VS『影の勇者』③
眼下に広がるのは火の手が上がる崩れた街並み。太陽の光を閉ざす重い雲のせいか、描かれる景色は陰鬱で惨憺。悲劇的にも見える様子が瞳に映る。
本来ならば街で暴れている魔獣の元へ赴いて、鎮圧させなければならないが、そうも言っていられない。
度重なる衝撃により、城の方が保たなくなっていたらしい。ボロボロになっていた床は崩落を始め、瓦礫を下界へと落としていく。
そして、床のなくなったその場所で、変わらず立ち尽くす紅蓮の少女は、ただ正面を見据えた。
「グラフィアケーン兄上はアルケーノ兄上の相手を頼む」
「わかった。愚妹はどうするつもりだ?」
宙に浮いたまま、互いに目の前で浮遊する敵を見つめながら会話を交わす。剣呑な雰囲気な中、雨がその空間を埋め尽くしていく。
「余は『影の勇者』と、それからルカビリー姉上とスカルミリオン兄上。三人を相手にしよう」
「……うむ、わかった。――シリウスよ」
隣に佇む、グラフィアケーンが僅かに声色を変えた。隣に立つだけで、まるで巨木の根本にいるかのような安心感を抱く存在。彼を見上げると、優し気な瞳が、こちらを見つめていた。
「必ず、生き残るんだ」
「……ああ、わかっておる」
シリウスのその返答を聴いたと同時、突風が紅蓮の長髪を揺らした。その巨体は、対面に立つ偉丈夫、アルケーノの元へと移動しており、剣撃の重い音が打ち鳴らされる。
「よお、グラフィアケーン! まさか俺に熱い抱擁をしてくれるとはなあ、嬉しいぜえ! 何より、息災そうで何よりだ!」
「兄よ。久しぶりに手合わせ願いたい」
「無論だ! 愚弟よ!」
飛び込んだ彼の爪を、その剣で受け止めながら嬉しそうに口角を上げるアルケーノ。グラフィアケーンは力を込めて、剣もろともアルケーノの体を弾き飛ばした。不快な金属音が鳴り響く。そして、彼もまた同じ方角へ体を向かわせていった。
「――さて、これで少し状況を整理しやすくなったか」
遥か遠くで剣と爪を振るう兄たちの姿から視線を外し、改めて目前の障壁に狙いを定める。
明るすぎるほどにピンク色の髪を左右で束ねた、嬉しそうにしている女性。星型やハート模様のメイクが特徴的な魔王の子、第三子、ルカビリー。
シリウスと同じほどの背丈をした、橙色の髪を持つ少年。掛けた片眼鏡のその奥には、凍てつくような冷めた双眸が浮かび、そこには深い愛情が見て取れる。魔王の子、第一子、スカルミリオン。
その最奥には剣を持ち、束ねられた淡い桃色の髪を風に揺らしながらこちらを睨む、仇敵。この国の現国王であり、魔王を討った勇者軍の一人、『影の勇者』イデルガ。
彼の元まで辿り着くには、二人の兄姉の隙を突かなければならない。
「整理も何もないだろう。ゼラネジィ、キミの躍進もここまでだよ」
イデルガはしかし、その瞳をさらに細めた。次の彼女の一手を見極めようという意志を感じられる。
力の差は歴然、という余裕を持ちながらイデルガの中では、まだ油断できない相手と評されているようだ。
「……たしかに。お主の言う通りかもしれぬ。ルカビリー姉上にスカルミリオン兄上。二人がいる以上、こちらもただではすまぬだろう」
それは本心から来る言葉だ。彼、彼女を倒すには、一筋縄ではいかない。どれだけ修行を積み、師匠に魔術を学び会得したところで、負ける確率の方が高い。
「それに、余は二人を傷つけるつもりはない」
「……諦めるということかい?」
「いや――」
どれだけ目の前の壁が厚かろうと、どれほど勇者との距離が遠かろうと、その選択肢だけは存在しない。
シリウスは息を深く吐き出して、天を仰いだ。
「『――世界の鍵、』」
瞬間、周囲の空気が変わる。そして同時、彼女の背中に紫色の紋様が浮かんだ。星型のように五つの頂点を持つ幾何学模様を組み合わせたそれ。
展開された直後に場を満たされるのは不快な虚脱感。そして、真っ暗なほど底知れない怖れ。
「……あれは――」
イデルガは彼女の背後に浮かぶ紋様の正体を知らない。ただ、わかってしまったのだろう。それが、異常なほどに歪で、けれども格式の高い魔術の発動だということに。
「『――死灰の檻、』」
絶えず、シリウスの声は響く。それほど大きく叫んでいるはずはなかったが、それでもその空間には、少女の冷淡な声音が鳴り渡っていた。
「あれは最高位の封印魔術、その詠唱だ。なるほど、戦闘を介さずに僕たちを無力化するという選択において、実に合理的な判断と言えるね。さすがは僕の愛する自慢の妹だ」
「……言っている場合かい? このままだとキミも封印されるわけだけど、それでいいのかい?」
「全くもって問題ないな。元より存在しない命が今こうして喋っているだけだからね。この世から消えるのが条理というものじゃないか」
「見た目の割に、随分と達観しているね。……でも、残念だけど僕はそれには同意できない」
雨の中、イデルガの声が静かに告げる。確実に、彼女の狙いを阻止するために。
「スカルミリオン、キミはゼラネジィの詠唱の妨害。ルカビリー、キミはここに残って僕の守護だ」
「え~、ルカもシーちゃんと一緒に遊びたいのにな~」
上がる不平の声に眉を顰めるものの、スカルミリオンがそれに対して鼻を鳴らして自慢げに語る。
「羨ましいだろう。これも、シリウスに対する僕の愛が実った結果だろうね」
「はいはい。ミリ兄ぃが相変わらずで何よりだよ~」
「ふふ、どの道、今の僕たちは命令には逆らえないからね。与えられた役割を全うしようじゃないか」
「はあ……、りょ~かい」
渋々といった具合ではあるものの、ルカビリーも納得した様子だ。それをあどけない笑顔で見届けたスカルミリオンは、気がつけばシリウスの傍にその姿を移していた。
「やあ、シリウス」
気さくで優しい声。まるで日常の中にいるかのように、彼はいつも通りに彼女の名を呼ぶ。
正面に立つ、彼の瞳を見返しながらシリウスもまた、いつもよりも柔和な声で応えた。
「兄上とまたこうして話せるとは、夢にも思わなかったな」
「それは僕も同じだよ。……って、詠唱中に喋ってもいいのか? 別の言葉が混ざると、それだけで失敗するはずだけど」
「構わぬ。詠唱を唄っておるのは、余であって余ではないからな」
シリウスがそう言うと、僅かに彼女の姿が揺らぎ、ぼやけた。まるで、彼女が二人いるかのように映る。しかし、それがすぐに錯覚ではないことを理解する。
瞬き一つの間に、シリウスと瓜二つの紅蓮の少女が、彼女の隣に佇んでいた。
「これは、分身か」
「余の特異星の一つ、《心断分離》だ。余の代わりに、詠唱を唱えてくれておる」
そうシリウスが頭を撫でると紅蓮の少女は虚ろな瞳で口を開く。
「『――未完の書は完全を呼び、』」
冷たい音が流れて揺蕩う。一言紡がれるその度に、場を支配する圧迫感が増していく。
「『――無疵の魂は繰言を叫ぶ、』」
その言葉が終わると同時、シリウスの背後に描かれる星形の頂点の内一つに、紫炎が宿った。
「なるほどな。良い特異星だ。何より、シリウスが増えることそのものが最高だね」
笑みを湛え、心底に嬉しそうな感情を隠しもしないスカルミリオン。そしてそのまま、彼はその右手人差し指をシリウスに向ける。
「詠唱を気にしなくてもいい、ということは全力で僕の相手をできるってことだよね」
そうして彼は冷たくも慈悲深い声で一言、囁くように言い放つ。
「――死は確実であり、時は不誠実である」
病的なほどに細く、頼りないその指から溢れ出すは白い魔力。彼の言葉を聞き入れたそれが閃光を放つと、轟音を伴う白炎の爆発が周囲一帯を塗り染めた。
お読みいただきありがとうございました!
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




