VS『影の勇者』④
長兄、スカルミリオンはよく魔王城の蔵書室に籠っていた。埃とカビの臭いが充満する、本以外に何もない場所。しかしそこには紛れもなく、疑いようのない知識が山積している。読書を貪り、未知を蓄え、そうして彼は己の世界と解釈を広げていく。
シリウスは彼のそんな姿をよく見ていた。彼女自身も本をよく読むタイプだったので、必然的に会う頻度は高い。いつの日かも、スカルミリオンと二人きりで各々手に取った書物の頁を捲っていた。
『……そろそろ時間だ、シリウス』
『む……、もう陽が落ちたか』
スカルミリオンの懐中時計を閉じる音が、静寂に落ちた。朝から蔵書室に籠って本を読み漁っていたからか、確かに腹の底からは猛獣の唸り声が聞こえてきそうだ。シリウスとスカルミリオンはそれぞれ本を書棚に戻し、蔵書室を後にする。
薄暗い場所から、それほど明るくはない廊下へと出て大広間へと向かう。夕餉の時間にはまだ少し早いが、シリウスの胃からは早く食事を取れと文句の鳴き声が届いている。
『シリウスはなんで書物を読むんだ?』
隣を歩くほとんど同じ身長の彼から、そんな疑問が飛んできた。横目を向けると、黄金の双眸が柔らかくこちらを眺めている。
『何故、か。考えたこともなかったな』
歩きながら宙を見上げて理由を探す。ただ読みたいから読む、というのがシリウスの中での本音だ。そこに意味を見出すのも違うような気もするが、しかし考える良い機会なのかもしれない。
『……本を読むということは、軌跡に触れるということ。余は、過去の人物が残していった足跡を追いかけて、それらとは違う道を歩むために本を読んでおる……、のかもしれぬ』
紅蓮の髪が揺れる。いざ言葉にしてみるとしっくりこない。ただまあ、概ね今の自分が抱いている感情を言葉にできたような気がする。
『……難しく考える必要はないんじゃないか? 書物を読みたいから読む、というのも立派な理由だ』
『なら、スカルミリオン兄上は何故本を読むのだ?』
『僕? 僕の理由はシンプルさ』
彼は瞳を逸らして、前へと向き直った。遥か遠く、蝋燭の並ぶ廊下の先を見据えながら、いつものように落ち着いた様子で、口を開く。
『君を守るためだ、シリウス』
スカルミリオンの言葉は流れる水のように透き通っていて、心落ち着くものだったがそれ以上に。
力強く、重い。
『知識は武器になる。どんな魔術や道具よりも強力な力にね。書物はそれを効率よく摂取できる都合のいい媒体にすぎない』
『……驚いたな。てっきり本が好きだと思っておった』
『当然、書物は好きだよ。でも、それ以上に君のことが好きだからさ。シリウスのことを傷つけるヤツは許さないし、君を守れるなら別に書物でなくたって構わない』
彼は照れた様子も見せずに淡々とそう告げる。いつも彼はこうだった。シリウスと会う度、会話を交わす毎に好きだと、愛していると言ってくれる。
そこまで甘やかさなくてもいいと、シリウス自身思わなくもないが、彼女も彼女でスカルミリオンの意志を尊重したかった。
『そうか。……なら、余も皆を守れるように、頑張らねばな』
兄から渡された優しさに触れて、顔を綻ばせながらシリウスは決意を口にする。守られてばかりではいられない。兄姉が全力で戦えるように、自分の身は自分で守れるぐらいの力を持とう。
その言葉に彼は頷いて、しばらく温かい空気が二人の間に流れる。
『あ~っ、ミリ兄ぃとシーちゃんだ! やっほ~』
そんな空間に差し込まれた、太陽のように強烈で存在感を放つ明るい言葉。廊下の突き当りで、元気いっぱいに手を振るそんな声の主の姿をシリウスは捉える。
『ルカビリー姉上、それにリビ姉上とリバ姉上』
『今日も本を読んでたんだ、偉いね』『蔵書室もいつか綺麗にしないと、大変だね』
『そうだな。確かにあそこは整理が必要かもしれぬ』
散乱した古書や棚がそのまま放置されている、お世辞にも綺麗とは言えない蔵書室を思い出して、シリウスは苦く笑う。それから、彼女たちが宙に浮かせて運んでいるベッドへと視線を移した。
『まだカニヤット姉上は寝ておるのだな』
『そうなんだよ~。もう毎回毎回困っちゃうよね~。カニちゃん、魔術結界も張ってるから、ベッドごと大広間に持っていかなきゃだし』
口ではそう言っているルカビリーだが、眉尻を下げて楽しそうに笑っている。
リビとリバが指を添えるベッドの上では、未だカニヤットが夢を見ていることだろう。
これもいつものこと。
眠るカニヤットをベッドに寝かせたままリビとリバが風を操り浮かせて、ルカビリーがそれを大広間まで先導する。
その光景が可笑しくて、自然と笑みが零れてしまう。
『ほら、大広間へ行くよ。リビとリバは、カニヤットを落とさないようにな』
『わかった』『任せて』
楽しそうに頷く二人と、それから元気よく先頭を歩くルカビリー。シリウスとスカルミリオンは、それに続いて大広間へと向かう。
色褪せることのない、在りし日の記憶。なんてことはない、ただの日常の一幕に過ぎないそれを、シリウスは大切に抱えて今も生きている。
■
「……安心しなよ。君を傷つけることなんてしないからさ」
白い爆炎が宙で溶けていく中、その中心にいたシリウスは無傷で佇む。念のため、咄嗟に張った魔術結界は白い炎により跡形もなく消えていたが、そもそも目の前に立つスカルミリオンからは敵意を感じない。
「――どういうことだい?」
そんな中、響くのは一人の勇者の声。イデルガが苦悶の表情で、問い質す。
「僕の命令が聞けない、というわけじゃないんだろう?」
その声は落ち着いている。降り注ぐ雨と相まって、穏やかな旋律のように感じられるが、しかしその端々には疑念と不満、そして怒りが見て取れた。
「当たり前だろ。僕の命は勇者によって創られた。これは、魔術による契約だからな。それを帳消しにできるのは、余程契約について詳しいモノぐらいさ。僕の弟、ファルファーレとかな」
「なら、どうしてそいつに攻撃しない」
「攻撃ならしたじゃないか。さっきの爆炎が見えてなかったか?」
「でも結果、ゼラネジィは傷一つ負っていない。キミの魔力なら、即死ではなくても傷つけるぐらいは可能なはずだ」
「……わかってないな、勇者様は」
息を荒くして問い詰めるイデルガに、スカルミリオンは呆れたように首を横に振った。視線が、交錯する。
「愛する妹に手をあげる兄が、どの世界にいるというんだ?」
「……そうか、少しだけ僕は自分の能力を過信していたようだ」
「なに、落ち込むことはないさ。ただ、相手が悪かったね。彼女が……、シリウスが相手じゃなければ、僕たちは完璧な道具として、君に使役されていただろうから」
イデルガの顔から、苛立ちが消える。まるで何かを諦めたかのように宙に佇む彼は不気味で、それでいて目を離せない。
「『――庶幾は一つ、堕悪の放逐、』」
感情の揺るぎ一つない声が空にこだまする。シリウスの分身による詠唱が、淀みなく紡がれる。
「『――対価は二つ、未来と適応、』」
シリウスの背に掲げられた星形。その頂点の一つに紫炎が宿る。
これで灯された火は二つ目だ。
「すまぬな、スカルミリオン兄上」
「気にするなよ。妹はただ、兄に甘えていればいいんだから」
彼はイデルガの命令には逆らえない。それはスカルミリオンが先ほど言っていた通りだ。
しかし魔術のコントロールについてはまた別の話。詠唱を妨げる目的として魔術は放たれたものの、それをシリウスにぶつけないように操作したのだろう。それぐらいの反抗は可能ということらしい。
「……さて、勇者様? 諦めて僕たちとシリウスに封印されようじゃないか」
スカルミリオンの声がその場に揺蕩う。ルカビリーもただ黙ってその行く末を見守っている。
誰よりも手札があったはずの彼の元には、既に戦力はない。冷たい雫が天から降り注ぐその中で、『影の勇者』が出した答えは――
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