それと、カピオさん。体はもう平気なの?」
「ああ、問題ねえ。回復魔術師のお嬢ちゃんのおかげだな」
しかし、カピオという商人は言葉の割に元気はなさそうだ。彼もリリアの魔力に触れたはずだが、何か気に掛かることでもあるように、その背は落ち込んでいるように見えた。
「……その、助けてくれてありがとうな、お嬢ちゃん。いやシャーミアさん。あんたが来なかったら、今頃生きてたかも怪しい」
「なに、そんなこと? 別に気にしなくても良いわよ。あたしが自分の判断でやったことだし、それにカピオさん、テトラのこと守ってくれてたでしょ? そういう人は救われて当然なんだから。あと、さん付けは止めてよね」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけどな。これでも俺は商人なんだ。救われっぱなしじゃ納得できねえ。どうにか、恩返しさせてくれねえか!」
熱の籠った言葉が響く。感謝やお礼を言われるのは構わないが、何かをしてもらおうと思ってもいなかった。困惑するシャーミアにテトラが呆れたように声を漏らす。
「おっちゃん、ずっとこう言ってんだよ。シャーミアから何か言ってやってほしくてさ」
「そう言われても、あたしだって困るわよ。見返りが欲しくてやったんじゃないし」
肩を竦めてそう返す。実際、現状には満足している。お金が欲しいわけでもないし、モノを買うのに困っているわけでもない。欲しいものがないことで、こんなに悩む日が来るとは思ってもみなかった。
しばらくあれこれと考えた結果、やはり何も出てこないので、シャーミアは彼への望みを伝えることにした。
「じゃあ、その助かった命で色んな人を助けなさいよね。あたしよりももっと、手を差し伸べるべき人はいるはずだから」
「そ、それはもちろんだ! できることはなんでもやるつもりさ。でも俺は、そういうんじゃなくてもっとちゃんとお礼を――」
「テトラもよ。わかってる?」
カピオの言葉を無理やり遮って、テトラにも同じ矛を向ける。わかってるよ、と話を振られた彼女は、そうぶっきらぼうに口にして気まずそうに目を背けた。
ひとまずはその場は丸く収まった。まだカピオは納得していない様子だったが、彼がまた何かを言うその前に、衛兵たちから声が掛かる。
「商人のカピオさんと、テトラさんですね?」
彼ら衛兵たちは、何かの紙と二人を交互に見ながら、咳払いをした後、さらに続ける。
「今夜の闇取引に関わった方から事情を伺っています。詰所まで同行を」
言葉は淡々としているが、衛兵のその瞳は彼らが罪人かどうかを見定めようとしているようだった。苦い顔をするカピオとテトラに、溜息一つ。それから腰に手を充てて、シャーミアは言葉を贈る。
「ほら、できること何でもやるんでしょ? アンタたちが罪人かどうか、ちゃんと見極めてもらって。それからまた、話しましょ」
言いながら笑って見せる。美しい歌声が静寂を埋める中、黙っていたカピオは頷き返した。
「そうだな。嬢ちゃんの言う通りだ。また、機会があれば絶対、恩返しさせてくれ」
「お、オレも! ちゃんとこれまでのこと話す! それで、シャーミアみたいにカッコよくなるよ!」
テトラもまた、慌てたようにそう告げると、二人は衛兵たちに連れられて詰所へと去っていった。
今なお、歌声は続く。
風が時折強く吹く中、光の雪が降り注ぐ。
そして、それを見上げるように、シャーミアは天を覆う曇り空を仰ぐのだった。
◆
「……ん」
「起こしてしまいましたか、フェルグ坊ちゃま」
落ち着いた声が、落とされる。目を開くと、ぼやけた視界に、見慣れたレーヴァの顔が映った。
それから、鉛雲を背景に光る魔力の雪。手に触れると温かく、そして懐かしさが込み上がってくる。
「……リリアか」
「はい。彼女の歌声が、街を、そして人々を癒しています」
「ああ……、そうみたいだ」
そっと耳を傾ける。
父が生まれ育ったこの街に、一人の少女の声が鳴る。聖女の教えを説いた、平和と慈愛に満ちた聖歌は、穏やかな音色と共に安らぎを与えてくれる。
「海に響く、泡沫の呼び声か」
すっかり痛みも傷も消えた。思考の澱みもなく、いつも以上に動けるだろう。
ただ今は、信頼できるこの揺り籠で。
ひと時の夢心地を見よう。
◆
このアイクティエスには、ある魔獣との関わりがあった。
セイレーンと呼ばれる種族だ。彼女たちは沖で過ごし、海上に漂う自然な魔力を摂取し生きている。
しかし、温厚な魔獣だとわかったのはつい最近のこと。それまでは、彼女たちの響かせる唄には魔力が込められており、沖に向かった者を沈めて食べる、とそう考えられていた。
だが実際は違った。
彼女たちが歌うのは、獲物をおびき寄せるためでも、人々を食べるためでもない。
人間と同じだったのだ。
喜びを表す時に歌う。
悲しみに暮れる時に歌う。
コミュニケーションの手段が唄でしか取れない彼女たちにとって、最早刻む唄はそれ以上の意味を含んでいた。
曰く、晴れた日に届く唄は歓喜を刻み。
曰く、嵐の日に届く唄は警鐘を鳴らしている。
今のアイクティエスでは、セイレーンの唄が信じられている。人間と共に過ごす、仲間として。
そして、今日もまた。
美しく響く聖歌に共鳴するように。
彼女たちの歌声が、音色を鳴らす。
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