勇者が残した傷跡④
自分は何をしているのだろう。
憧れの人物の暴走を止められなかった。部下を巻き込んでしまった。何も成し遂げられずただ、一人でに傷ついて、伏せている。
そんな自分に嫌気が差して、あまりの情けなさに眩暈がする。今の心境で、眠ることなど到底不可能だ。
窓から浮かぶ月を見上げると、少しだけ気分が紛れた気がした。このままベッドに横たわっていても、心は休まらない。そう思い立ち、他の傷病者を起こさないようにゆっくりと立ち上がり、そのまま部屋を出た。
外に出ると心地良い夜風が金色の髪をさらった。ここは街の外れにある病院。討伐祭による被害は少なく、周囲も崩壊している様子は見られない。
そのまま、病院の近くに設けられたベンチへと腰掛ける。耳を澄ますと、風が草木を揺らす音と、小さな虫の音色が重なり、穏やかな春の景色が浮かんでくる。
そんな落ち着いた空気の中だからこそ、自分とより向き合える。
今日のことは、後悔していない。
ディアフルンの騎士団、『メサティフ』として、街を守るために行動したことだ。そこに間違いはなかった。
ただ、資格がなかっただけの話だ。
騎士団長を止められるだけの、資格が。
「……結局、私は――」
あの人の隣に立とうと頑張ってきた。ダクエルと共に、剣を競い、訓練も怠らず、魔獣を討伐し続けて、必死に前へと進み続けてきた。
でも、それでも足りなかった。到底、及ばなかった。覚悟に対して実力が、伴わなかった。
何のための力だ。何のためのこれまでか。いったい自分は、何を目指してここまで来たのか。
明確なはずなのに、手が届かないから。
苦しい。
吐き出したいほどの辛さが、呼吸を妨げ意識を奪おうとする。
悔しい。
望んでいたモノ全てをはく奪され、地に叩きつけられて全身が炙られたように痛む。
――私には、何もないのね。
そんな弱さに呑まれて、心を楽にしようとした。
そう思えた方が楽だから。今の苦しさから、逃れることができるはずだから。
自分は資格を持たない存在だと、認めてしまって。
目を瞑ろうとした。
「――ルシアン」
「――っ」
聴き馴染みのある声が、それを邪魔した。
ここにいるはずもなくて、いてはいけない人。
「どうして、ここにいらっしゃるんですか?」
振り向かず、ただ言葉だけでそう尋ねる。今、彼の姿を見る資格を、自分は持っていないから。
「あたしが連れてきたのよ」
今度は、振り返れた。振り返ってしまった。そこにいたのは、銀色の髪を揺らし、紅い瞳を湛える少女。
それから、茶色の髪を後ろで縛り、顔にほうれい線を描いた男性。
彼は気まずそうな顔でその場に佇んで、こちらを見つめている。
慌てて立ち上がって、どうして、と。そんな言葉を呟く前に、シャーミアが答えた。
「あたしはこの国の人間じゃないわ。ただ偶然街に遊びに来て、それからルシアンさんと知り合っただけの、観光客よ。だから、街の問題は、街の人同士でどうにかした方がいいと思ったの」
「でも――」
「だから、これがあたしの役目。ここまでが、あたしにできること。……あたしは、シリウスほど器用じゃないから、こうすることしかできないけどね」
シャーミアは申し訳なさそうな顔をして、それから踵を返す。まるで、用事が終わったと言わんばかりに。
「それじゃあね、トゥワルフさんに、ルシアンさん。また落ち着いたら、美味しいモノでも食べに行きましょ」
銀色が夜に溶ける。そのまま、振り返ることなく、彼女はその場を立ち去った。
「最近の子どもは、色々と察しがいいですね」
「……はい、本当に」
そう思うと同時に、大人としてもっとしっかりしないとと思う。とはいえ、この状況を作ってくれたシャーミアには感謝しかない。自分一人では、こうして彼と一対一で話せなかっただろうから。
「……ルシアンには随分と、迷惑を掛けてしまいましたね。――すみませんでした」
「そんなっ。どうか頭をあげてください! トゥワルフ騎士団長が謝るようなことじゃありませんから!」
「いや、これは戒めなんです。誰のせいであったとしても、部下を、あなたを傷つけてしまったという事実が消えることはありませんから。……これは、自分のための謝罪でもあるんです」
そう言って頭を上げた彼の顔は、悲痛に歪んで、――苦しそうだった。
――やっぱりこの人も、苦しんでいる。自分がしてしまった過ちについて、過剰なほどに背負いすぎている。
自分とは、真逆だなと、そう思えた。
彼は責任を負いすぎるし、自分は苦しさから逃れようとしてしまった。そのことを考えると、余計に苦しくなって、つい口を開いて、誤魔化そうとする。
「私も、同じです。どれだけ理想を掲げても、結果はこのざまでした。止めたい人の暴走も止められなくて、余計に傷つけてしまいましたから。謝るのは、私も同じです」
申し訳ございません、と。
頭を下げる行動に、何の意味があるのだろうか。彼の言う通り、それは自分のためなのかもしれなかった。
そうして、自分の至らなさを許そうとしている。そう思われても仕方のない、無意味な謝罪だった。
「……なら、これで帳消しですね」
トゥワルフの口元から、笑いが零れたような気がした。その様子は見逃したが、返答を受けてすぐに顔を上げる。
「……そんなことは――」
「私とあなたは同じなんですから、これで分かち合えたとするべきでしょう」
彼は、砕けた顔でそう言った。
――あの時と、同じだ。
子どもの頃、魔獣から助けてくれた時、安心させるために見せたその表情と同じ。
結局、この人は。
自分に対して、子どもの頃から何も変わっていない。
いつまでも守る対象で。
いつまでも後ろにいる存在なのだ。
それがいま明瞭となって、そして――
「トゥワルフ騎士団長」
「……なんですか?」
足掻いても、追いつけない。そもそも対等な関係にすらなれないのかもしれない。
それでも吐き出さなければ気が済まなかった。
「私は、弱いです。この騒動でも、街はおろか民すら守れませんでした」
「……そんなことはありませんよ。あなたが私を止めた時間は、確実に結果を変えたと思います。あなたがあの場にいなければ当然被害が減っていた可能性はあるかもしれませんが、それ以上に、この戦いが長引いていたでしょう」
「それでも、負けていい戦いなんて、私は知りません」
「……」
言葉が夜に混じる。肺いっぱいに空気を吸い込んで、呼吸を正す。そうしないと、余計なことも口走ってしまいそうになるだろうから。
「私たちは街を守る存在。民の日常を維持しての騎士です。負けを勘定に入れるなんて、できません」
「でも、私たちは負けました」
彼の瞳に、僅かな後悔が入り込んだ気がした。自責の念がそうさせるのだろう。この場にいる人間に落とされたその言葉は、イヤなほどに耳にこだまする。
逃げたくなる、そんな自分の弱さを、無理やりにでも引っ張って、自分の胸に手を充てる。
答えを、逃がさないように。
「……そうです。本来なら、その時点でこの街は、ディアフルンは滅んでいました」
「――私が強ければ、こうはなりませんでしたね」
「……そうじゃ、ありません」
一人がどれだけ強くても、それでたとえ上手くいっても。
この街は、また同じ苦難に立たされるだろう。
「私たちがもっと騎士団長を支えるべきだったんです。貴方ほど強くなれないかもしれません。ですが、受け皿になることはできるはずです。頼られるほど、強くなれるはずなんです」
「……ルシアン」
「どうか、一人で抱え込まないでください。頼りない背中かもしれません。落胆させるかもしれません。ですが貴方には志を共にする、仲間がいることを憶えておいてほしいんです。責任も使命も、何もかも全部分担しましょう」
握りしめる手に、力が籠る。隣に立つのは自分じゃなくてもいい。誰が騎士団長の隣に立っていてもいい。でも、彼が独りで旅立つことだけは、させてはいけない。
その隣に、肩を貸せる存在が、いるべきだ。
「――私たちは、騎士団なんですから」
「……っ。……そう、そうですね。確かに、少し、一人で走りすぎていたのかもしれません」
そう口を開いた彼は、少しだけその肩の力を抜いていた。真面目な彼のことだ、それも気休め程度でしかないかもしれなかったが、浮かべていた彼の表情を見て、ルシアンは少しだけ安堵した。
「――ですから、一緒に。この街のために、尽くしましょう。もう二度と、こんな悲劇を生まないためにも」
トゥワルフの表情が、和らいだ。それまであった、どこか作られた表情ではなく、純粋に象られた、穏やかな顔つきだった。
――ああ、やっぱりそうだ。この人に助けられた時から……。
らしくない彼の様相を見て、不安定だった覚悟が定まる。
ずっと、追い掛け続けて、まだ辿り着けないその場所へ。
いつの日か、並ぼう。
ルシアンは遠く浮かぶ月を見て、その想いを再確認するのだった。
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