VS『影の勇者』⑦
「閉幕だッテ? 討伐祭ハ、今まさニ行ワレているヨ」
雲は晴れ、雨は止んだ。空から降り注ぐのは眩しいばかりの陽光。腕にルアトを抱えながら、シリウスは薄く笑う異形のイデルガを見据える。
「魔獣狩りノ実演ダ! キミの討伐ヲ以て、祭りハ閉幕スル!」
勇者は手を眼前で叩き、そして合わせた手をゆっくりと開いていく。その中に広がるのは、完全なる闇。
「――|魔王の厄災願う永遠の艱難《レ=アドヴェルサ=コルニクス》」
黒よりも暗い、暗黒の球体が両手に生み出され、やがてそれは膨張を始める。
それは光すら逃がさない、闇そのもの。一度入れば抜け出せず、その超圧縮により肉片すら残らない。
間違いなく魔王の魔術だ。あれを受けきれる者は、卓越した魔術結界の持ち主以外にはいないだろう。
徐々に青空を飲み込んでいく黒の魔力の塊は、シリウスごとこの街を覆おうとしている。
当然、シリウスもそれをただ黙って見ているわけにはいかない。
「――本体、封印魔術の準備は整ったぞ」
「そうか」
傍らに立つ分体がそう囁いた。魔術起動に必要な詠唱は既に終えている。後は、本体が詠唱完了の言葉を上げるだけだ。
役目を終えた分体は姿を消して、残されたのは意識を失ったルアトを抱えるシリウスと、『影の勇者』のみ。
だが、それを待ってくれるほどイデルガも甘くはない。
「――離反」
黒の球体が波打つ。かと思えば、それは無数の触腕を形成し、シリウスに向かって手を伸ばした。
まるで球体に引きずり込もうとするその幾つもの手を、シリウスは飛行し、それらの間を抜けて躱していく。
「ゼラネジィと言えドモ、コノ攻撃ハ躱スしかナイようダネ!」
黒い球体から伸びる手は、まだ増え続ける。それは既に、空を覆う曇天のように、街の天蓋となって渦巻いていた。
その中を、シリウスは飛び続ける。危うげなく、しかし間隙を縫いながらイデルガから距離を取り、彼女の姿は街の端の方へと追い詰められていた。
「ここら辺りでよいか」
このまま逃げ続ければ、あの闇に掴まることはない。だが、それは街を危険に曝すことになる。シリウスとしてもそれは避けたかった。
一言、彼女は呟くと、ピタリと飛行を止めて踵を返す。
正面からは黒い手が迫ってきていた。無数に、無作為に追い掛けてきていたそれらはシリウスを標的として、さながら一本の巨大な腕のようにまとまり、こちらへと向かっている。
あの闇を媒介とした魔術にはありとあらゆる攻撃が通じない。光はもちろん、風や炎、水に雷、全ての対抗手段は封じられ、そのまま飲み込まれて圧殺される。
最凶の魔術ではある。
しかし最強ではない。
この世界にかつていた、偉大な魔術師はこう言った。
――シリウス。この世に無敵の力などない。特に、魔術にはな。魔術とは、進化の歴史なんだ。前を歩み続ける者にのみ、微笑むんだよ。
昨日のことのように広がるその記憶。思い出すこともなく、自然と浮かんだその言葉を心の中で諳んじる。
今もその教えは生きている。だから、シリウスは絶えず研究を続けた。自身の体内で魔術を刻み続け、そしてそれに対抗できる術式を組み上げ続ける。
歴史に名が残るほどの魔術であれば、当然その対抗策についても研究対象であり。
それに対してのみの魔術だって、開発されていた。
「――星暦の一」
五つの幾何学模様が広がり、浮かび上がった。シリウスと黒の手を挟むようにして現れたそれらはさらに細かく、色とりどりにさらに展開されていく。
そして――
「――魔王の娘の希望満ちた解放の寄る辺」
風が吹いた。
それは突風などという荒々しいものではない。春に吹くそよ風のような、あるいは野に流れる清風のようなそんな心地良い空気の奔流。
紅蓮の少女の背後から伝わる微風はやがて、黒い魔の手へと届く。
「……――っ、馬鹿ナ――っ!?」
イデルガの声が轟いた。
彼が繰り出した魔術は全てを染める。抵抗手段などない。あるのはただの破壊のみ。絶望を操るその術は、全魔術の中でも無敵の魔術だと言われていた。
その黒い触腕が、崩れていく。
何に触れているわけではない。強いて挙げるならば、吹く風に抗えずに、その手はボロボロと崩れ落ちて空気に溶けていく。
やがて、街の空を覆っていたその黒い魔術は、飲み込んでいた青空を還して、姿を消していた。
「あアア、有リ得ナイ!! 魔王ノ、最高ノ魔術ナはずダ!」
「魔術は常に、進化し続けておる」
即座に、イデルガの眼前へと戻ってきたシリウスは、見下すように彼の視線の上に浮かぶ。彼はその瞳を、焦燥と怒りに塗り潰したまま、歯を食いしばる。
「――っ、ゼラネジィ……!!」
「お主も、過去に囚われすぎたようだな」
ここに立っているのは、因縁の相手同士。敵対関係であり、今後それが修復されることなどないだろう。
しかしそれ以前に、互いにあの頃から抜け出せていない。彼は魔王と勇者の関係にこだわり、シリウスは父を殺した勇者への復讐心を抱いている。
それぞれに違いなどない。どちらも、救い難い場所にまで到達していた。
ただ差があるとするならば。
彼、彼女に手を差し伸べる、導き手がいたかどうか。
「これで終わりだ、『影の勇者』」
「――っ」
シリウスの背に陽が掛かる。それによって生み出される影が、苦渋を浮かべるイデルガの異形の身に落ちていた。
そして、彼女は紡ぐ。冷たく、芯から凍えるほど低い声音で、魔術詠唱の完了を告げる、そのために。
「――封印魔術、No,21、」
背中の五芒星の頂点、その全てに紫炎が灯った。それは象る星を燃やし尽くし、巨大な一つの炎となる。それがこの魔術の完成の合図。ようやく、悪を閉じ込めるための檻が開いた。
「籠の鳥は、自由を願う」
お読みいただきありがとうございます!!
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




