リリア④
この旅は、親から命じられて始めた旅。それも、明確な目的を与えられて、旅をしていた。
その目標は、これから現れる勇者に仇なす存在を見つけ出し、つけ入ること。無力な少女を装って、その勇者の敵対者に近づき、情報を流す。
それがリリアに課せられた責務だった。
聖都の人間たちに嫌気が差して、そこを出ていきたかった身としては、親のその提案を否定する理由もなく、寧ろ親の役に立てることに嬉しくなっていた自分もいた。
皆、争うことなく仲良くすればいい、というのがリリアの本音。与えられた役目にはあまり積極的にはなれなかったが、昔から親の言うことになんとなく従っていたからか、旅立つことに抵抗はなかった。
親のことは嫌いではない。しかしその理念には同調できなかった。リリアからすれば、今の平和を保つために、間者を送る意図も意味も不明だ。
きっと、親も聖都で起きている内部のいざこざに嫌気が差しているのだろう。何も信用できなくなっているに違いない。
そんな聖都を変えるために、できることがないかを探す、というのがリリア自身の旅の目的でもあった。
そうして旅を始めたのが、半月ほど前のこと。自由な旅かと思いきや、聖都からの伝令者が定期的にやってくるので、心が休まる日も多くはない。
そしてある日、伝令者から勇者に仇なす存在のその特徴を耳にする。
紅い髪に蒼い瞳の少女。その少女は勇者への復讐を行っており、犠牲が増える前に近づく必要がある、と。そう言ってきた。
目的地は、海運都市アイクティエス。新生国家サンロキアとの間の街道を通るだろうということで、リリアはその場所へ向かっていた。
そうして気がつけば、あの花畑に迷い込んでいたのだ。待ち伏せをするつもりもなく、目的の人物を探そうとも思っていなかった。
しかし結果として、伝えられていた特徴に合致する人物と、邂逅することになっていた。
その相手の名前は、シリウス。一見して、本当にただの普通の女の子にしか見えない彼女を見つけて、初めに浮かんだ感情は失望だった。
それはシリウスに対してではない。こんな人形のようにか弱い少女を、大人たちが必死に警戒しているかと思うと、残念でならない。
それに、聞いていたような悪い人たちではないという印象も働いて、リリアの心境はすっかり一つの想いに染まっていた。
この人たちと旅をしてみたい。そんな気持ちが、心を占め始めていた。
それは、先ほどのタウリ村を救った一件の後、より強く増長する。
シリウスたちは悪人ではない。誤解が解ければ親や他の聖都の人間もわかってくれるはずだ。
そう、思っていた。
「……私は――」
でも、自分の正体がバレてしまった。元より隠していたつもりもなかったが、勇者を目の敵にしているらしいシリウスに、自分が勇者と関係のある人物であることが知られた時点で、彼女との旅はあり得ない。
せめて潔く正体を明かそうと口を開こうとした瞬間、シリウスは人差し指を自らの口元に立てて見せた。
「いや、お主は何も言わなくてもよい。これは……、そうだな。意思表明とでも思っておけ」
シリウスの声は淡々としていて、感情は図れない。怒っているのか憎んでいるのか、到底わからなかった、けど。
どこか、暖かい声音な気がした。
「勇者が刺客を放ってくることはわかっておった。まさか、このような少女を遣わせてくるとは思わなかったが」
恐らく、リリアがシリウスの元へと送られたその理由として、警戒されない存在であるというのが大きいだろう。
男でも大人でもない、脅威としてレベルが低い少女は、それらと比べると怪しまれにくい。
そう思い至ってしまったリリアは、首を横に振った。
そんなことはない。そうなると、ただ親は自分のことを体よく使える道具としか思っていないようではないか。
そんな芽生えた疑念を振り払うと、シリウスと視線が合った。
夜空に浮かぶ宝石のように、綺麗な瞳だ。全てを見透かされているのではないかと、そう思えてしまう星の煌めきを受けて、罪悪感に襲われる。
命を救ってもらって、助けたかった村も、ちゃんと守ってくれた相手に、何も言えずに隠し続けている。そのことに、胸が苦しくなってしまう。
やっぱりちゃんと言わないと。
そう思って口を開こうとした矢先、シリウスはその指をリリアの唇に優しく添えた。
「駄目だ、喋ってはならぬ。お主の正体が何者なのか、この際どうだってよくてな。必要なのは、余がどう思っておって、そしてお主がどうするか、ということだ」
その声には、強制力などなかった。
指を振り払おうと思えば振り払えたし、喋ろうと思えば喋ることができたはず。
だけど、リリアはそれをしなかった。しようと思えなかったのだ。
「……良い子だ。それでは余のことを簡単に話そう。この旅は同族を滅ぼした勇者たちへ復讐するためのもの。既に『殻の勇者』と『影の勇者』を討ち、これから向かうのは東都アウラム。そのために海運都市アイクティエス経由で向かっておったところだ」
そう言うと、彼女は指を下ろす。リリアが迂闊な発言をしないという確信があったのだろうか。どちらにせよ、既にリリアからは自分のことを語ろうという気持ちは失せていた。
「あの、シリウス様はいったい……?」
目の前にいるのはただの少女。それなのに、勇者は彼女のことを警戒し、そして事実として二人の勇者を手に掛けたと言う。
当然の疑問に、シリウスは少し間を置いた後、答えた。
妖しげに、つまらなさそうに、そして冷たく。
「――余は魔王の第十二子。名はレ=ゼラネジィ=バアクシリウス。勇者とは永劫相容れぬ、対の存在だ」
そよ風が吹いて、彼女の紅蓮の髪をさらった。花畑から届いた花弁が舞って、月の雫が落ちて煌めく。
まるで、ステージの中央に佇む、一つの彫像のような。
そんな儚げな印象を、リリアに与える。
「魔王の、生き残り……」
「そうだ。『影の勇者』を討ったことにより、今後余の存在が公に知られることとなるだろう。世間から見れば大悪党だ。その上で、お主に問おう」
驚きも束の間。月明かりのように淡くぼやけた輪郭を放つ少女は、しかし確かな力強さでこちらを見つめる。
その雰囲気にただ呑まれて、リリアは言葉を受け入れる。
「余の旅に、同行せぬか?」
「――っ」
思わず、目を見開いた。
それは、思いもよらない提案だったから。聞き間違いとも、あるいは冗談かとも思えた。しかしそれはどこを見渡してみても現実で、目の前の少女が放った言葉。
驚きで言葉を返せないでいると、シリウスが続ける。
「お主は善人だ。とてもではないが、余を出し抜けるような性格には思えぬ。余がいなければ、きっとこんなところには来なくて済んだだろう。その責任を取る、という意味でも、お主が幸せになれる選択肢を提示する必要があるからな。当然、人間ではない存在との旅の同行など何が起こるかわかったものではない。それを理解してもらった上での、提案だが」
そして彼女は歩き出す。先を行くように、足跡を付けるように。シリウスは背を向けた。
「答えは、明日の朝まで待つ。同行するならば、余たちが出立するまでにお主が姿を現してくれればよい。余は、お主の意見がどちらでも尊重しよう」
そう言って、彼女は夜の闇に溶けようとする。何故、敵であるはずの自分を受け入れるのか。どうして彼女自身のことを話してくれたのか。そんな疑問は山ほどあるが。
それらは全て綯い交ぜになって、ただ一言に集約される。
「……どうして――」
ようやく出たその声に、月光を浴びる紅蓮の髪を揺らして、彼女は振り向いた。
「余は、人間が好きだからな」
そう言って、彼女は今度こそ夜に消えていった。
微かに漂う花の香りと共に、浮遊するその言葉を反芻させる。シリウスは、リリアを善人だと言った。本当にそうだろうかと、首を捻るのもそうだが、何より彼女自身はどうなのだろうか。
リリアから見れば、善人に見える。それは昨日のことを見ているとなおさらそう思えるし、今しがたの会話を思い出しても彼女が警戒に値するような人物には感じない。最早そこに疑いの余地も抱いていない。
親が果たして正しいのか。それとも目の前のことを信じていいのか。
このまま彼女の優しさに甘えてしまってもいいのだろうか。
何度も、何度も。
自らの心の内で自問を繰り返して。
それでも出ない答えにまた、胸が痛んだ。
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