海運都市アイクティエス
時折、鼻孔を潮風がくすぐる。ここまで花々や木々の香りに満たされていたが、もう目的地まで近いことを、それは知らせてくれた。
山を下りるとアイクティエスへと向かう人々で、通りは溢れていた。遠目に広がるのは、深い藍色の海原。白い雲がゆっくりと漂い、風を運ぶ。
都市へと続くその道に行き交うのは商人がほとんど。そこにいる皆が陸路で商品を運び、そして海路でさらに遠くの地へと運ぶ。そうすることで世界がまた進歩する。
この海運都市アイクティエスは、流通の要所だと言えた。
「賑わってるし、あたしたち、別にお尋ね者じゃなさそうね」
「そうみたいですね」
人が多いということは、それだけ勇者殺しの犯人として目撃されるということ。そう思っていたのだが、意外にもシリウスたちを見かけても商人たちはどこ吹く風。勇者殺しのことを知らないんじゃないかと、そう思うほどには拍子抜けだ。
「勇者の刺客も来ませんね。まあ誰が来ても追い返すだけですけど」
ルアトのその言葉に、反応を示したのはリリアだった。びくりと、体を震わせて気まずそうな表情を見せる彼女は、恐る恐る声を発する。
「あ、あの……、実は私、その勇者からの刺客だったり、して……」
わざわざそんなことを打ち明けなくてもいいだろうに、リリアは生真面目にシャーミアとルアトに向けてそう伝えた。別に隠していても、誰にも責められないはずだったが、それは彼女の善性が働いた結果だろう。
本来ならばシリウスの不利になるような存在を近くに置くことなんて、ルアトは許さないだろう。それはきっと、リリアもわかっているはずだ。だからこそ、気まずそうな顔をするし、言い難そうに切り出した。
しかし。
彼女が予期していた結果は、訪れない。
「知ってますよ」
「え――」
柔和な笑顔を見せるルアトに、リリアは固まってしまう。彼女からしてみれば、それも当然の反応だろう。糾弾、あるいはここで消されてもおかしくはない状況。最悪の想定からは程遠い景色が、そこにはあったはずだった。
「シリウス様から教えてもらいましたから。もちろんシャーミアも存じてますよ」
「そ、そうでしたの……」
「なので、どうかこのシリウス様との旅を楽しんでください。リリアさんが何者であろうとも、僕はそれを受け入れますし、そのことを不快に思ったりなんてしません」
戸惑うリリアの背中へと、シリウスはそっと手を充てる。視線を向ける彼女に頷いてみせて、その隣を通り過ぎた。
「ルアトの言う通りだ。お主は自由にこの旅を謳歌するとよい。気負うな。余たちとは、そうだな……、友人か仲間だと思うとよい」
「友人……」
「もっとも、お主の立場からすれば敵同士なわけだから、それほど簡単には気持ちの整理もつかぬだろうがな」
そう簡単に切り替えられるほど、リリアも精神的に成熟しているわけではない。言われたところで、すぐには変わらないだろう。
ただ、せっかく同じ時間を過ごすのだ。後悔のないようにしてほしいというのが、シリウスの想いだった。
「何してるのよ? 早く行くわよ」
「ああ、今行く」
いつの間にか先に進んでいたシャーミアが、楽しそうにこちらへと手を振っている。少々浮かれすぎではないかと思わなくもないが、これまで戦闘だらけだったのだ。たまにはこういう時間があってもいいだろう。
海風が近い。白い街道を行くシリウスたちははしゃぐ様を隠そうともしないシャーミアに近づく。
「シリウスの噂が広まってるかと思ってたけど、全然そんなことないわね!」
「もしかするとまだこの街までは届いておらぬかもしれぬな」
「そうね。やっと街でゆっくりできそう」
燦々と降り注ぐ柔らかい陽光を浴びて、白銀の髪を揺らすシャーミアはうんと伸びをする。
その姿は、人が行き交う街道でもしっかりと目立っていて、青い空、白い雲、爽やかな空気に似合っていた。
「たまには羽を伸ばしても罰は当たらないわよね!」
■
「ねえシリウス。どうしてあたしたちこんなところにいるんだっけ」
そこは暗くて狭く、周りは石に囲まれている、そんな場所だった。賑やかな雰囲気とは程遠く、爽やかさとは縁もない。
ただ見えるのは光を通すためだけの小窓と、それから冷たい鉄格子ぐらいなものだ。
「予想外だったな。まさか『涙の勇者』がこの地に戻ってきておるとは。衛兵の話によれば数日前に戻っておったらしい。余の魔力探知には勇者の魔力は引っ掛からなかったのだが……」
「なんで浮かれちゃってたかなあ、あたし。こうなるって何となくわかってたのに……」
深いため息は、余計に悲壮感を生むだけだが、それでも吐かずにはいられないらしく、先ほどからシャーミアの口からは不満が溢れている。
何故こうなったのか。説明するには簡単すぎるが、アイクティエスに入ろうとして、『杯の勇者』シトラを衛兵に見せたところ、捕まった。それだけの話だ。
「『杯の勇者』め、信用がなさすぎるのではないか?」
「本当ですよ。必死に訴えたんですが、聞く耳も持ちませんでしたし……。まさか、これも罠だったのではないでしょうか?」
シリウスとシャーミアとルアトはそれぞれ別の牢獄に入れられている。鉄格子越しに響く彼の疑問に、シリウスは考えを巡らせてみる。
仮にこの状況をシトラが望んでいたとして、何故わざわざこんな回りくどいことをするのだろうか。彼はシリウスの実力をある程度知っている風だった。こんな牢獄、その気になればすぐに脱出できることぐらい、把握できていないはずもない。
その上で、こうなることを狙っていたのか、もしくは本当にあの男の信用がないだけなのか。今のシリウスには判断がつかなかった。
「はあ……、リリアとは離れちゃうし、散々ね」
「まさか、リリアさんがこうなるように仕組んだ、とか……」
「それはないでしょ。……多分、勘だけど」
「そうですよね」
シャーミアの声に呼応するように、ルアトも同調する。
シリウスたちが捕まった際、その場にはリリアもいたが、彼女は何故か捕まらなかった。そこだけを切り取るならば、きっと彼女の手引きでシリウスたちを捕まえるように仕向けたと考えるのが普通。立場故の動機も十分にある。
ただ、果たしてそう単純なことなのだろうか。そうは思っても、答えが出るわけでもないのは確かで。
シリウスは牢獄の天井を見つめて、その先にある景色を浮かべて呟く。
「……まあ、すぐどうこうなるわけでもないだろう。宿代が浮いたと思え」
「これなら野宿の方がマシなんだけど……」
シャーミアのそんな嘆きが、牢獄内にただただ虚しく、響き渡るのだった。
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