海運都市アイクティエス⑧
アイクティエスの街には小さな路地が多く、人がすれ違うのもやっとという通路が迷路のようにあちこちにある。加えて、船が行き来するための水路が街中に張り巡らされていて、地図もなしに徒歩で散策して迷ってしまう人も多くいる。
観光都市と住宅地区が混ざり合った結果が、この海運都市アイクティエスだった。
「シャーミア。次の三叉路を右に行ったぞ」
「右ね!」
そんな中、一人の少女が銀髪を翻し駆け抜けていく。通行人とぶつかりそうになることもなく、全速力で走る彼女は、懐から顔を出す人形のようなそれの声に呼応し、建物がひしめき合う角を曲がる。
「見つけたっ」
駆けながらそんな大きな声をあげる彼女に、通り過ぎていく人々は怪訝な眼を向けるが構う様子も見せない。
彼女は船が並ぶ用水路沿いを駆ける、少年の姿を見つけ、さらにその足へと力を込める。
「げ――」
そして鬼気迫る勢いで追い掛けてくる存在を、逃げ続ける少年も見つけたのか、顔を引きつらせて逃げる足をさらに加速させた。
「逃がさないわよ!」
威勢よく言い放った少女、シャーミアがさらに距離を詰めていく。幾ら少年の足が速いと言っても、力の差は歴然。このまま走り続ければすぐにその背中に手が届くだろう。
だが、少年は機敏に路地を駆け回る。直線距離では敵わないと判断したのか、機動力を活かして逃走を続ける。
「わ、ごめんね!」
曲がり角で男とぶつかりそうになったシャーミアは、バランスを崩し倒れそうになったその男の手を取り、転ばないような姿勢に戻してから追跡を再開。
時には買い物帰りの主婦が落としたリンゴを拾いながら、時には他の逃げるスリと並走して転ばせたりしながら。
そうして追いかけてくるシャーミアに若干というか、かなり引き気味になりながら少年はなおも走り続ける。
幾度もの角を曲がり、人とぶつかることもなく少年が抜けたその先に、シャーミアも飛び込んだ。
「――凄い景色! ねえ見て、ヌイ! 川にあんなに舟があるわよ」
そこは大きな河川。家や商店などの建物が立ち並ぶ大通り沿いには、これまた多くの露店が並び、多くの人が行き交い、賑わっている。
そしてそれに引けを取らないほどの小型の舟が、河川に浮かんでいた。鮮やかな布で装飾された観光客を乗せた舟に、獲れたばかりの魚介を量り売りする漁船。アクセサリーや衣服を売る小舟まで様々で、目に楽しい。
「感動しておる場合か! 早く追いかけぬとまた見失うぞ!」
「わかってるわよ」
アイクティエスの景色を楽しんでいるほどの暇はない。街の雰囲気を楽しみたいのは山々だが、今は何よりも盗まれたモノを取り返さなければならない。
シャーミアはすぐに多くの通行人を縫って走る少年に視線を向けて、自身も同様にその影を追いかける。
あと少しのところでその背を掴める。そんな距離にまで二人の距離が縮まったかと思えば、少年がちらりと背後を振り返った。
「しつこいな!」
「あ――」
少年特有の、ソプラノな声が響くと彼はそのまま河へと向かって跳躍をした。やけになって水に飛び込んだ、わけではない。
彼は浮かぶ舟の上を、まるで飛び石を跳ねるように次々と飛び移っていき、シャーミアから逃れようと河を渡る。
「どうだ、これで追いつけねーだろ――」
「ちょっと! ちゃんと前見なさいよ!?」
「へ?」
調子に乗って振り向いてきた少年に、思わずシャーミアが叫ぶ。言われて視線を戻した少年の前には、多くの客を乗せた観光船。そこにいた赤ん坊を抱く女性の元に、少年の身が放物線を描く。
「マズっ――!?」
勢いも止まらないままその女性と赤ん坊に突撃してしまう。少年の青ざめた顔と悲鳴のような声が上がり、彼は惨劇から目を背け、目を瞑った。
しかし、惨劇は訪れない。
「……?」
少年の身は誰かにぶつかるわけでもなく、ただその場に留まり続けていた。即ち、空中で止まっている。まるで絵画に描かれたかのように動きを止め、躍動感はあるものの制止を続けていた。
瞼を開いた少年は、自身の身に何が起きているのかもわからずに、ただゆっくりと舟が通り過ぎていくのを見届ける。
周囲の人々も宙で止まった人を見て唖然としていた。喧騒は絶えず賑わいの中で流れているものの、水を打ったような静寂が一瞬生まれていたことには違いなく。やがてその少年の身は時を思い出したかのように、動き出した。
ただし、返ってきた結果は地続きのそれではない。
真下への垂直落下。
少年の体は、今度こそそのまま河川へと飛び込んで、情けない悲鳴と共に水しぶきを上げたのだった。
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