勇者が残した傷跡③
長い、長すぎた一日が終わった。
ある者は安心して眠り、ある者は未だ休まずに働き続ける。ただそこに違いはない。あるのはただの安寧。誰もがまた明くる日、朝陽を拝めると信じて、時を過ごす。
「……」
危うく、そんな訪れるはずだった当然の幸福を破壊するところだった。イデルガの所為ではない。これは、ひとえに自分の弱さ。彼に抗えるほどの力がなかった自分が悪いのだ。
「トゥワルフさん、お勤めご苦労様です!」
「ご苦労様です。後の警備は私がやりますので、あなたたちは休んでください」
「ですが……」
「大丈夫です。私がそう、したいんです」
「……わかりました。それでは、お気をつけて」
破壊された街に、いつ火事場泥棒が出るとも限らない。特に、陽が落ちると尚更その機会は増えるだろう。
トゥワルフは巡回にあたっていた騎士たちに労いの言葉を投げ掛けて、自分も夜の町へと繰り出す。
街灯も、家々の明かりもすっかり失われた災厄の直後、街は死んだように静まり返っていた。ランタンを持ってなお、その先は見通せず、ただ照らされるのは破壊の跡ばかり。
目の前に広がる光景を見るたびに、悪寒が走る。街をこれほどまでに滅茶苦茶にした、その一端は自分にある。しっかりと現実と向き合わなければならないと、そう思う一方で、トゥワルフは背けるように視線を空へと逃がした。
雲一つない夜空には、輝く粒が散らばっている。それらはただ黒い天幕に浮かんでいるだけで、何も答えてくれない。何も、導いてくれない。
美しいその景色を滲んだ瞳に映していると、微かに物音が響いた。火事場泥棒かと思ったが、しかし暗闇から覗く声に、トゥワルフは一瞬の警戒をすぐに解いた。
「夜中は巡回までして、騎士団長も大変ね」
「……それがこの街の守護をする『メサティフ』の務めですから」
振り返り、暗闇に向けて光を飛ばす。拭われた黒から現れたのは、透き通るような銀髪を左側頭部でまとめて結んでいる女性。
「あなたも、こんな夜中に出歩いてはいけませんよ。……シャーミアさん、とお呼びすればいいですかね?」
彼女は少し驚いたような表情を見せて、それから苦笑した。
「そういえば、まだちゃんと名乗ってなかったわね。シャーミア=セイラスよ。よろしくね」
「……セイラス、ですか。道理で――」
かつて、魔王討伐に参加したという老魔術師を思い出す。この街にも何度か訪れており、その度に魔術の稽古を受けていた。まさか孫がいるとは知らなかったが。
「それで、夜遅くにどうかしましたか? まさか、ただ私とお喋りをしに来たわけじゃないでしょう」
「その通りよ。アンタと話したいことがあったから、ここに来たの。昼間は、色々忙しそうだったし」
あまりにもあっさりと、そう告げるシャーミアに少し面食らう。彼女と自分との間に大した繋がりはない。言ってしまえば元敵同士。刃を交じり合った関係に過ぎない。今は敵対関係ではないが、取り立てて話すことなどないはずだった。
「不思議? まあ、たった今自己紹介をしたような関係だし、そりゃそうよね」
一方で彼女はそれがわかっているような態度を見せた上で、肩を竦めて改めてこちらを見つめる。
「別に身構えなくてもいいわよ。ただ、ちょっと確認したかっただけだから」
「確認、と言いますと?」
「アンタ、責任とか感じるタイプでしょ? 自分のせいでこうなったって、自分のことを許せなくなってるんじゃないかって思ったの」
「……驚きましたね。あなたは随分と、人を見る目があるようで」
今の自分の精神状態をピタリと当てられて、動揺を通り越して寧ろ関心が先に来る。それほどわかりやすかっただろうかと、過去の自分を顧みるものの、しかし彼女から飛んできたのは違う角度での回答だった。
「違うわ。これは全部、ルシアンさんから聞いたことよ」
「ルシアンから……?」
「そ。あの人ね、夕方ぐらいに目を覚ましたの。……自分の怪我のこととか、ルシアンさん自身が持ってる使命感とか、そんな気になる部分がたくさんあったはずなんだけどね。目が覚めてすぐ、あたしにこう言ったの。トゥワルフ騎士団長を気遣ってほしいって」
シャーミアから紡がれる言葉は、子守唄のように優しく穏やかだ。ざわついていたトゥワルフ自身の心が、今は少しだけ落ち着いて、鼓動を鳴らしている。
「自分のせいで街がこれほどまでの被害に及んでしまった。自分がもっとしっかりしていれば最悪の結果にはならなかった。きっとそう思ってるはずだからって。ルシアンさんはそう言ってたわ」
「……さすがですね。そこまで、看破されているとは」
部下にそこまで心労を掛けさせてしまったことに、また心が波を立て始める。全ては自分の不甲斐なさから来ている。自分がもっと強ければ、こうはなっていないのだから。
しかし同時に、感謝もあった。深い霧の中、前すら見えない場所で、輝く存在が瞬く。自分のことを心配してくれている人がいる。自分のことを信じてくれている人がいる。
それが知れたことで、少しだけ救われた。
「シャーミアさんも、わざわざありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。見ての通り、私は普段通りに業務をこなせていますから」
「……そうね。見たところ普通だけど、正直、アンタの心の内なんてわからない。だってあたしとアンタは殺し合った間柄なんだし。そもそもルシアンさん自身でそれを伝えればって思ったの」
「ごもっともですね。ですが、それでわざわざこうして足を運んでくださるあなたもまた、随分とお人好しだと思いますが」
「でもここでの出番はあたしじゃない」
彼女は、きっぱりとそう言った。誰にでも役割は存在する。かつて、イデルガがよく言っていた言葉だ。それを思い出す辺り、まだあの存在に毒されているのかもしれないと、そう思うものの、振り払うこともできない。
ただ、毅然とした態度でそう即座に返す彼女を眺めて、言葉を待つ。
「だから、無理やりにでもその場を作らないといけないなって思ったのよ。……トゥワルフさんさえ良ければだけど、ちょっと着いてきてくれる?」
その言葉に空を仰ぐ。今の自分の役割は、この街を守護すること。ただでさえ不安定な状況で、さらに不幸が降り注ぐことは避けなければならない。
しかし、そうした使命とは別に、自らを律する心はまた別の道を進みたがる。そんな思いを知った上で、これまでの自分であれば、きっとまた別の日に、と。そう断っていただろう。
だが、今は自分の弱さを知れている。何かに囚われることの弱さを、知っている。
視界に広がる瞬きは何も言ってくれない。けれど、自ずと答えは導き出せていた。
「わかりました。……ですが、どこに行くんですか?」
当然の質問に、彼女は不敵な、けれどどこか温かい、そんな笑みを浮かべる。
「病院よ。あとは、まあ着いて来ればわかるから」
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