シャーミア=セイラス④
人気の少ない水路に、甲高い金属音が響き渡る。
周囲は暗い。遮蔽物らしい遮蔽物は近くにはなかったが、宙から接敵する分には関係はなかった。
気配さえ隠せていたなら完全に不意を突いたはずの一撃を、しかし勇者は軽々と受けて見せた。
「君は……」
勇者と視線が交錯する。漏れ出たその言葉に、僅かな動揺の気配を察知し、すぐに空いたもう片方の手でそれを投げた。
「何を――」
それは彼の影に深々と突き刺さる。ただそれだけ。勇者も回避や防御といった行動は取らず、僅かに地面に刺さった黒い短剣を一瞥するだけ。
しかし、それで十分すぎた。勇者が何かに勘付いて、すぐに対処へと移行する兆候を感じ取る。
空中で身を捻り、そのまま地面に倒れる男と呆然と佇む少年を回収。瞬時に勇者から彼らを引き離す。
「おっもいわね……。悪いけど、もうこれ以上運べないわ」
「シャーミア!? なんで――」
抱えていたテトラをシャーミアは地面に降ろし、驚嘆に染まる彼を見て笑ってみせた。
「ちょっと色々あってね、近くにいたのよ。爆発音があったから来てみれば、アンタが勇者と対峙してるし、周りは滅茶苦茶だし、よくわかんない状況だったけど、まあ間に合ったみたいで良かったわ」
テトラの頭を撫でてやる。安心させるための行動だったが、その手に彼の体の震えが伝わってきた。
「……君、昼間に聖女の娘と一緒に行動していただろ」
爽やかな声が飛ぶ。感情に染まっていない、穏やかさすら覚える声音だ。発生源である勇者の方を見ると、彼は剣を構え直して見定めるような瞳でこちらを見つめていた。
――《カゲヌイ》が効いてないの? いや、一瞬だけど体の硬直はあったはず。
彼の影には未だ黒い短剣が突き刺さっている。だが、本来動けないはずの彼の体は自由に動いていて、《カゲヌイ》の効力が見られない。
そのことに訝しみながらも、表情には出さず冷静に受け答える。
「そうね。だったら何?」
「いや、少し不思議だったんだ。聖女の娘の任務は僕も聞いていたからね。勇者殺しを探し、情報を流すという内容だったはずだけど、会ってみれば共に行動する仲間がいた。君たちと、聖女の娘との繋がりについて、聞かせてくれないか」
「……たまたま会ったのよ。それで意気投合したの。悪い?」
「悪くなんてないさ。もちろん、君の言葉が本当なら、だけど」
言葉の端々にイヤな気配が粘着している。まだリリアと自分たちとの関係についてバレている様子はないが、疑われているのは事実なようだ。
別にシャーミア個人が命を狙われる分には構わないが、リリアまで巻き込むのはこちらとしても勘弁だった。彼女本人は覚悟を決めていようがいまいが、シャーミア自身がイヤなのだ。
「人を疑うのは結構だけど、あたしからすればアンタが勇者なことの方が疑わしいわね。……アンタ、この子殺そうとしてたでしょ」
それに、この目の前の勇者が気に食わない。英雄だろうが、人々に人気だろうが、どれだけ力に差があろうが。
無抵抗な子どもに手を掛ける人間が、良い奴なわけがない。
「もちろん。彼を殺すことで無辜の民が傷つかないなら、僕は喜んで自分の手を汚すよ。それが、勇者としての僕の役目だ」
「この子が無実だとしても?」
「その少年が例え何の罪もなく、武器を持っていなかったとしても、操られている線だってあるかもしれない。一度悪の道に落ちた人間は、疑われて当然。どんな可能性だって考慮すべきだ。僅かでも人を傷つける要素があるなら、その芽は摘んでおくべきだろう。人々が無意識化に抱える不安はやがて大きな不安となって、周囲に混乱をもたらす。そうなる要因は、全て取り除かないといけない」
彼の瞳は一度も揺らがない。それはまるで炎のよう。悪という蔦を全て燃やすまで、勢い止まず進撃を続ける。苛烈に、全てを巻き込みながら、自らの意志で焼き焦がす。
情念などという生易しい感情ではない。
そこにあるのは、正義への執着。
それ以外を許さないという、巨大な岩塊のように固い意思が、彼を動かしている。
「……話し合いは無駄のようね」
「それもそうだろう。元より僕たちが友好的な間柄になるのは難しかっただろうさ。君は、その芽を庇ったんだから。……どうしてその子を助けたんだ? 仲間、というわけでもないんだろう?」
「ただの知り合いよ。それだけ。今日知り合ったばかりのね」
「なのに君は、たったそれだけのために罪人を庇うのか?」
「……そうね。アンタからすればバカバカしいかもしれないけど。――それが、あたしの意志だから」
「そうか。お互いに譲れないモノがあるのは、僕にも理解できるよ。いがみ合い、対立して、そしてどちらかが身を引く。世界の歴史は、いつだって変わらない」
そう言うと、彼はただ茫然と見守っている衛兵たちに視線を向けた。
「君たちは離れておいてくれ。あと、ここには誰もいれないようにしてほしい。巻き込んでしまうかもしれないからね」
「あ、はい! わかりました」
衛兵たちはそのまま賑やかな通りの方へと向かっていった。今、ここにいるのは自分と勇者、傷だらけの男に無力な少年。正直、力の面以外でも勇者の方に分があると言えた。
「さて、君には聞きたいことがたくさんあるけど、まずは抵抗できないように手足の腱を斬らせてもらうよ。話はそれからだ」
「できるもんならやってみなさいよね」
口ではそう啖呵を切れるものの、目の前に佇む存在に全く怖気づいてないと言えば嘘になる。
相手は勇者だ。明確な格上で、しかもシリウスでも勝てないと言わしめた存在。
それに自分がどれほど抗えるのか。善戦できるかも怪しいだろう。
ただ、それでも逃げるという選択肢は、シャーミアの中にはなかった。無謀なのに、策もないのに、ただ死ぬだけかもしれないのに。
目の前の脅威から、背中を向けるのは、違うと。
心で自分自身が叫んでいた。
そんな想いも、踏み躙るように冷たい声が、水の音が揺蕩う路地裏に跳ね返る。
「――『星の勇者』の名の下に、世界の悪を根絶しよう」
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