VS『メサティフ』団長、トゥワルフ⑦
辺りを包み込む静寂に耳を傾けると自分の心臓が高らかに脈動していることがわかる。それは乱れる呼吸が証明していて、自分自身でも動揺していることを自覚していた。
「――ヌイ……、トゥワルフの治療を――」
未だ震える短剣を無理やりに落ち着かせ、シャーミアはそう呼び掛ける。
だが、こだまする返事は彼女の期待していたものではなかった。
「……それには及びません」
「――っ!?」
そのすっかり聞き慣れた声に驚き、振り返る。シャーミアの目の前、先ほどまで倒れていたはずの騎士団長が、胸から血を流しながら佇んでいた。
「生憎、体だけは丈夫ですから」
「アンタまだ――」
すぐに短剣を構えるものの、しかし先ほどとは様子が異なる。それを、相対するトゥワルフは優しい瞳で見つめた。
「……驚きですね。あれだけ戦えるというのに、まだ恐怖心がありますか」
「……それは――」
戦うことが、怖いわけではない。そこに脅えがあるならば、あれだけの動きはできないだろう。
寧ろ戦うことには慣れていた。十年と少し、師匠であり祖父であるウェゼンから稽古を受けてきたのだ。自らの最適な動きですら、理解できてしまうほどに動きは洗練されている。
だけど、そのことと死別はまた話が違う。
特に、自らの手で誰かを殺すという選択が、シャーミアのこれまでの人生ではないものだった。そして、実際に手に掛けるということ自体にも。
「……やはり、あなたは甘いですね」
彼はそっと瞳を瞑った。流れる雨を浴びるように。あるいは、自らの運命を受け入れるかのように、その顔は穏やかに晴れている。
「ですが――、それでいいんだと私は思います」
「……慰めなんていらないわよ」
確かに命を奪おうとした手応えは、今も手に染みついている。
わかっている。自分は命を奪うとか、見逃すとか、そういった手段を選べる立場にないということを。
いまトゥワルフが致命傷を負っているのも、そうしなければ彼を止められないと思ったから。無力化できる選択肢が他にあったなら、とっくにその選択を取っていただろう。
自分の足で進んだ道ではない。結果として、そうなっただけなのだ。
「あたしは、弱いから。アンタの命に手を掛けることでしか、終わらせる方法がわからなかった。殺すつもりなんて初めからなかったけど、殺すつもりじゃないと、誰も幸せになれないってわかってたから」
「ですが、結果として私は生きて、あなたも生きている。これは、あなたが望んだ最上の結果じゃありませんか?」
「そうだけど……」
「なら、何も問題はないじゃないですか。今のあなただからこそ、こうして今があるんだと思いますよ」
そう、彼は笑ってくれる。結果を見れば確かにそうだが、シャーミアの一撃でトゥワルフが死んでいたかもしれない。そうなっていたら、きっと今よりも深く、後悔をして立ち直れていなかっただろう。自分自身にとって、そう簡単に割り切れるものではない。
「……それでもあたしは、今日のことを忘れないわ」
「ええ、それでいいかと」
息を深く吸い込んで、絞るように吐き出した。それをトゥワルフは慈しむように見つめ、唄うように声を上げる。
「戦いとは、自らを守る術。誰かのためであっても、誰かを想っていたとしても、それは自身が描く理想を守るため。そういう意味では、あなたはきちんと戦えていましたよ」
その言葉に、シャーミアの脳裏にある会話が浮かぶ。
それは数年前。生まれ故郷の村で、祖父と食事を取っていた時のこと――
『どうしておじいちゃんはあたしを鍛えるの?』
『なんだ? 修行には飽きたか?』
『そうじゃないわ。鍛えてくれるのは、その……、嬉しいんだけど。ただ理由を知りたいの。……ダメ?』
『いや、ダメじゃない。……そうだな、行動には理由が必要か』
皺だらけの祖父はスープを口に含み、咀嚼したあと幼いシャーミアへと改めて視線を向けた。
『理由は三つある。一つは、私がいなくなってもお前さん一人で生きていけるようにだ』
『おじいちゃんがいなくなるなんて考えられないけど』
『万が一にもそういうことは起こりえる。そのための備えだ』
『ふうん……、二つ目は?』
『経験を高めるためだな』
祖父はパンをちぎり、口に放り込む。シャーミアも真似をして口に放り込むと、大きすぎたのか咽てしまった。
『急いで食べなくてもパンは逃げないぞ。ほら、水だ』
『ゴホッゴホッ、ありがと……』
コップ一杯の水を飲み干すと、幾分気持ちが落ち着いた。それを見て安堵した様子を見せる祖父は、それから話を続けた。
『いざという時、これまで修行してきた経験が活きるだろう。その中で、思考を固めないようにするために、こうして鍛錬を積んでいる』
『……じゃあ、三つめは?』
『選択肢を増やすためだ』
『選択肢?』
シャーミアが小首を傾げると、祖父は頷いた。
『戦うことになった場合、それは余程の事情でもない限り命の取り合いになるだろう。そうなったとき、お前さんが後悔しないようにするためだ』
『そんなの、誰だって死にたくないでしょ?』
『いや、違う』
その時の祖父の優しい瞳が、妙に印象的だった。
『お前さんが、相手を殺すという選択肢を取らないためだ。お前さんは、優しいからな』
それから、ごつごつとした温かい手が、頭に乗せられたことも。
シャーミアの心には、刻まれていた――
その経験が活きたとは、思わない。それができていたならば、きっともっと自分の中で晴れやかな気持ちが広がっていただろう。
だから、今日のこの戦いは自戒だ。
後悔しない選択を取ることができるように、納得のできる結果を導き出せるように。
追い掛ける紅蓮の少女と、あと腐れなく戦えるように。
シャーミアは前へと踏み出す。
「――それで、こんなこと言うために起き上がったんじゃないでしょ? 敵に塩を送りすぎてるわよ」
「そうですね……。本来なら、どれだけ致命的な傷を受けても戦うように命令を受けているのですが、どうやらそれももう終わりのようです」
「それってどういう――」
シャーミアの声が届く、その前に。
天上より延びる棘が、トゥワルフの胸元を貫いていた。
「私をここまで止めてくださって、ありがとうございます。被害が最小限に済んだのは、間違いなく、あなたのおかげです――」
そこで、完全にトゥワルフの意識が途切れたようだった。
貫かれた胸元から血は吹き出ない。代わりに浮かぶのは黒い泡。それが棘に吸収されると、彼は力が抜けたように前へと倒れ込む。
「――っ!!」
咄嗟にシャーミアはトゥワルフを抱き留めた。すぐに脈を測ったが、正常に拍動を繰り返しており、安堵の息を吐く。
それから向けた視線の先。そこには空へと帰っていく赤黒い棘が映る。同時に視界に入るのは、雨天に浮かぶ勇者と、紅蓮の少女の姿。
その光景をシャーミアはただ、見届けることしかできなかった。
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