アイクティエスの夜市で今宵④
「衛兵長! 三番水路の通りで酔っ払い同士の喧嘩です!」
「一番大水路付近で盗みが出たらしいです!」
焦った声が衛兵の詰め所にこだまする。そこにはある一人を除いて他に衛兵は誰もいない。本来ならば待機している衛兵が数人いるはずだが、その日はほとんど出払っていた。
「喧嘩が起きたらすぐに止めに入れ! 市民が怪我をしたらどうする! 盗人は見失ったなら被害者から情報収集しろ! 被害者を不安にさせるな!」
「わかりました!」
顔を出すだけ出して、衛兵の二人はすぐに詰め所を後にした。
「はあ、なんなんだ今日は……」
そして残された髭面の男が一人、溜息と共に吐き捨てる。
アイクティエスの夜市は連日行われている。祭りだからとか、特別な日だからとか、そういったことはなく、夜にやっている市場、だから夜市なのだ。大方は観光客を目当てにした市場なのだが、その集客効果は朝市にも劣らず、今ではアイクティエスの目玉となっていた。
当然、人が多く集まる場所には、トラブルが付き物。これまでにも何度か、夜市で騒ぎは起きていた。
しかし、今夜はその報告数が桁違いだ。やれ喧嘩が起きただの、やれ酔っ払いが迷惑を掛けているだの、いつも聞いているような報告ではあるのだが、その数が多すぎる。
いずれも取るに足らない小さなもの。規模で言えば、子ども同士の喧嘩と同程度だ。衛兵を一人派兵させれば、穏便に解決できるだろう。
だが、詰めている衛兵の数にも限りがある。一人が対応に向かっている間に、別の場所で事件が起き、それの連鎖がいまアイクティエスでは起きていた。
「忙しそうだな、衛兵は」
「お前たちのような不届き者がいなければもっと仕事はラクなんだがな」
衛兵長は、縄で拘束されている男に哀れみとも怒りともつかぬ視線を向けた。彼は先ほど衛兵が捕らえてきた商人だ。この男は闇取引を行ったことにより、後ほど尋問に掛けられる。それまでは牢屋に入れておかなければならないが、その手続きをする人員すらこのアイクティエスにはいなかった。
「まさか取引先で衛兵が待ってるなんて予想もしてなくてさ。取引相手に現れたのもよくわかんねえガキだし。捕まるわでさんざんだ」
「これに懲りたらちゃんと足を洗え。まったく……」
この街の領主から聞いた話によれば、今夜闇取引が行われるらしい。だから衛兵による巡回を強化したのだが、それが仇となっていた。この後は何事もなく落ち着いてくれることを願う他ない。
「衛兵長! 港で怪しい取引をしている連中がいました!」
「もういい! 俺が行く! お前はこいつを見張ってろ!」
あっさりと、衛兵長のその願いは打ち砕かれた。別に必ずしも衛兵長が詰め所にいなければならないという決まりはない。それならばいっそ自分が現場に赴いて、解決に尽力した方がいいのではないか。
そう意気込んで詰め所から出た衛兵長の目の前を、ある人物が通り過ぎた。
「……っ、フェルグ領主。どうしてこちらへ……?」
蒼い髪に幼い顔立ち。眼鏡の奥に光る青い双眸は落ち着いていて、ちらりと衛兵長を一瞥した後、通りの遥か向こうを見やった。
「怪しい連中の取引は俺が出る。お前はこの詰め所で変わらず指揮だ」
「いや、そんな領主様が出るようなことじゃ……」
「人手が足りないんだろ。そういう時は領主に頼れ。いくらでも力を貸すからさ。――行くぞ、レーヴァ」
毅然と歩いていくこの街の領主の後ろを、恭しくその執事がついて歩く。そしてやや遅れて、報告に来た衛兵が取引のあった場所を案内するためにその後を追い、通りの向こうに消えていった。
◆
「レーヴァ、すぐに全ての衛兵に伝えろ。怪しい取引をしている連中については俺が対処すると」
「畏まりました」
瞳を預けることなくそう告げるフェルグへ、レーヴァは頷き、すぐにその姿を消した。
「お前も、他の騒ぎが起きているところに向かえ。取引のあった場所なら大体わかる」
「は、わかりました! お気を付けください」
先導していた衛兵は額に手を翳し、敬礼の仕草を取ると煌びやかな夜市の方へと向かっていった。
「……さて」
それを見届けたフェルグは、人の多い露店並ぶ通りから視線を外し、薄暗く狭い路地へと目を向ける。
暗闇が手を招いているようで薄気味悪いが、彼はそのまま躊躇することなくその路地に入り込んだ。
「……意外と賢しいじゃないか」
苛立たしげに、しかし感心したように声を漏らす。
このアイクティエスのシステムがある限り、大手を振って好き勝手なことはできない。それはフェルグがいるから。この街に『涙の勇者』がいる限り、罪人が逃げ果せることは叶わない。
何故ならば――
「揮水界―さざ波―」
フェルグは屈みこんで水路に手を付ける。水面は変わらず揺れ続け、大きな変化は見られない。
しかし彼の耳には届いてくる。多くの人々の話し声とそれから足音。手に触れる水を伝って、この街の水路全域の情報が一斉に流れ込んできていた。
『涙の勇者』の特異星。名前は【揮水界】。自らの決めた領域内にある、自然に流れる水を自在に操れるというもの。ただそれだけの能力。しかし、その本域は機能の多様性にある。
フェルグは自身の持つ特異星の力の一端を用いる。水を通して、声を聞く力だ。それをアイクティエス全域に広げる。
水路にいる人間だけではない。周囲にいる人間が出す音も的確に拾い、情報として届く。
(――三十番水路でセフィカが、六十五番水路に魔王の娘。逃げ回る商人たちと追いかける衛兵が多数……)
それらの情報を頭の中でなぞるものの、全て片隅に追いやる。今必要なのはそれらの偽の情報ではない。
今回の闇取引の主犯、オートカールは中々に慎重な性格のようだ。商人としての自覚がありながら、幾つもの囮の取引を同時に発生させて、混乱を生み出している。
それに加えて、いま夜市で起きている些末な騒ぎも、彼の策謀によるものだと判断するのが正しいだろう。
それほどまでに多くの混乱の中、本命の取引は必ず実行される。しかも彼本人が取引の場に出る可能性が高い。
どれほど小さな異音すら聞き逃さない。フェルグは街の隅々まで意識を研ぎ澄ませ、集中し続ける。
「……見つけたぞ」
水辺から離れた場所などこの街にはない。だが、それでも唯一、声が水面に届きにくい場所があるとすれば、そこ以外になかった。
「灯台だな」
特定を済ませたフェルグは水路に浮かんでいた舟に乗り込むと、舟が独りでに動き始めた。まるで誰かが漕いでいるかのように静かに、しかし速度はそれらの比ではなく、フェルグは目的地を目指す。
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