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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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『影の勇者』イデルガ③

 そこは全くと言っていいほど人影が見当たらず、外から届く雨の降り注ぐ音だけが跳ね返って聞こえていた。人の活気で溢れていたであろう場所は不気味な静けさを纏い、誰もいないにもかかわらず生活感のある空間だけが鎮座している。


 ディアフルンの中央に聳える、王の住む城。

 そこは王が暮らしているだけでなく、貴族や兵士たちの暮らすスペースでもあったようで、多様な雑貨が垣間見える。

 そんな中を、シリウスはその紅蓮の髪を翻しながら駆ける。


 目的は『影の勇者』イデルガ。

 大広場からいなくなっていた彼の姿を追い掛けていると、城の中へと入りこんでいたのだ。

 城に入る前まで、誰かが追い掛けてきている気配を感じ取っていたが、それは今や大通りで止まっている。追手の対応も必要なくなったところで、彼女は振り返ることなく前へと進み続けていた。

 入り込んだ城内は閑散としており、警護の騎士一人見当たらない。悠々と駆けながら、シリウスは目当ての人物の元まで向かう。


「当然、邪魔をしてくるだろうとは思っておった」


 シリウスがイデルガのいる場所を辿る道すがら、曲がり角や部屋の中から突如として、騎士たちが飛び出してきた。

 兜を被っているため表情は不明だが、その纏う空気には覇気がない。操り人形のように動く騎士たちへ、シリウスは尻込みすることなく向かっていく。


「――すまぬな。少しだけ、眠っていてもらう」


 騎士たちが剣の柄に手を添える中へ、飛び込んでいく。彼らが剣を抜き、彼女がその眼前へと肉薄。勢いを落とさないまま、シリウスは駆け抜けようとする。


魔王の夢路誘う(レ=ドルミーレ)暗澹の翳り(=コルニクス)


 甘く、囁くような声が紡がれたかと思うと、立ちはだかっていた騎士たちが膝を折って倒れ始めた。

 シリウスは、それらに見向きもせず走り去る。幾重も、幾度となく騎士たちが進路を妨害してくるものの、彼女はそれらを、ただ一度の呟きで無力化していく。


 そうして辿り着いた先、数多くの階段を昇った場所にその大扉があった。

 豪奢ながらも、どこか厳かな構えを持つ木製の大扉に、シリウスは手を掛けてゆっくりと押し開ける。


 果たして。

 目標の人物はその部屋の最奥に佇んでいた。


「……驚いたよ。まさか、誰一人傷つけることなくここへと上がってくるなんて」


 言葉とは裏腹に、落ち着いた声が室内に響く。

 そこは赤い絨毯が敷き詰められる、広々とした空間だった。壁に掲げられた無数の灯りが炎を揺らし、飾られている装飾も黄金や白金に溢れ、部屋全体が煌びやかに映る。

 王の部屋。そう思わせるほどの絢爛さがその部屋に満ちていて、奥に置かれている玉座がよりそれを助長させていた。


「だけど、それは実にキミらしくない。いや、魔王の娘らしからぬ行いだ。魔獣とは、人間と相対する存在で、万が一にもそれが覆ることがあってはいけない。人間と敵対する、絶対悪、それが魔王の血を継ぐ存在としてのキミの役割だ。……違うかい? ゼラネジィ」


 優しい声音だ。だが、シリウスにとってそれは悪魔のような甘言。悠々とした調子で、そう尋ねる彼を見据え、大きく溜息を吐く。


「わかっておらぬな。その考え自体が、古いというのだ。魔獣だとか、人間だとか。それに囚われる時代は、もう終わりだ」

「終わり? 今に至るまで、人間と魔獣が手を組んだことなんて一度だってない。それをキミは、さも既に到来しているかのような言い方をするじゃないか」

「ああ――」


 シリウスはその双眸を僅かに薄める。睨むように、あるいは――標的を確実に狙うように。


「イデルガ。お主の死を以て、魔獣を悪とする時代を終わらせる」


 彼女が手を翳す。指先から黒い泡のような輝きが出現し、それらはゆっくりと宙へと浮かび上がっていく。


魔王の聖杯還す(レ=グラダーラ)晦冥の断末魔(=コルニクス)


 彼女がそれを唱えると同時。

 宙を漂う幾つもの泡影が膨れ上がり、それは――

 イデルガ目掛けて光芒を放った。


「――っ!?」


 漆黒の闇を描き放出された一条のそれは、眩い黒の輝きを圧しつけて炸裂。

 轟音と共に彼が立っていた床、その背後にあった壁諸共に破壊される――、はずだった。


「……随分と、面白くない冗談だ」


 訪れたのは、闇の光がもたらした爆音のみで、床も壁も、イデルガでさえも、傷一つついていない。

 シリウスが眺めるそこには、薄い膜のようなものが張られていて、それらがイデルガ含めて、辺り一帯を覆っている。

 シリウスの魔術をもってしても、打ち破れないほどの魔術結界。

 勇者であったアルタルフの特異星(ディオプトラ)を除いて、シリウスにはそれを扱う者に心当たりがあった。


「カニヤット姉上か」


 シリウスがそう口にすると、黒い影と共に、長髪の女性がイデルガの傍らに現れた。

 灰色の長い髪は乱雑に曲がりくねっており、手入れもされていないかのようにボロボロ。目元はその髪で覆われて見えないが、その女性はコクリと、声を発さず頷いた。

特異星(ディオプトラ)まで再現できるようになったのか? 随分とこの短期間で成長したものだ」

「誉め言葉だと受け取っておくことにするよ。キミが囚われた段階で、こうなることは予想できていた。僕一人だと、どうしても魔術による攻撃は防げないからね。だから、最も力を注ぐべき魔王の子は彼女だと、そう踏んだ」


 相変わらず自分のモノであるかのように扱うイデルガに、シリウスは最早怒りすら覚えない。

 呆れ果て、腰に手を当てながら声を投げる。


「余はカニヤット姉上の妹だ。彼女の特異星(ディオプトラ)の対処法を知らぬわけもないだろう」

「……それは――」


 イデルガが懐から何かを取り出す仕草を見せた。

 遠目からだが、しかしシリウスにはそれが何かが判別できる。

 血を固めたかのような、深紅の球体。

 『ハウンド』の集落周辺で捕らえた魔獣の核となっていた、生きた人間を収縮させた結晶体。

 彼がそれを無造作に放り投げると、空中で徐々に形を変えていき――

 やがてそれらは、人型の生物となり床に降り立った。


「キミが彼女の特異星ディオプトラの攻略法を知っているかどうかは、この際関係ない。僕とキミとの勝負は、それ以前に決まっているのだから」


 球体から形を成したのは、三体。

 瓜二つの顔を持つ女性が二体に、角を生やした赤色の肌を持つ男が一体。それらは言葉を発さず、無言でシリウスを見つめている。


「……さあ、役割を遂行する時だよ」


 彼の言葉が終わるのと、生まれた彼、彼女たちが部屋を飛び出したのはほとんど同時だった。

 結晶体から生み出された彼、彼女らもまた、シリウスの兄姉だった。


「……お主、彼奴らに街を襲わせるつもりか?」

「ご明察の通り。……正直に言うと、キミが人間をどう思っているのかは、よく知らない。疎ましく思っているのかもしれないし、好ましく思っているのかもしれない。でも少なくとも、亡き兄姉に人間を殺させるほど、血も涙もないわけではなさそうだ」

「――なるほどな。余のことを知った風な口ぶりだ。……だが、概ねその認識は正しい」


 得意げにそう語る彼に、素直に同意をする。

 シリウスとしては、己の復讐に無関係な生き物は巻き込みたくない。魔獣然り、人間然り。シリウスが行動を起こすことで、今も生き永らえられたであろう命が失われる、そんな結果は避けたかった。

 当然、肉親が人間を殺すことにも否定的だ。

 死んでなお、誰かに恨まれることなど、あってはならないのだから。


「故に、先ほど街へと飛んで行った余の兄姉を止めるために、余もまた街へと飛び出していくと、そう目論んだわけだ」

「キミの性格を汲み取った上で、そうなる可能性が高いと踏んだんだ。恨むなら、キミ自身の甘い性格を恨むことだね」


 彼からは余裕の態度が窺える。ある種、シリウスを信頼しての作戦だったのだろう。

 シリウスとしてはこの騒動を、誰の犠牲もなく終わらせたい。イデルガの死。必要なのはただそれだけだ。

 それを見透かしての知略だったのだろう。

 だが、シリウスは首を振って、未だその場に留まり続ける。


「甘いのはお主だ、イデルガ。余は街になど行かぬ」

「……意外だね。街の人間と実の兄姉を見捨てるなんて」

「見捨てる? 馬鹿を言うでない。お主が余を信頼したように、余も信頼しておってな」


 その言葉に、ようやくイデルガは眉を顰める。

 彼女がこれから何を言おうとしているのか、それすらも想像できていない様子だ。


「魔獣であるキミが、いったい何を信頼するというんだい?」


 街には今、魔獣が解き放たれている。それは、シリウス自身が起こした事象。街の人々には恐怖や混乱を与えてしまっているだろう。

 だが、それが今の国の現状であることを知ってもらわなければならない。この街は歪んで、真実を見なくなってしまっている。


 それによる多少のリスクは承知の上だが、シリウスにはこの騒動が傷浅く終息するだろうという直感があった。

 根拠はある。だから、彼に対する返答は既に決まっていた。

 迷う心も、後ろめたさも。

 全て押し込んで、ただ前を向く。


「街の方は、余が手を下すまでもない。無関係な者は死なぬだろう。この街に集った人間たちを、余は信じておるからな」


 決意を秘めた彼女のその声が、玉座の間に響き渡った。

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