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魔王の娘  作者: 秋草
第2.5章 眠る星々と命脈のプリズム
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商人カピオ

「ふむ、まるで迷路だな」


 目深に黒衣を被り、行き止まりを眺めてポツリと呟く。そこは入り組んだ水路を幾つか割った先の路地。人も寄り付かないような薄暗い小道に、シリウスは立っていた。

 観光地からは少し離れた場所で、立ち並ぶ建物への人の出入りは数えるほど。とてもではないが賑わっているとは言えないその雰囲気を感じながら、踵を返し散策を再開する。


「おう、嬢ちゃん。良いクスリが入ったんだが、買わねえか?」

「いい仕事あるんだ。取引しようぜ」


 中心地から外れて、人気の少ない場所に向かえば向かうほど、淀んだ目つきをした人間がそんな声を掛けてくる。危害を加える様子はなく、ただ傍からそう言葉を投げるだけで実害はないが、状況に慣れていない者からすれば薄気味悪いことこの上ないだろう。だから、ここには観光客はいない。そう見立てたシリウスは治安の悪いその通りを、なおも歩き続ける。

 その様は、さぞ無警戒だったのだろう。

 猛獣のいる檻の中に、一羽の子ウサギを放り込んだような、状況としてはそれに等しい。

 周囲にいる虚ろな目の人間たちは通りを渡る、宝石のように美しい紅蓮の髪をした餌から目を離さない。


「なるほど……、活気ある港町の裏の顔と言ったところか」


 言いながら空を仰ぐ。建物が迫る空は視界の半分ほどに青が滲み、時折ウミネコが風に流れて飛行していた。


「よお、ガキ」


 そして、その眼に優しい光景を遮る、一つの影。上を向くシリウスの顔を覗き込むように、下卑た男が彼女の目の前に佇んでいた。


「何か用事か? 生憎、ここはガキが来るところじゃねえんだよ」

「用事、と呼べるほどのことはない。ただ、観光をしておるだけだ」

「ふうん、へえ、そうかい」


 男は黒衣を被る彼女を眺める。粘りつくような、視線が全身を舐めるように這う。それに嫌悪感をシリウスは抱かないが、少なくとも常人に向けるような眼差しではない。


「ガキ、悪く思うなよ」


 そう男が発したと同時、物陰から複数人、男たちがぞろぞろと現れた。全員、腐った魚のような目をしていて、顔色も悪い。あっという間に囲まれたシリウスは、視線だけで目の前に立つ男に尋ねる。


「初めは物乞いのガキかと思ったが、全然違え。宝石よりも綺麗な髪に、青空よりも美しい瞳! 十代の少女特有の柔肌に、その不遜な態度! 大方、どっかの世間知らずのお嬢様ってところか? 喜べよ、高く売れるぜ、オマエは。そういう趣味の人間にな」

「ふむ……、余は自らのことを客観的に見たことはあまりなかったが、高く評価されるのは悪い気はせぬな」

「ああ? 何呑気なこと言ってんだよ。オマエはこれから一生、奴隷同然に扱われるんだぞ」


 何がおかしいのかヘラヘラと笑う男に、シリウスは首を振ってまっすぐに男を見つめる。


「いや、それは困る。余にはやらなければならぬことがあるからな」

「拒否権なんてねえからさ。おい、ガキを連れていけ」


 一触即発の空気に満ちて、男たちがにじり寄ってくる。彼らを無力化することは容易い。何もしなくても、魔力を放つだけできっとこの一幕は終わるだろう。

 しかし今、シリウスが魔力を出すわけにはいかなかった。

 『星の勇者』がこの街に来ている。シリウスの魔力を直接知っているわけではないだろうが、気付かれる可能性は高い。

 さてどうしたものか、と。思案していると、背後から悲鳴のような大声が鳴った。


「衛兵さん! こっちです! 人攫いです!」

「ああ!?」


 その叫び声に近い声が通りに響いたかと思うと、取り囲んでいた男たちは顔を青ざめさせる。

 そうして、舌打ちと共に彼らはすぐにどこかへと逃げていった。


「おお」


 まさか暴力以外にこの場を切り抜ける方法があったとは思わず、そんな感嘆の声を上げるシリウスの背中へ、声が掛かった。


「やあ、お嬢ちゃん。大丈夫かい?」

「ああ、助かった」

「……あれ? あんた――」


 振り返り、フードを脱いだシリウスに、近寄って来た男が眼を見開く。それに対して、シリウスは小さく頷いて、懐から一枚の金貨を取り出した。


「助けてくれた褒美は金貨一枚でよいか? カピオよ」

「おお! どっかで見たと思ったら、サグザマナスの酒場にいたお嬢ちゃんか! 名前はシリウスって言ったっけか。まさかこんなところで会えるとはなあ!」


 男は人懐っこい表情を浮かべて、嬉しそうな顔で再会を喜ぶ。

 彼の名はカピオ。『殻の勇者』アルタルフが拠点としていた都市、サグザマナスにて勇者の情報を提供してくれた商人だ。

 ずっと彼の気配をシリウスは掴めていたが、向こうからこうして話しかけてくるとは思っていなかった。そういう意味では、シリウスとしても想定外の再会だと言えた。


「よく余のことを憶えておったな。息災だったか?」

「ははっ、これでも一応商人だからな。人の名前と顔を覚えるのは得意なんだよ。商売の方はあんまりだが、まあ体は元気さ。というか……」


 カピオは黙り、まじまじとシリウスを見やる。その視線は先ほどまでいた男がしていたような、舐めるものではなく、シリウスの身を客観的に観察しているようだった。


「あんたみたいなのが来るところじゃねえよ、ここは。さっきみたいに、変なヤツに絡まれるぞ」

「それならば大丈夫だ。お主のおかげで悪い虫は払えたのだからな。衛兵を呼んだのは、あれは演技だろう?」

「ああ。そんな偶然そうそうねえよ。都合よく、この辺りを衛兵が見回ってるわけねえからな」

「だろうな。何にせよ、色々と勉強になった。これは勉強代だ」


 弄っていた金貨を指で弾き、放物線を描きながらそれはカピオの元に飛んでいく。それを慌てて受け取った彼は、大事そうに懐へ仕舞った。


「ところで、カピオよ。お主は何故この街に?」

「そりゃあ、俺は商売人だぜ? 当然商売よ! すんげえ良い取引があってよ。オートカールってやつが魔道具を売ってくれるそうでな! こりゃあ乗るしかねえって、自分の船でこのアイクティエスに来たわけよ!」

「……オートカール?」


 カピオが口に出したその名前に僅かに眉を動かしたシリウスだったが、彼はそれに気がつくこともなく、上機嫌に語る。


「ようやくこれで俺にも安定した販路が手に入る。これまで色々と騙されてきたが、今度こそ挽回するチャンスだ」

「なあ、カピオ。悪いことは言わぬ。その取引に関わるのは止めておけ」


 彼が口に出した、オートカールという名前。それは今晩、闇取引の場に現れるらしい人物の名だ。フェルグの話によれば、闇商人の主犯格らしい。そんなヤツとの取引など、信用するに値しない。

 そう思っての発言だったが、カピオは悲しそうな目をして、首を横に振った。


「……悪いが、こればかりは譲れねえんだよ。ようやく掴めそうな機会を、自分から棒に振りたくねえ。わかってくれ」

「――……そうか」


 彼の意思は固そうだ。きっとどれだけ言葉を並べても、意志を曲げないだろう。シリウスが頷くと彼は表情を綻ばせて、背を向ける。


「久々にあんたに会えて嬉しかったぜ。何が商売のきっかけになるかわかんねえからな。こういう出会いは大事だ。俺はこの先の宿に泊まってるからよ、また近いうちに酒場でも行こうや」

「そうだな。……また会おう」


 再会の言葉と共に送り出して、シリウスもまた背を向ける。

 人間には様々な事情がある。そこに深く踏み込むつもりは、シリウスにはない。

 何も関心がないわけではない。できることなら救いたいし、導けるなら導きたい。しかし、自分にはその資格がないことも同時に、理解していた。

 それになにより、人間の強さを信じているから。

 だからこそ、シリウスは言葉で濁さず、その選択を尊重するのだ。

お読みいただきありがとうございました!


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