テトラ
ここアイクティエスではちょっとした騒ぎ程度であれば、日常的に起きている。主にスリやら喧嘩やら、そういった小さいいざこざが頻発するのは、観光客や多様な人間たちが入り混じっている場所だからだろう。
だから少年が水に飛び込んだぐらいの騒ぎであれば、すぐに街の賑わいは日常に戻り、すぐにいつもの光景が再開される。
「くしゅんっ!!」
「ちょっと、大丈夫なの?」
人々の活気を背中に感じながら、彼女は盛大にくしゃみをかました。それを隣にいた銀髪の観光客はからかいながら心配してくれる。
「へーきだよ! ……は、はくしょんっ!?」
強がってみたものの春のアイクティエスの水はまだ冷たく、ずぶ濡れの衣類を脱いで陽に当たっていてもまだ寒い。
鼻をすすりながら、隣にいるその人物を彼女は見る。
まるで美術彫刻のように美しい顔立ちに、気品すら感じさせる銀色の髪。両肩からは彼女の柔肌が見えていて、そのまま目立つ双丘に視線を吸い寄せられる。腹部に纏う装具や白いスカートから伸びる黒いタイツと茶色いブーツ、それら彼女を構成する全てが、纏まっていて綺麗で。
思わず見惚れてしまうほどだった。
「どうかした? ぼうっとしてるけど……、もしかして風邪ひいたの!?」
「い、いや違うって! ……ええと、そう! あの時、空中で止まった気がしたんだけど、あれもお前の仕業か!?」
「あれは、まああたしの持ってる魔道具の力だけど。そもそもお前じゃないわよ。あたしにはシャーミア=セイラスっていうちゃんとした名前があるんだから。気軽にシャーミアで良いわよ。アンタは?」
「いや、名前とかどうでもいいだろ!」
「……はあ、危うく赤ちゃんを踏み潰しそうになったのを助けてくれた恩人に、名乗る名前もないのね」
「ぐっ……、ああ、もう! 言えばいいんだろ!? 別にそんな名乗るモンじゃねえからな!」
「良いわよ」
ふわりと笑うシャーミアと名乗った女性の表情に面食らい、最早言い返す気力も失せたところで、ポツリと。呟いた。
「……テトラ」
「テトラ、テトラね。いい名前じゃない」
「うるせ」
言いながら視線を外したのは、何も怒ったからとかではなく、単純にその見惚れるほどに綺麗な女性をこれ以上見れなかったから。
「……それにしてもアンタ、テトラがまさか女の子だったなんてね」
「文句あんのかよ。仕方ねえだろ! 女ってだけでなめられるんだから!」
「別に何もないって。こうして短剣も返してもらったからね」
大切そうに短剣を抱える彼女は、安堵したような溜息を吐き出している。ボロボロで傷だらけなのに、それほど高価なものだったのだろうか。興味が湧いて尋ねようとしたが、それよりも先にシャーミアが言葉を発した。
「でも、もったいないわよ。こんなに可愛いのに」
「かわいい……? 何が?」
「テトラのことに決まってるじゃない」
「テト……、は?」
「髪とか、きちんと手入れしなさいよね。せっかく綺麗な黒髪なんだから、ちゃんとすればもっと可愛くなれるわよ」
そう言って屈み、濡れた髪に触れる彼女と視線が合う。彼女の紅い瞳に吸い込まれて、言葉を失ってしまう。
「そうだ。ちょうど新しく櫛を買ったんだけど、前のヤツ良かったら使う?」
彼女は小さな櫛を手渡してくる。
「……なんで――」
「……」
どうして、人からモノを盗った人間に、モノを与えてくれるのだろう。
どうして、悪事を働いた人間に優しくしてくれるのだろう。
どうして、こんなにどうしようもない自分に、温かく接してくれるのだろう。
「なんで、オレのことこんなに……」
「……それは――」
シャーミアが唇を動かそうとした、その時。
不意にどこからか声が鳴った。
「シャーミアは優しいからな! お主のことを救うのも当然だろう!」
「な、なんだ!?」
突如響いたのは快活な少女の声。突然の出来事に目を白黒させていると、シャーミアの背後からそれが、顔を覗かせた。
「驚かせてすまぬ。余の名はヌイという。シャーミアの仲間だと思ってくれればよい」
「珍しいわね、顔を出すなんて」
シャーミアは慣れた様子で彼女をあしらっている。それは彼女の背から飛び出ると、ふわふわと宙に浮かんで、こちらを見ていた。
紅蓮の髪に蒼い双眸。貴族のような話し方だが、幼いと呼べるそれ以上に小さい彼女の体躯は、まるで人形のようにも見えた。
「別に、優しいとかじゃないのよ。ただ、おじいちゃんと、それからアイツもそうするかもって思っただけ」
「……アイツ?」
「そ! 優しくて甘い、あたしの宿敵。今のままじゃ敵わないから、まずはアイツに追いつくために真似するところから始めてるのよ」
彼女が遠くへと向けるその視線は、果たして憎悪や怒りに満ちているのか。テトラにはわからない。
「――よ~やく、見つけましたわ!」
「へ?」
少しだけ訪れたそんな静寂の中を、綺麗な声と共に一人の少女が駆け寄ってくる。あれは確かシャーミアと共にいた少女だ。その後ろからは黒髪の青年も歩いてきている。それに、財布を盗んだ学生たちも。
「もう! 心配したんですのよ!?」
「悪かったってば。でも、探しに来てくれてありがとね」
抱き着く少女にシャーミアは申し訳なさそうに、けれど楽しそうに笑っている。
「心配しなくても、騒ぎが起きている場所に行けばすぐに見つかるって言ったじゃないですか」
「アンタは喧嘩売りに来たわけ?」
黒髪の青年が呆れたようにそう言うと、シャーミアは怒ったように、けれど落ち着いた調子で噛みついた。
一気に賑やいだその空間に、テトラは羨ましいと思うと同時に。
陽だまりのような微睡みを、憶えるのだった。
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