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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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ミスティージャ=スキラス⑨

 雨が体を打つ。

 痛くはない。体温が奪われて、視界はぼやけているものの、今は落ちる雫に感謝していた。


 呆然と佇みながら、ただ虚空を見つめる。

 先ほどまで、そこにいた。

 一番会いたかった存在と、再会できた。

 今はもう、そこにはいない。

 手を伸ばしても届かない場所へと、旅立った。

 なのに。

 失ったものは、かけがえのないものであると理解しているのに。

 胸中には暖かい、感情が流れ込んでいた。ぽっかりと空いた穴を塞ぐように、陽だまりのような安寧が身を包む。


 それはまるで。

 家族に、囲まれている時のような、そんな温もりのようで。

 一緒に食事をしている時のような、そんな華やかさがあり。

 全員で談笑をしている時のような、そんな安心感を覚える。


 光は消えた。

 黄金の剣も消えた。

 実の父も母も、妹も――

 それに知覚して、ようやく。

 三人を救えたのだと、言い聞かせることができた。


「……ミスティージャ王子」


 背中に、暖かい声が掛けられた。振り返ることはできない。ただ黙って、それを受ける。


「助けてくださって、ありがとうございました」


 そんなことを言われる道理はない。

 自分は、自分のために動いた。家族を救うためという、自分勝手な理由で魔獣を討ったのだ。


「あなたは、命の恩人です!」


 手を差し伸べたつもりはなかった。勝手に助かっただけ。そのことで礼を言われても、返せるものはない。

 だから、何も言わずに立ち去ってほしかった。


「ミスティージャ王子は、この国を好きだと言ってくださった。私たちも、この国が好きです」


 こんなに迷って、立ち止まっている人間の言葉を信じてくれるのか。

 生憎、それに応えられるほどのものは持っていない――


「迷ってでも、選ぶんじゃ。先ほど、お前さんがそうしたようにな」


 静かな、けれど力強い男性の声が、背中を震わせた。

 彷徨っていた視線の、その焦点が前へと向けられる。

 鮮明に、瓦礫の山が映った。そこにはもう、夢の残滓すら残っていない。

 妹の姿が前を向かせる。

 母の微笑みが気持ちを落ち着かせる。

 父の言葉が背中を押す。

 そして、ミスティージャは袖で目元を拭って、振り返った。


「……こんな国で、悪いな」

「何を仰るんですか。まだまだ、これからでしょう」


 集まった人々に宿るのは、暗い絶望でも未来への悲観でもない。ただ穏やかな顔で、ミスティージャを出迎える。


「――皆はここにいてくれ。どこも安全じゃねえけど、あちこち移動するよりマシだろ」

「王子はどちらへ?」


 不安そうな瞳を向けられる。きっと彼らには心の拠り所が必要なのだろう。先ほどの魔獣襲撃による不安もあるはずだ。

 ただ、自分にはやるべきことがある。やらなければならないことが、ある。

 だから告げるべき答えは、決まっていた。


「俺は、他の人たちを助けてくるよ。――それが、俺の選択した道だ」


 そこに迷いはもう、見られなかった。確かな意思で紡がれた言葉は、誰にも反対の意見を抱かせず、寧ろそこにいる人々を安心させた。


「それじゃあ――」

「待つんじゃ」


 すぐにその場を離れようとしたミスティージャだったが、一人の男性に止められる。見れば先刻、魔獣に一撃を見舞った有翼の青年が、深刻な表情で佇んでいた。


「何か用かよ」

「オレの背に乗っていけ。そうすりゃあ、移動時間の短縮になるじゃろ」

「……なんでそんな――」


 その疑問は当然だった。彼がどういった人物なのかは知らない。避難者たちを救ってくれた以上、悪い人間ではないのだろうが、しかし素性もわからない人物を頼るのも憚られる。

 迷っている間に、彼はコートを翻し、背を向けた。

 そしてその名前を口にする。


「――オレはファルファーレ。シリウスの兄と言えば、伝わるか?」

「……っ、シリウスさんの――」


 面影はない。似ても似つかない顔立ちに背格好で、その言葉に信憑性はなかった。

 だが、ミスティージャの鼓動は早鐘を打ち始める。

 いま、ミスティージャがここにいる理由。

 この騒動に巻き込んだ張本人。

 一人で前を進む、紅蓮の少女。そこから放たれる眩い光に充てられて、つい手を伸ばした。

 その兄が、今も背中を向けて立っている。

 これは何かの命運だろうか。自然と、ミスティージャの手はその彼の肩を掴んでいた。


「……頼む。俺は、この国の人たちを救わなきゃいけねえんだ」

「――わかった。なら、しっかり掴まっておるんじゃぞ」


 瞬間。

 全身を浮遊感が襲った。それが落ち着いた頃、眼下に広がったのは、黒い雲と戦塵立ち昇る街並み。

 変わり果てた故郷の姿をその目に映したミスティージャは、黒翼を携える青年と共に、空を駆ける。

 この選択を、正しいモノとするために。

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