タウリ村③
戦塵が空を覆う。
空に近いはずのこの山の中腹であっても、広がる青を見ることは叶わず、代わりに蔓延るのは赤い色。
家々から火の手が上がる、紅。
呻き声を上げながら苦しそうに這いずり回る、朱。
地面を濡らすほどに、飛び散り広がっていく、赤、赤、赤。
そこで繰り広げられる光景は、惨憺たるものだった。
人々が死に物狂いで逃げ惑い、それを四足歩行の怪物が追いかけまわす。追いつかれた者はその爪と牙で体をズタズタに引き裂かれて、悲鳴すら上げることもできないでいた。
人間に満ちた潮が、破裂するようにはじけ飛んで周囲に鮮血を撒き散らす。
それが幾重にも多発し、最早生きている人間も数えるほど。その惨状は筆舌に尽くし難く、燃える大地を背景に、人間だったものは次々に姿を崩していく。
『……悪く思うなよ、ガキ』
その戦禍の中、両足で佇む男が一人、視線を見下ろしていた。そこにいたのは、金髪の少女。彼女は可哀想なほどに震え、瞳に恐怖と絶望を滲ませている。
剣と盾を携える男は、その毛並みを火に輝かせながら、鋭い目つきで少女を睨んだ。
『元はと言えば人間どもが悪ィんだよ。オレたちを騙して、追い出そうとしやがって。やっぱり、オマエたちは信用できねェ』
『……な、なんで――』
『あるヤツから言われたんだよ。この村で、付近の魔獣一掃を計画しているってな。言っとくが、これはオマエたちが始めた戦いだ。オレたちはただ、生きるために抵抗しただけだ』
それは果たして、罪の告白か。自分たちは悪くない。自分たちは生きたいだけ。そう言っているように、感じられる。
そうして苦しそう顔を歪める魔獣の男は、その剣を少女に向けた。
『ガキに恨みはねェが、復讐されても困るからな。悪ィが皆殺しだ』
刹那。
その剣が放つ斬撃が、少女の首を刎ねるべく、振るわれる。
積み重ねられた紅い土に、また鮮やかな色彩が加えられる、と。少女も男も、そう思っていた。
だが、結果は歪む。
少女目掛けて滑る剣が、甲高い音と共に、割り込んできた何かに止められていた。
『――すまない。助けるのが、遅れてしまったな』
疾風と共に姿を現したのは一人の老翁だった。肌を刻む皺は多く、銀色の髪は長く後ろで結わえられている。
彼はその深紅の双眸を目の前の魔獣に向けながら、携えた杖で彼の剣を受け止めていた。
『銀の髪に深紅の眼……、それに、鳥の羽をあしらったその杖――、アンタまさか――』
魔獣の男は、先ほどまでの表情を崩し、明らかに動揺した様子で剣を引く。脅えを孕んだ視線を向ける男に、老翁は渋い顔で返した。
『お前さんたちの不安もわかる。だが、こんなことをして何になる? 言葉を交わせるんだ。もっと理性的に生きたらどうだ』
『……ウェゼン。アンタにゃわかんねェよ。オレたちは常に弱者だ。上位者から搾取されるだけ搾取されて、泥水を啜る生活をしてきたオレたちの気持ちなんて、わかるわけねェ』
『だから殺すのか?』
『ああ、これは、オレたちが起こした戦いだからな』
魔獣の男がいま一度距離を取って、腰を落とす。逃走のための姿勢ではない。
それは抗うための、意思表示だった。
『死ね――っ』
瞬間、魔獣の男の足元が爆発した。
否、爆発したように、地面が捲れたのだ。それほどまでに力が込められた足で、老翁との距離を一瞬で詰める。
防御の姿勢も間に合わない。振るう剣が、老翁の体を捉える。
『残念だ……』
『――っ!?』
だが、老翁にそれが届くことは、なかった。
彼の背後。その上空に多数の光球が現れたかと思うと、そこから無数の光線が降り注いだ。
音もなく降る雨に、地面が轟音と共に削れていく。
大地は抉れ、空気は裂かれ、土煙が舞う中。
魔獣の男は空を見上げるように、倒れ伏していた。
『が――、』
その体は穿たれ、血溜まりに沈んでいる。両腕、両足は既にない。本来なら即死であろう状態の中、掠れた声が喉から絞り出される。
『……報いだ、な』
『……すまない』
『謝るんじゃねェ、よ……。悪ィのは、ただ一人だ』
溺れたように、血が口から溢れ出る。小さく、弱々しかった眼の光は、それから間もなくして薄くぼやけて。
やがてその瞳には、何も映らなくなった。
『お前さんの意思は確かに届いたぞ』
そう苦しみながら言葉を唱えると、老翁は杖を天に掲げる。
『全空照らす未来の恩恵』
彼がそう告げると、天を覆っていた分厚い戦塵が瞬時に晴れた。突如として発現した異常に、暴れていた魔獣たちはその動きを止め、空を仰ぐ。
『聞け! 聡明な魔獣たちよ!』
杖を打ち付け地面を鳴らすと、老翁の声が空間に響き渡る。
決して大きいとは言えない声音だったが、戦禍が緩んだ今であれば、この村全域に届かせるには十分だった。
『お前さんたちの頭は討たれた! よって、これ以上の戦いは無益だろう! ここは大人しく引いて、以後人間たちを襲わないことを約束してほしい!』
それは人間のための言葉。人語を解さない魔獣相手には通じないはずだ。
しかしそれでも、四足の魔獣は頭を垂れて、老翁の言葉に平伏すように戦いの意思を消した。それから魔獣たちは大人しく歩み始め、やがて全員がその村から去っていった。
残されたのは老翁と少女。それから傷を負った村人数人。
静寂がその場を支配する空間で、老翁が未だ脅える少女に手を差し出す。
『怖がらせてすまない。これで魔獣の脅威は去った。……お前さん、名前は何という?』
困惑と、憔悴。大事な人たちをたった今失ったであろう少女は震える手で、彼の手を掴む。
『……ミラ=アステイル』
涙で掠れた声で、金髪の少女はそう告げたのだった。
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