VS『影の勇者』
「各地で戦闘が開始しておるな。……余も、続くとしよう」
シリウスは豪奢な部屋の入口でそう口遊み、最奥にて佇むイデルガを臨む。
どうやらこれ以上、彼が逃げることはないようだ。もっとも、シリウスとしても逃がすつもりはなかったが。
「魔王の不自由律する掌握の怪腕」
涼やかな声が鳴ると同時、シリウスの前方の床が激しく隆起し始めた。それは粘土細工のようにぐにゃりと歪んだかと思えば、形をみるみると変貌させていく。やがて玉座の間の床で構成された、巨大な腕が出来上がっていた。
「……っ!!」
巨大な腕はゆらりとその全体を振り上げたかと思えば、鋭い勢いでイデルガ目掛けて振りぬいた。
炸裂する轟音。部屋中が悲鳴を上げて、動揺しているかのように震える。
だが、それが彼の元まで届くことはない。遥か手前、イデルガの傍らに控えるカニヤットにすら届かずに、その拳は空間を別つ薄紫の壁を波立たせるのみ。
「む……、やはりカニヤット姉上の魔術は打ち破れぬか」
この腕は石や瓦礫を魔力で圧縮した重量の塊だ。そんな純粋な破壊力を持つ拳でさえ、彼女の結界にヒビ一つ入れられない。
特異星、《世界の檻》。
彼女が拒み、逃げ続け、錯乱の先に見出したこの世の答え。全てを拒絶する絶対の障壁。
実の姉のその能力を間近で見てきたシリウスは、無駄だと知りながらも追加で魔術を唱え始める。
「魔王の戦火燻る晩末の灯火」
詠唱完了と同時、イデルガたちの足元から火柱が昇る。シリウスの髪色のように眩く明るい紅蓮の嵐が、爆発音と共に部屋を部屋半分を満たした。
だがしかし、手応えは薄い。
「魔王の責罰裁く烙印の明滅」
彼女が構えた両の腕から赤い稲妻が宙を駆ける。空間を引き裂く雷音が光と共に射出されて、未だ燃え盛る火柱へと弾けた。
さらに彼女は差し伸べるように手を翳すと、その掌に小さな竜巻が生まれる。
「魔王の夜嵐別つ憎悪の溜息」
シリウスが生じた竜巻ごと手を握り、そして開く。
それは瞬時に膨張したように、黒い風の壁と成り果てた。玉座の間の壁や天井、床もろとも切り刻みながら、火柱ごと巻き込んで風の刃は回転を続ける。
金属と金属が擦れ合うような、そんな不快音が周囲に満ちる中、やがて火は落ち、雷は止み、風が凪ぐ。
「まったく……、アルタルフよりも厄介だな」
果たして、一帯を覆う結界には傷一つついていない。彼女の感嘆を交えた溜息が落ちる中、対するイデルガもまた、安堵した様子でボロボロになった目前の景色に溜息を吐いていた。
「厄介なのはこちらのセリフだよ、ゼラネジィ。この娘がいなければ、正直勝負になっていなかっただろうね」
「お主が相手でなければ、誇らしい気持ちになっておったところだ」
部屋の外壁は既に崩れ、シリウスが立つ床も底が抜けそうになっている。それでも彼女はそれを意に介さないように、一歩ずつ勇者の方へと歩んでいく。
「しかし、アルタルフと異なる点が明確にある。カニヤット姉上に攻撃能力がないということだ」
『殻の勇者』アルタルフには強固な壁たる魔術結界を攻撃手段に用いる術があった。だが、カニヤットにはそれができない。シリウスの知る限りでは、彼女は何物も通さないオーラのようなものを周囲に展開するだけのはずだ。
「硬直状態とも言えるこの状況、お主はどうするつもりだ?」
「そうだね。キミの攻撃はこちらに届かないし、かと言って僕の攻撃がキミに通用するとも思っていない。でも残念。キミの言う通りな状況じゃ、決してない。僕の手札は、キミよりも些か多い」
イデルガが楽しそうにそう告げると、懐から小瓶を三つ取り出した。
小瓶の中は液体――、ではなく、小さな赤い結晶が幾つも入れられているようだった。
「お主、まさか……」
シリウスの脳裏に浮かぶのは、先ほどの光景。彼が赤い結晶を放り投げた結果、魔王の血族が生み出された。
今度はそれが複数。
加えて、結晶の数も明らかに多い。
「そのまさかだよ、ゼラネジィ。覚悟して、そして覚えておいてほしい。僕は今日、キミに勝つためにここにいる」
彼が小瓶を宙に投げると、それらはひとりでに割れて、紅い何かが膨張を始める。
一つひとつが、この部屋全てを支配するほどの圧を放ち、三つのくすんだ輝きが形を成し、落ちる。
「ルカビリー姉上に、アルケーノ兄上」
明るいピンク色の髪を左右両方で跳ねさせる女性に、黒い短髪の岩のような体躯を持つ偉丈夫。
そしてもう一人。シリウスと同じほどの背丈を持つ、片眼鏡を掛けた橙色の髪を持つ少年。
「――スカルミリオン兄上」
ゆっくりと降り立つ少年は、片眼鏡のその奥にある薄緑色の瞳を湛えて、ただ押し黙る。
それらを前にしてイデルガはしかし、その表情を慢心に綻ばせない。
「キミの優勢はここまでだ、ゼラネジィ。さすがのキミも魔王の血縁、その第一子から第四子を相手取れない。……と、そう思いたいところだけど」
彼の瞳が細められる。警戒、あるいは見極めているのだろう。この状況を打破できるほどの何かがあるのではないかと。
「これで終わってほしくない、という気持ちもあるんだ。そしてそれは何も、僕個人の思いの問題なんかじゃない。ゼラネジィ、キミから感じ取れる余裕の正体が、僕をそうさせる」
そうしてようやく彼は腰に差した剣を引き抜いた。それをシリウスへと向けると、確固たる意志の下、布告する。
「――さあ、戦闘を開始するとしよう」
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