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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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シャーミア=セイラス③

 周囲に鮮血が飛んだ。それはまるで華が散るかのように飛沫を上げて、落ちていく。

 ゆっくりと。

 いやに、ゆっくりとそれらは映り、しかしただその様子を眺めていることしかできない。

 通りを流れていく雨水に混じり、薄紅色となった水流がシャーミアの足元まで辿り着いた時、血を上げる彼女の体が音を立てて倒れた。


「ヌイっ――――!!!!」


 シャーミアがそう叫ぶと同時、彼女の背後から何かが飛び出した。それを一瞥もしないまま、体が自然と前へと飛び出す。この場を支配している背を向けた騎士に、短剣を抜いて飛び掛かった。

 目にも留まらぬ速さで騎士に攻撃を仕掛ける。それに対して悠然と佇む彼は回避や防御といった行動を見せない。ただ、首だけを動かして横目でシャーミアを見るだけだ。


「――っ!」


 瞬間、彼女の肌にひりつくほどの魔力が突き刺さる。咄嗟に、その方向に《カゲヌイ》を出した瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。


「……これは、驚きました。まさか防がれるとは」


 そこでようやく、彼はその身を完全にシャーミアの方へと向け、駆け出した。いつの間にか持っていた剣を構え、そのまま振り降ろす体勢に入る。

 跳躍のタイミングで謎の攻撃を受けたシャーミアの体はバランスを崩しながらも、着地を成功させようとした。着地さえしてしまえば、回避もできる。

 だが、それよりも早く、騎士の一撃が振り降ろされる――


「……!! 体が動かない……?」


 シャーミアの身に迫る凶刃は、彼女の眼前でピタリと止まる。その間に地面を蹴り上げて、短剣で彼の脇腹目掛け、振るう。


「また――っ!」


 しかしそれが彼に届くことはなかった。シャーミアが感じ取った魔力の流れは、ちょうど短剣を阻むように展開され、弾かれる。

 その衝撃で仰け反ってしまうが、脚に力を籠めすぐに回避行動を取る。

 一瞬遅れて、彼女のすぐそばを何かが掠めて通り過ぎていった。

 頬が薄く裂け、血が流れる。


「……!!」


 風、のようなものだと思っていたが、それにしては力を込めた短剣を弾くほどの質量がある。

 それが何かと、深く考えそうになる頭を緩く振った。


 ――いや、考えるのは後だ。


 すぐにシャーミアは雨の中、倒れ伏す一人の女性の元へと急ぐ。


「ルシアンさん!」


 そう呼び掛けるものの、目の前に横たわる現実が、彼女が返事をするはずもないことを告げている。

 血は噴き出て、傷も深い。

 痛ましい光景に、淀んだ心がさらに乱される。


「ヌイ……」

「安心するがよい。余が必ず治す」


 先行してヌイに治療をさせていたおかげか、流れ出る血の量は減っているように見える。それでも重症なことに変わりはない。放っておけば命にかかわるだろう。


「……ルシアンさんのこと、頼んだわよ」

「ああ。――だが、お主はどうするつもりだ?」


 魔術による治療を行うヌイから目を離し、背を向けるシャーミア。

 その声には、不安が込められていた。


「決まってるでしょ。あいつを正気に戻す。自分が何をしでかしたか、わからせる必要があるんだから」


 ヌイの話だと彼、トゥワルフの精神を魔獣が蝕んでいるらしい。シャーミアは普段の彼をよく知らないが、それでも部下を手に掛けるような人間ではないはずだ。

 真面目なルシアンが、慕っているのだから。

 きっと、彼女も彼のことを止めようとしていたのだろう。

 結果として、彼は完全に自我を喪っているようだったが。


「……今のあたしが勝てる相手じゃないことぐらいは、わかってるつもり。大丈夫。ちょっとだけ、落ち着いたから」


 倒れゆくルシアンを見たその時、全身が沸騰するような熱を帯びたのを感じた。

 それが怒りによるものなのか、あるいは別の何かか。少なくとも感情が昂った故のものだということを、シャーミアは理解している。

 格上相手に、感情的になったところで良い結果は訪れない。

 それは、彼女の祖父が言っていた教えの一つだった。


「……彼奴と実力差がありすぎる。余が本体(シリウス)によって生み出されたのは、お主を守るため。むざむざ死なせる場所へは行かせられぬ」


 ヌイの口調が荒々しく、諫めるものになる。いつもの楽しげで明るい雰囲気からは程遠い、上位に立つモノとしての責を感じさせる、そんな強い声音。

 彼女の気持ちを、無視するわけにはいかない。嘘偽りなく紡がれるその言葉を、否定するほど強がれるわけでもない。


 わかっている。


 たった数撃、打ち合った。ただそれだけのことだが、彼と自分自身との間に遥か高い壁があることを痛感してしまった。


 わかっている。


 カルキノス第三憲兵隊と戦っていた時とは違う、明確な死の香り。生が許されない、その先は命を捨てる境界線。


 そんなことは、わかりきっている。


「――わかってるでしょ? あたしが目指す場所は、ここじゃないの」


 死線を越えたその遥か先に、シャーミアが辿り着く終着点はある。

 紅蓮の髪をなびかせる後ろ姿の少女は、これよりも遠くにいる。


 こんなところで、立ち止まるわけにはいかない。

 こんなところで、死ぬわけにはいかない!


「おじいちゃんのため。ルシアンさんのため。……それから、あたしのため。この戦いから、逃げないわ」


 シャーミアが一本踏み出す。

 ヌイがそれを止めることは、もうなかった。

 目の前に佇む、虚ろな騎士の足元に刺さっていた《カゲヌイ》は外されている。


 彼もまた、一歩踏み出した。

 剣での打ち合いでは、決して届かない距離。しかし、互いに見つめる視線はすでに、交戦を始めていた。


 ――怪我人はヌイが見てくれてる。だから、目の前のことに集中しろ。


 そう言い聞かせて、シャーミアは短剣を構えた。

 体を打つ雨の音がより強く、耳に響いて。

 彼女は深く、肺に溜まった空気を吐き出した。

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