海運都市アイクティエス②
そこは装飾が煌びやかで、しかし眼に痛いほどの豪奢さはなく、程々に落ち着いた雰囲気を放つ室内だった。清掃が行き届いていて、無駄なモノも溢れていない。権力者ならば無駄に調度品にこだわると思っていたのだが、この館の主人はそうではないらしかった。
「はあ……、皆さま方大丈夫でしょうか?」
あれよあれよと、流されるがままにこの部屋に通されたリリアは、革張りのソファに腰を掛けて、天井を見上げた。どうして自分だけが捕まらなかったのか。その理由は察しが付く。今は、彼女たちがどう処分されるのかが気がかりだ。
どうにかして、助けてもらう方法はないものかと、思案を巡らせていると、その部屋の扉が音を立てて開いた。
「やあ、こうして会うのは、久しぶりだな? 聖女の娘」
「……それはこちらのセリフですわ。『涙の勇者』のご子息、フェルグ=ピスケイス様」
立ち上がり、振り返る。扉の前、不遜な態度で佇むその人物に、リリアは僅かに視線を鋭く突き刺して言葉を放った。
深い紺の短髪に、眼鏡を掛けたレンズの奥には、水色の瞳が瞬く。背は低く、声も高い。齢にして八歳となるその少年は、名前を呼ばれて不敵に笑みを溢すと、その隣にいた燕尾服の男へと視線を移した。
「レーヴァは外で待機してろ。二人で話したい」
「わかりました」
レーヴァと、そう呼ばれた長身の男は恭しく腰を折り、姿勢を正すとそのまま部屋から立ち去っていった。
扉が閉まり、静寂が落ちる。時計がその秒針を忙しなく動かす度に、耳障りな音を奏でるが、それが静けさを埋めてくれることはない。
「まさか、あんたがこの都市まで来てるとは思わなかったよ」
「そうですわね。こうして会うのも、三年ぶりぐらい? お父様のことは、その、残念でしたわね」
「……まあ、仕方ないさ。親父もよく、口にしてたからな。覚悟はできてたよ」
重い空気が拭えない。秒針の音がさらに圧し掛かる中、フェルグは変わらない調子で、言葉を続ける。
「一人でここに来たのか?」
「聖都からは一人で。ですが、ご存知かもしれませんけど、ここへは四人で訪れましたのよ」
「地下牢に入れたあの三人だな。もちろん、知ってるさ」
視線を外し歩き始めるフェルグを、黙って眺める。足取りは軽やかだ。けれど、その放つ雰囲気には、堂々とした自信のようなものが見て取れた。
「つい先日、他の勇者から通達があったからな。勇者アルタルフならびに、勇者イデルガを降した魔王の血族。名はレ=ゼラネジィ=バアクシリウス。まさかそんなヤツがいるだなんて、思ってなかった。一緒にいた銀髪の女と、黒髪の男については、どういう関係なのかは知らないけど」
悠々と歩く彼はやがてリリアの対面に立ち、動きを止める。そして、向けたその瞳を見て、愕然とした。
フェルグが湛えるその瞳には、労いや慈しみが、多分に含まれていたから。
「これがあんたの使命だったんだろ? わざわざこんな大陸の端にまで来る理由なんて、ないもんな。魔王の血族を誘導して、捕えさせる。そこまで細かな命は受けてないかもしれないけど、勇者を脅かす存在を捕捉するという役目は果たせたわけだ。おめでとう」
「――っ。私は――っ」
否定しようとして、言葉に詰まった。彼の言うことは正しい。使命も概ね合っている。本来ならば、その労いの言葉を受け取って、それで終わりになるはずだ。所詮自分は、魔王の娘と敵対する、その程度の存在なのだから。
「捕らえたヤツらの身柄は俺の管轄で預かる。そこからどうするかは、他の勇者たちと話し合うことになるだろうな」
「……」
果たして、これが本当に正しいことなのだろうか。きっと正しいのだろう。親が命じたことだ。悪いことなはずがない。
なのに――
「なあ、なんであんたは、そんなに苦しそうな顔してんだよ?」
「――っ」
瞳を通して、心まで覗かれたのかと、そう思った。
胸が苦しい。心が痛い。想いが、溢れてしまいそうになる。
どうしてここまで感情が揺れるのだろう。
何故、こんなに彼女たちのことを心配してしまうのだろう。
その答えは、わかりきっていた。
「――シリウス様が、勇者を亡き者にしたことは、存じてますわ。それが、良くないことなのも、理解していますの」
「……それで?」
「でも、少しだけですが、あの方たちとお話をして、思いましたのよ。シリウス様たちは、悪い方々ではないと」
本当に勇者殺しの悪党なだけであれば、タウリ村を救うことなんてしないだろう。道端で倒れていた自分を助けようとしないはずだ。
彼女たちと会話をして、接して、それから起こした行動を見て。
リリアは確信したその言葉を、嚙み締めるように告げる。
「あの方たちは、きっと、終わった物語の続きを歩む存在。変えられた時代を紡ぐ、先導者となりますわ」
そう確信があるわけでもない。所詮は自分の妄想を話しているに過ぎない。それでもあの日、彼女と会話をして、先を切り拓くような存在なのだと、そんな印象を受けた。
それが間違いかもしれないし、嘘かもしれない。
ただ、澱みなく語る彼女の姿を思い出して、やはり彼女はただの勇者殺しではないと、そう判断できた。
「……はあ、あんたは昔からおとぎ話とか英雄譚とか、伝承が好きだったよな」
「まあ、まるで長い付き合いみたいに言うじゃありませんこと?」
「一度しか会ってないけど、その一回で十分理解できたんだよ。十時間は英雄譚について聞かされたからな」
呆れたように、けれどどこか嬉しそうにそう語るフェルグに、空気が弛緩したのを感じ取る。
もしかするとシリウスたちのことを多少許してくれるかもしれない。話しやすい雰囲気の内に、リリアは彼に向けて提案を投げ掛ける。
「……フェルグ様は他の方々に対して、とてもお優しいことを理解していますわ。人の本質を見抜くのにも長けていらっしゃりますものね。……その上で、お話を聞いてほしいのですけど」
「嫌だ」
「なっ――、まだ何も言ってませんのよ!?」
話し合う余地もなく、拒絶されたことに憤慨していると、フェルグが溜息と共にその理由を語る。
「どうせヤツらを解放しろって言うつもりだったんだろ?」
「う……、気付いていましたのね」
「気付くというか、まあ予想はできたよな。確かに、おまえの言う通り、ヤツらが悪い人間じゃないかもしれない。今のこのなんとなく無理やり閉塞させたような、気味の悪い世界を導く存在なのかもなって思いもする。それに、同じ境遇のおまえの言葉を、信じてやりたいしな」
「じゃあ――」
「だけど、立場がそれを許さないだろ。俺は現『涙の勇者』で、おまえは聖女の娘。それが勇者殺しをのうのうと見過ごすなんてあってみろ。他の勇者の反感は、まず間違いなく買うだろうさ」
「それは……」
返す言葉が思いつかない。フェルグの言う通りだ。シリウスは勇者の敵。それを解放するなんて以ての外だろう。
でも、それならどうすればいいのか。リリアは下唇を嚙み締めて、何か他の案はないかと模索する中、ふと扉の外から声が聞こえてくる。
それにフェルグも気がついたようで、扉の方へと意識を向けているようだった。
そして、やがて扉が開かれて、そこに立つ人物にリリアは目を見張った。
「ならわたしが、彼女たちの身の安全を保障しましょう」
穏やかで、全てを包み込むかのような温かいしゃがれ声。その老翁の姿に、思わず叫ぶ。
「タウリ村の――、メンカル様!?」
その反応にこの間まで滞在していたその村の長は、ニコリと皺だらけの笑みを浮かべるのだった。
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