魔神臨在学会
白い羽が舞い、それらがシリウスの元へと集う。重さの感じない純白は、彼女に触れると雪のようにその姿を溶かして、消えていった。
「……――」
空を見上げれば太陽が燦々と輝いていた。光を振り撒くそれは、地上を照らし、平等に影を作る。
『影の勇者』、イデルガ。彼が封印されるその直後に見せた表情は、恐怖や悔恨に彩られた負の感情ではなかった。そこにあったのは、諦観と、それから疲れたような微笑だった。
シリウスは彼ら勇者のことをよく知らない。知ろうとも思わない。それは、自分自身の復讐のために必要なことで、そこに余計な感情はいらないが故の、拒絶だった。
だが最後に魅せたイデルガの様子は、シリウスの胸中を晴れやかにさせない。
復讐を果たしたというのに、そこにあるのはじめりとした不快感のみ。
空中に漂っていた彼女は青空の下、ゆっくりと降下していく。傷ついた体は回復魔術で治療を施す。やがて荒れた城、最早瓦礫の山となったこの街の象徴へと降り立ち、そして嘆息を漏らした。
「……余は今、機嫌が悪い。話なら、後日にしてもらおう」
うんざりしたように、わざとらしくそう言い放つ。その場には誰もいない。ただ人々が暮らしていたらしき痕跡として、瓦礫と部屋の跡が残っているぐらいだ。
がらり、と。瓦礫を蹴る音が静かな空間に鳴り響いた。
「――立て込んでいるところ申し訳ございません。ですが、こちらも火急の件となっていまして、少々お時間をいただきます」
壁の残骸から現れたのは襟を立てたオーバーコートに身を包む長身の女性と赤と黒を基調としたドレスを着た女性。オーバーコートの女性はその足で一歩踏み出し、ドレス姿の蠱惑的な女性はふわふわと浮きながら、チラチラとこちらを窺っている。
「ワタクシ、魔神臨在学会の第二席、名をエリオレスと申します。以後お見知りおきを」
礼儀正しく、頭を下げたエリオレスは、シリウスの言葉を待つことなくさらに言葉を続けた。
「勇者討伐の一部始終を拝見しておりました。魔王としての器を『影の勇者』には期待していましたが、彼はそれを成し遂げられずに敗れたようで。まったく使えない存在でした。わざわざこの国の元王と、取引まで行ったというのに。……とはいえ、貴女様は素晴らしい腕前です。さすがは魔王様のご息女といったところでしょうか」
「……お主たち魔獣だな。人語を解する魔獣だというのに、余の言葉が通じぬわけではないだろう。――日を改めろと言っておる」
魔力を放ち、圧を出す。風もない穏やかな陽射しの中、不規則な空気が渦を巻く。
しかしどれだけ殺気を放っても、彼女たちは臆する様子も見せずにそこにいる。そんな中、浮遊していた女性が緊張した様子で、否、興奮した調子で声を上げた。
「ハア……、かの魔王のご息女様の魔力♡ なんて美味しそうなのかしら……♡」
背中と胸元が大胆に開いたタイトなドレスに身を包んだ彼女は、口元をだらしなく歪ませて、不快な視線を向けてくる。
自分に対しての敵意は感じられない。
だが寒気が走るのは事実で、シリウスはその女性を睨んだ。
「ああん……♡ ご息女様の視線を独り占めなんて、なんて光栄なことなの! ――あ、ごめんなさい、ボクはアルメリィナ♡。気軽にリナって呼んでくれると、嬉しいな……♡」
シリウスの眼光など意に介していない様子で、アルメリィナがその扇情的な体をくねらせる。
こいつらが何者かなど、もはやどうだっていい。とはいえ、放っておくつもりもない。このままこの来訪者たちを野放しにすると、疲弊しているこの街にどのような被害を及ぼすか想像に難くない。
目の前にいる人型の魔獣からは、それほどまでに周囲に向けられる害意と死の臭いが感じ取れた。
「ボクは魔神臨在学会の第一席を任されてるのよ! それもこれも、貴女様のため♡ 貴女様は、ようやく現れたボクの推し! ……ずっと、待ってたの。色々と、貴女様のためにやれることはやってきたつもり。ボクが書いた論文、『魔王再臨の必要性と魔獣社会の将来について』なんて、魔術都市に認められたんだから! そうだ! ぜひ、貴女様にも読んでほしいな♡」
「……今すぐその口を閉ざし、ここから黙って立ち去るがよい。そうすれば、手荒な真似はせぬ」
そう忠告し、実際に魔力も満たす。彼女たちが動けば、いつでも魔術を行使できる。それを相手も理解しているはずだ。しかしその段階になってもなお、アルメリィナと名乗った女性は調子を乱さず、寧ろ興奮を増した様子を見せる。
「その言葉、その覇気。全てがボクにとっての栄養♡ いえ、全世界にこの素晴らしさを伝えるべきね! やっぱり貴女様は、魔神になるべきよ!」
「――警告はした」
直後、アルメリィナの足元から閃光が瞬いた。それは遥か上空まで伸びる真白の柱となり、彼女の全身を包んだ。
それは、鉄をも溶かすほどの熱線。触れれば骨すら残らない、そんな攻撃だ。
当然、直撃した彼女が生きているはずなど、なかった。
「――あは♡」
立ち昇る光の柱が消えて、そこに浮かぶのはボロボロのドレスを纏う、アルメリィナの愉しそうな姿。
傷らしい傷すらなく、血の一滴すら流れていない。寧ろその体、というよりも腹部に現れた変化の方に目が行ってしまう。
「……お主、余の魔力を吸収したな?」
それまで引き締まっていた彼女の腹は、妊婦のように膨らんでいた。そのような体質の魔獣にシリウスは心当たりがあったが、断定はできない。可能性の一つをただ、口にする。
対して、アルメリィナは恍惚とした顔をさらに歪ませて、愛おしそうにその腹を優しく撫でた。
「吸収なんて、冷たい言い方しないで……♡ これは貴女様から注がれた愛のそのもの。それをボクが受け止めた結果なんだから♡ ――ああ、でももっと欲しい♡ とてもじゃないけど足りないわ! もっとボクに注いで♡ もっと激しく道具みたいに、ボクに劣情をぶつけて!!」
この女性がどこまで本気なのか測りかねる。ふざけているようにも見えるし、心から訴えているようにも感じる。
どちらにしても危険だ。やはり野放しにはできない。
シリウスが続けて詠唱を唱えようとしたその時、オーバーコートの女性、エリオレスが割り込んだ。
「そこまでですよ、リナ。いまご息女様はお疲れです。これ以上あなたの遊びに付き合っている暇などありません」
「……ふふ♡ わかってるって」
ふわりと浮いた体で身を翻したアルメリィナは、エリオレスの隣へと戻った。戦うつもりはないことはわかる。しかし、この勇者を討ったタイミングで姿を見せた彼女たちの意図は、決して温和なものではないはずだった。
「時間を取らせてしまい、申し訳ございません。ですが、一つだけご提案をさせていただきたく」
エリオレスはその口元を襟で隠しながら、ただその瞳を妖しく輝かせたままに、シリウスから逸らすことなく真っ直ぐ見据える。
こちらとしても相手の目的を知っておきたい。シリウスは攻撃態勢を緩めることなく、黙って彼女の言葉を待つ。
「発言をお許しいただきありがとうございます。では、手短に。――ワタクシたち、魔神臨在学会は祖となる魔神を求めていました。魔王亡き後、魔獣の保護は完全に消え、人間たちの世界へと移り変わる節目に立たされていたのです。そこでワタクシたちは思い至ったのです。神がこの荒れた世を統治していただければ、何も問題はないと。魔王を超えた、魔神に」
「……余とその魔神とやらは何も関係はないだろう」
「前魔王のご息女様だからこそ、適任だとワタクシたちは判断しました。魔神臨在学会の座、全七席。全員の同意の上です。どうでしょうか、ワタクシたちと、この世界のために来ていただけませんか?」
そう言いながら、手を差し出される。白く、女性らしい美しい手だ。その手を取るのは容易いが、この話で触れていない部分がある。それはもっともシリウスが気にしている部分。
「人間たちは?」
「……はい?」
「余がそちらについていったとして、魔獣の統治者、お主たちの言うところの神となったとして。お主たちは、人間たちをどうするつもりだ?」
僅かに、静寂が訪れた。エリオレスは呆気に取られたように目を丸くさせていたが、やがて噴き出したように笑いだした。
「ちょっとエリオ、ボクの魔神様のこと笑った?」
「いや、リナのモノではないでしょう。……ですが、失礼いたしました。どうか先ほどの無礼についてお許しください。――ですが」
彼女は咳払いをした後、呆れたように肩をすくめた。あるいは、つまらなさそうにその瞳を凍てつかせると、周囲の空気まで重くなったように質量を帯び、そのままエリオレスは淡々と答える。
「人間のことなど気にしなくてもいいでしょう。それとも、ご息女様は特定の人間に肩入れをしていらっしゃるのですか? それならその方だけ、ワタクシたちの創る理想の世界に連れていきましょう。――一部を除いて、この世に他はいらないでしょう」
彼女が放つ魔力は、冷たい。それも全てを拒絶するような、相容れない壁をエリオレスからは感じる。
だが、ちょうどいい。
シリウスとしても、彼女が提唱する世界など願い下げだ。
この世界は、魔獣と人間、それぞれがいて成り立つ。どちらかが欠けた世界は、それは最早別の世界。父が望んだモノではない。師匠が望んだモノではない。
自身が望む、光景は得られない。
「いつから余のことを観測してきたかは知らぬが、どうやら調査不足のようだな。これでは、提案の場にすらなっておらぬ」
「……でしょうね。わかっていましたよ。ご息女様が、人間を特別贔屓しているということを」
「勘違いするな。余は人間も魔獣も平等に扱っておるつもりだ。どちら片方に天秤を傾けることなど永劫ないことを、忘れるでないぞ」
「……肝に銘じておきましょう。それに、まだワタクシたちは貴女様を諦めていません。魔神になっていただくその日まで、ワタクシたちはご息女様の前に立たせていただきます」
丁重に腰を折り首を垂れると、彼女たちの足元から炎が上がった。それは勢いよく二人の体を空気に溶かしていく。
「それじゃ、また会おうね♡ 未来の魔神様」
気持ち悪いほどに甘い声を残して、やがて塵と共に彼女たちは姿を消した。
残されたのは粘りつくように不快な死の気配と紅蓮の少女。
そんな彼女の元に、遠くから聞き馴染んだ声が届くのだった。
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