アイクティエスの夜市で今宵⑤
「……?」
何やら街が騒がしい気がする。ここは三十番水路。夜市が開かれている幾つかの大水路からはそれなりに距離があるはずだが、喧騒というか、騒々しい叫び声や怒号が時折耳に届く。
幾ら夜市を催していると言えども、これほど騒がしい日を、カピオは知らなかった。
「なんだか夜市が盛り上がっちまってるようですねえ。どうです? 俺たちも取引終わらせて一杯行きませんか?」
カピオは暗がりに佇む小太りの男に意気揚々とそう提案する。名前は聞かされていないが、定められた時間、この場所に来ているということは、自分の取引相手なのだろうと予想していた。
「……? どうしたんですかね? 早く取引を――」
「悪いが取引はできねえな」
「な――っ!?」
思わず、目を見開く。目の前にいる男は薄ら笑いを浮かべていて、こちらを見下すような視線を飛ばしている。
「ど、どういうことだ!?」
気が動転したあまり、取り繕っていた言葉がいつもの口調に戻ってしまう。それほどまでに、想定外の回答だった。
ここへは魔道具の設計書、その取引をしに来ている。もしや何か間違いを犯してしまったのか。
「ああ、いや。正確に言えば俺は設計書を持っていねえから取引できねえんだわ」
「な、何を言ってんだ? 今夜ここで取引をしようって、言ってきたのはあんたたちだろ?」
「そうだな。お前の認識は間違ってねえ。ちゃんと伝わってるみたいで何よりだ」
「なら、どうして――」
山積する疑問は解消されない。彼がここに取引をしに来たわけではないのであれば、一体その目的は何だ。
その疑問を上から潰すように、重々しい足音が背後から響いた。
「そこまでだ」
海風のように吹き抜ける、爽やかな声。柔和さの中に、凛々しくも強い音色が混ざるそれに、カピオは振り返る。
「あ、あんたは、勇者様!?」
鉛のような鈍色の髪に稲穂色の瞳。双眸は優しさを映しながらも、こちらを咎めるような視線を向けている。
カピオは、突如現れた彼のことを知っている。『星の勇者』、セフィカ=バルザ。かつて魔王を討伐した勇者軍の内の一人で、今では様々な地域に赴いて弱者に手を差し伸べているらしい。
そんな若くして偉大な人物が、何故自分の前に立つのか。まったく心当たりがないわけではない。
ここで行われるはずだった取引の内容。ある少女から、これに関わるのは止めておくよう忠告を受けた。
まさかとは思うが、思い当たる節はそれぐらいしか思い浮かばない。
次から次へと起こる出来事に唖然としていると、取引相手だった男が鼻を鳴らした。
「はっ、とんだ大物が連れたもんだぜ。まさか『星の勇者』様とこうして直面できるとは思いもしなかったな。暇なのか?」
「生憎と僕は暇じゃない。やるべきことを済ませて、別の取引先に急がなくちゃならないからな」
彼らが何を喋っているのか理解できない。会話の間に挟まれながら、とにかくカピオは現状理解に努めようと声を発する。
「あ、あんたら何を言ってるんです? 別の取引って……」
「悪いな。この取引はいわば囮でな。本命の取引をするための偽装工作に利用させてもらったのさ」
「は……? それじゃ、最初っから取引するつもりは……」
「当然ねえよ」
「――――っ」
そんな。
それではこれからどうしろと言うのだろうか。この取引で商人として再起を図るつもりだったのに、これほど残酷なことはあるだろうか。
目の前が真っ暗になった気がした。悔しさと、自分の不甲斐なさに眩暈がして、膝から崩れ落ちる。
そんなカピオに、哀れみの視線が降り注ぐ。
「……色々な商人を巻き込んで、そこまでして何を企んでるんだ?」
「大した事じゃねえよ。ただオートカール兄貴が望む世界を作るだけさ」
「それが正道に反することでもか?」
「当然。オートカール兄貴が邪道を進むなら、そこは正道となるだろうぜ」
「なるほど。対話の余地なしか」
そう呟くと、『星の勇者』は悲しそうな瞳を湛え、背中に背負った剣を引き抜き構える。彼の半身ほどはあるそれは、見た目は普通の剣だ。しかし所々に施された装飾が、夜にも関わらず煌びやかに輝く。
「殺しはしない。けど、痛い目をみる覚悟はすることだ」
「はあ……。いやあ、できれば喋って時間稼ぎをしたかったんだが、そう甘くはねえか」
小太りの男も対応するように懐から短剣を取り出す。一触即発の空気だ。カピオは喋ることもできず、ただ脅えながらその光景を眺めることしかできない。
「そんじゃ、勇者様がどれほどの腕前か、確かめてやるか――」
小太りの男がそう口にした。短剣を構えて、今にも襲い掛かりそうな姿勢を取った彼のその声は、不思議なことに遥か上空から聞こえた。
「――は?」
上空から再度、今度は間の抜けた声が降った。
気付けば勇者の姿もない。もしやと振り返ると、先ほどまで小太りの男がいた場所に、その勇者は立っていた。
そうして視線を巡らせている間に、小太りの男が落下。そのまま地面に叩きつけられた。
「が、あ……。な、何を――」
「何って、ただ君の体を上に投げただけだよ。君を無力化する方法は幾らでも思いつくけど、魔術師でなければこれが一番手っ取り早い」
「う、そだろ……」
背中から落ちた小太りの男は息も絶え絶えになりながら勇者を睨む。目で追えなかった。目の前で息の乱れもなく佇む彼と、自分とでは生きるステージが違いすぎる。
大人しく降伏した方がいいだろう。
そう思った、矢先のことだった。
「待て!」
「しつこいってお前ら――!!」
通りの向こうからこちらに向かって走ってくる、騒がしい一団が目に映る。先頭を走る少年を、衛兵たちが追い掛けているようだった。
「よっと」
「え、は?」
そしてそのままカピオたちがいる通りに差し掛かった瞬間、勇者が少年の首根っこを捉えた。さすがに子どもには乱暴をしない様子で、ホッとひと息を吐く。
「ああ、セフィカ様! 助かりました! そいつすばしっこくて」
「おい! 離せ!」
肩で息をしながら追いついてきた衛兵たちに、勇者に捕まった少年は宙で手足を暴れさせている。
「この子は?」
「ああ、えっと。そいつ、怪しい取引をしてたんですけど、話聞く前に逃げたんですよ。というかスリの常習犯で、よく報告を聞いてます」
「へえ……」
暴れる少年を薄い目で見つめる勇者。まさかあの少年も自分たちと同様に騙されたのか。オートカールというヤツはどこまで他人を巻き込むつもりだ。
「この――!」
「うん?」
と、眺めていると少年が着ていた外套を脱ぎ捨て、勇者の体を蹴ってその捕縛から逃れた。そしてそのままの勢いで逃げようと踵を返す。
「待て――」
「勇者の相手は俺だ!!!!」
倒れていたはずの小太りの男が叫び、起き上がる。先ほどの落下で相当の手傷を負っていたはずだ。実際彼の体はふらついている。
しかし、その瞳はしっかりと勇者を見据えて、そして不気味にも――
笑っていた。
「何を――」
「取引を邪魔する奴の足止め。それがオートカール兄貴から命じられた使命!」
さらに声高に叫ぶと同時。彼の周囲を複数の幾何学模様が埋め尽くす。淡く輝くそれは、展開された瞬間、さらにその発光を強め――
「まずい――! 全員、退避を――」
「吹き飛べ――」
夜闇を拭う閃光と爆発が、周囲一帯を埋め尽くした。
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