アイクティエスの夜市で今宵②
「ねえ、本当にこんな格好しないといけないの?」
夕闇に溶けていく街の中、水路に行き交う小舟を見下ろしながら、シャーミアがそうぼやいた。
「当然だ。余たちの正体は誰にも悟らせるわけにはいかぬ。特に、フェルグと繋がっていると思われるのは避けた方がよいだろう」
黒い外套を目深に被り、蒼穹の瞳を街の明かりに煌めかせながら、隣に立つシリウスは言葉だけを打ち返す。
そこは空き家の屋根の上。シャーミアとシリウスは、人目につかないその場所から、賑わう街を眺めていた。ルアトとリリアは既に夜市で盛り上がる渦中に待機している。今この場には、彼女たち二人だけが佇んでいた。
下界を見下ろす彼女たちの衣装は闇に溶け込む全身黒づくめ。口元まで覆う布のおかげで、出ている肌は目元ぐらいなものだ。
「取引の時間は陽が沈んだ直後。もう間もなくだな」
遠くに広がる水平線へ、今まさに陽が飲み込まれようとしている。昏い海面と空が支配する中、夕陽が沈む海の向こうは極彩色に輝いて、まるで未知の世界へと繋がっているようだった。
「……ねえ、さっきまでどこ行ってたのよ」
「ずっとお主たちと一緒におったではないか」
「あの路地裏で宿の鍵を受け取った後よ。一人でふらふら歩いてたわけじゃないでしょ?」
「ああ、そのことか。『星の勇者』と会っておった」
「あーはいはい、勇者ね……、って――」
聞き流そうとしたシャーミアだったが、さすがにその言葉は看過できなかった。
「なんで勇者に会ってるのよ!? バカじゃないの!?」
「騒ぐでない。せっかくの目立ちにくい装束が意味を成さなくなるだろう」
「む……、どうして会いに行く必要なんてあったわけ? まさか仲良くなろうとしたなんて言わないわよね」
とてもではないがあり得ない予想を掲げてみるも、やはりというか当然と言うべきか、彼女は首をゆるゆると振って、それを否定した。
「余があれに会いに行ったのは、仲良くなるためでも気さくな小話をするためでもない。対話と、実力を測るためだ」
「実力を測る? なによ、随分慎重じゃない。まあ大事な仇だもんね。……それで、何か掴めたの?」
それを聞く必要はあっただろうか。シャーミアの中で、シリウスに勝てる人間などほとんどいないのではないかと思っている。悔しいが、これまでの冒険でそう思わせられた。今なお、シャーミア自身の実力では、彼女には勝てない。どれほど手を伸ばしても、彼女の至る領域にまで届かないのだ。
だからシリウスもまた、そのシャーミアが浮かべた評価通りの結果を口に出すと、そう思っていた。
「うむ。話して、近づいて、わかった。……あれは、余では勝てぬ」
「――は?」
思わず、そんな声が出てしまっていた。
この隣で海風を浴びる少女は、何を言っているのか。自分の実力がわからないほど、弱いわけではないだろうに。
あるいは場を和ませるための冗談かもしれないが、彼女にその手のセンスがあるわけもない。
「……アンタ、本気で言ってるの?」
「無論だ。だが語弊が生じぬように伝えておくが、彼奴を殺すことは、可能だ。勝敗は別にしてな」
「……? どういうことよ?」
「戦いとは、生き死にだけが基準となるわけではないということだ。――さて、陽も沈んだ。余たちも仕事をしよう」
シリウスから視線を外して海の向こうを見る。空を支配していた主役は既にその幕を落とし、星々にその役目を引き継ごうとしているようだった。
まだまだ聞きたいことはある。だが、その前にやるべきこともある。シャーミアは溜息を吐いて気持ちを切り替える。
「わかったわよ。ちゃんとしないと、行けないものね、東都アウラムに」
「うむ。すまぬがシャーミア。そちらはよろしく頼んだ」
「当然でしょ。私だって、いつまでもこの街で勇者と一緒だなんてゴメンだもの」
そう言って、別れようとする。シャーミアのすべきことは闇取引を止めること。
受け取った地図に記された場所は、それなりに細かく指定されている。そこでそれらしい怪しいヤツに声を掛ければいいのだろう。
「……シャーミア。判断はお主に任せるが、闇取引をする者の中には、騙されておる商人もいるかもしれぬ。もしそのような人間に遭遇したら――」
「それとなく逃がしてあげるんでしょ? 大丈夫よ」
「ああ。任せたぞ」
しっかりと首を縦に振ってシリウスは頷いたが、しかし善良な商人が闇取引に応じるだろうか。騙されたと言っても、そんな人間が良い奴だとは思えない。
僅かに浮かんだ疑問を払拭するかのように、シリウスの声が思考の上から重なった。
「それでは、またアイクティエスの灯台で落ち合おう」
そう言って、シリウスは屋根から屋根へと軽々と飛び移っていき、あっという間にその姿を闇へと溶かした。
アイクティエスの灯台は今シャーミアがいるその場所からちょうど真反対の場所にあった。お互いにそれぞれ取引の地点を潰していくと、最終的にその場所で落ち合うことになる。故に、そこが合流地点となっていた。
「あたしもそろそろ行かないと」
そして、シャーミアもまた夜風に紛れる。彼女の黒衣の身は賑わう夜市の中に滲み、やがて静かに溶け込んでいった。
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