リリア②
変な夢を見た。悲しくて、苦しくて、最悪な寝覚めの、夢。
目を覚まし、窓の外を眺めても空は遠い。どころか星の一つさえ映してくれない。しかたないので、長い空色の髪を魔術でまとめながら、小さく欠伸を噛み殺す。
せっかくだから、夜の散歩でもしよう。どうせ、しばらくは眠れそうにないのだから。
リリア=アルデバランという少女は、幼くして親から様々な期待を求められていた。次世代を担う重要な役割を持ち、その力を存分に振るうように言われ続けてきて、多くの時間を割いてきた。
彼女が生まれ育った聖都では、聖女崇拝が思想の根底にある。発展しているとは言えない都市ではあったものの、市民たちは不平不満もなく、聖女さえいればそれでいいという考えの持ち主が多数を占める。
そんな場所だったからか、リリアはそれこそが日常であると思って過ごしていた。
魔王が討たれ、街はより平和に彩られる。親が求める理想に近づくために、邁進し続ける。それでいいと、思っていた。
しかし、現実は違った。
魔王という脅威が去ったことで、人間たちの矛先は魔獣たちに向けられる。そして、その数も減らしてくると、今度は人同士で傷つけあうようになった。特に、リリアが住む環境ではよく醜い争いが目に付いた。
次の権力者の椅子に自分で座れるように、様々な根回しや黒い噂を見聞きする。その光景にほとほと嫌気が差していた。何故人間たちは、仲良くすることができないのか。よくそんな疑問を抱いたものだ。
この旅は、親から命じられて始めた旅だった。目標はある。だが、親から与えられたその目標もまた、理解し難いものだった。旅の中で、様々な人々と出会うだろう。そこでの出来事は、きっと疑問の解消に役立つかもしれない。そう思って、今は旅を続けている。
どうすれば人々が争わずに済むのか。そんなくだらないことから目を背けさせるに、何かできることはないのか。その答えはしかし、未だに見つけられないでいる。
「よしっ、できましたわ」
普段外出する際はもっと時間を掛けて髪を結ぶのだが、今は人目もない夜中。多少簡素でも怒られないだろう。
リリアは普段着に着替えを済ませ、それから部屋を出た。彼女が泊まっているその場所は、タウリ村の村長が有する古い一軒家。他に誰も泊まっておらず、静寂な廊下を歩きながら玄関口を目指す。
「……? いま、何か声がしませんでしたこと?」
明かり一つ灯っていない廊下を歩きながら、耳を澄ませる。来訪者も少ない村の夜に、騒ぐ人間などいない。そう思っていたが、どうやらやはり外から声が飛んでくる。
それも聞き覚えのある声だ。
「村長様かしら」
玄関扉を開けると、花の香りが鼻をくすぐった。気持ちの良い山風が、髪を撫でて過ぎていく。
そして同時に、耳に届く声がクリアになった。
「こんなことをして、許されるとでも思ってるんですか!」
「交渉の余地もねえんだ。仕方がねえよな?」
一人は村長であるメンカルのモノだ。そしてもう一人、彼と喋っているのは、確か昼間にいた男だろうか。
名前は確か――
「ケイナズさん。悪いことは言いませんから、どうかお止めください」
「そいつは無理な相談だ。おいお前らいいぞ、やっちまえ」
「やめ――」
直後。
村長の声を遮るように爆音が響き渡った。それと同時に、馬鹿馬鹿しい下品な笑い声も上がる。
急いで声の方向へ走った。その場所は意外にもすぐ近くで、目に飛び込んできた光景に思わず足を止めてしまった。
松明が闇を照らす中、スコップやツルハシを持った男たちが花畑を荒らしている。墓があろうが、どれだけ綺麗に花が咲いていようが関係のない様子で、彼らは躊躇うことなく蛮行を繰り返す。
「――っ!! すぐに辞めさせてください!!」
「ああ、ああ、うるせえうるせえ。――ちょっと、黙ってろ」
そんな人道的とは言えない行為を辞めさせるべく、村長が黒い眼鏡を掛けた男、ケイナズに詰め寄った。
彼はそれを一瞥したかと思うと、左手をポケットから引き抜いた。
「――――――――っっ!?」
瞬間、鮮血が飛び散った。鋭い斬撃が村長の体を袈裟斬りにしたのだと、そう認識した時にはその身が宙へと吹き飛ばされていた。
「村長様――っ」
リリアの体は、自然と動いていた。全力疾走で村長の元へと駆け寄りながら、その手に杖を現出させる。
ゆっくりと倒れる村長の体を、咄嗟に抱き留めたリリアは、すぐに回復魔術を施し始めた。
とはいえ、それも一瞬のこと。緑色の光に包まれたかと思えば、村長が負っていた傷は一瞬で消えていた。
「あん? あんた昼間に伝説の剣のとこにいたヤツか。いや、そんなことより、今のは――」
「あなた方何をしていらっしゃるんですの!? どうして、こんな……っ」
あまりにも軽く、壊れそうな村長を抱き締めながら、言葉を紡ごうとする。
何故こんなことができる?
どうして平気な顔で、傷つけるようなことができる?
言葉に詰まったリリアに、ケイナズは呆れたような態度で応えた。
「俺たちはあくまでも紳士的に話し合おうとしたんだ。だが、この爺さんは聞く耳も持たねえ。だからちょっと実力行使に出ただけだ」
「嘘ばっかり! あなた方が無理やり、奪おうとしているだけですわ!」
「……」
どれだけ叫んでもこの怒りが収まる気配はない。
どれほどぶつけても、彼が改心する様子もない。
それでも、リリアは感情をぶつける。それが自分自身の正義なのだから。
だが――
「が――っ!?」
地面を埋める花々が、深紅の血に染められる。
遅れて、灼熱の痛みがリリアを襲った。そしてそのまま、バランスを崩しその場に倒れる。
体を、柔らかい花が包み込み、甘い香りが鼻をくすぐった。
力が入らない。視界に映るのは、風に揺れる花とそして、誰かの左腕。見覚えがあるそれを見て、そこでようやく、自分の腕が斬られたのだと、理解した。
まるでまだ夢の中にいるようだ。あるいは、夢の中であった方が、マシだったかもしれない。
「うるせえんだよ。ちょっと黙ってろ」
ケイナズの冷酷な声が落ちてきて、耳に入り込んでくる。こんなやつらの言うことを聞くために、この場にいるのか?
もしそうだったなら、とんだ馬鹿者だ。いま、自分がここにいる理由は、そんな情けないものじゃないだろう。
「うるさい……、ですわよ――」
痛みと眩暈で上手く立ち上がれない。片腕を失ったことで、バランス感覚が狂っている。
それでも。
リリアは信念と気力だけで、なんとか立ち上がる。
そして視線をケイナズに据えたまま、杖を掴んだ右手を振るった。
「……やっぱりな」
感心、あるいは納得したようなケイナズの耳障りな声が纏わりつく。そんなことは、関係ない。自分は今できることをやるだけだ。
リリアが杖を振るうと同時、緑色の光が彼女の左腕を包んだ。そこには既に腕はなかったはずだが、その一瞬、緑の光が晴れると共に、瞬く間にリリアの腕は元に戻っていた。
「傷も何もかも、完全復活とは大したやつだ。それほどの回復魔術を持ってるやつは珍しい。……決めた。この村の魔道具と一緒に、あんたも連れて帰る」
「誰があなたの言いなりになんかなるもんですか!」
「口の減らねえガキだな」
彼が指を弾くと、見えない速さで斬撃が飛んだ。それは真っ直ぐにリリアの両腕を切り裂いて、彼女自身を吹き飛ばす。
「――っ!!」
「どんな傷でも治せるなら、どんだけ壊してもいいってことだよな」
倒れ伏すリリアに、一歩ケイナズが近づいた。
どうして人間たちで争う必要があるのか。言葉を交わせるというのに。せっかく平和になったというのに。
どうして、血が流れて、傷を負う人が生まれてしまうのか。
自分のことは、どうだっていい。
ただ歴史を紡いできたこの村が、無知な輩に蹂躙されているこの事実に、リリアは苦しみ、涙を流す。
誰でもいいから。
救ってください。
祈る手を失ったリリアは、それでもそう祈りを捧げる。
「まずはそのうるせえ喉を切り裂いちまうか」
祈りは、届かない。
所詮自分は何もできない、小さな人間だった。そんな諦めが、彼女の瞳を閉ざしてしまう。
やがてケイナズが指を弾く、その音を聞いた。
ぱちん、と。軽い音が鳴り、やがて斬撃はリリアを切り裂くだろう。
そう思い、身構える。
しかし、どれだけ経っても、痛みが彼女を襲うことはない。恐る恐る、瞼を開く。
そこには長い黒髪を縛っている、男の後ろ姿があった。
見覚えのある恰好。それはつい先ほど、別れたばかりの青年の姿と、酷似している。
「――何もんだ? あんた」
ケイナズのその問い掛けには、俄かに緊張感が帯びていた。リリアを庇うように立つその青年は、少しの間を置いた後に凍えるような声で言い放つ。
「生憎と、蛮族に名乗るような名前はありませんね」
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