討伐祭⑩
ディアフルンの街は混沌と化していた。
突如暴れだした魔獣が至るところで咆哮を上げ、祭りのために飾られていた装飾や整えられた街並みが、狂った魔獣の手により破壊されていく。
住民たちや観光客は騎士たちに連れられて逃げているものの、どこが安全なのか、どこに魔獣が潜んでいるかわかっていない現状に惑うばかり。
その避難する集団の中に、フネッディ=ラクサムはいた。
「こっちにも魔獣がいます! 引き返してください!」
そう呼び掛ける騎士の声に、避難者たちは慌ててその身を反転させる。しばらくこういった行動が続いており、集団の中には不安が募っていく。
「大変なことになっちまったっすね……」
正直、取材どころではない状況。これだけ街がめちゃくちゃになってしまっては、討伐祭の話は二の次になる。
今はとにかく生き残ることが大事。そう思っているものの、現実はそう甘くはなく。
前を進んでいた避難者たちが悲鳴を上げた。
「ま、魔獣……!?」
行く手を塞ぐように現れた四足の魔獣。口元から涎を垂らし、鋭い眼光を脅える避難者へとぶつけている。
その爪、その牙。全てが人間に対して致命傷となりうる武器となり、それらは殺意を携えて立ちはだかる。
「皆さんは退いていてください!」
それら害意から守るように、先導していた騎士が割り込む。剣を構え、魔獣と相対する。
魔獣は、しばらく様子を見ていたようだったが、やがてその足を駆けて騎士へと飛び掛かった。
「――っ」
鋭い爪での一撃を剣で防いだ騎士は、力任せに魔獣を押し返す。魔獣の身はくるりと回転し、何事もなかったかのように着地した。
「……皆さん落ち着いてください! この魔獣は僕が――」
と、そこで声がぶれた。
同時に鈍い打音と剣が地面へと落ちる音が鳴り響く。避難者たちから悲鳴が上がる。
「くそっ! 一体じゃなかったか――!」
突如路地裏から飛び出してきた棍棒を持った魔獣が、騎士の横合いから殴りかかっていた。
鎧のおかげで大事にはなっていないものの、騎士は武器を落とし避難者たちから距離を開けられてしまっている。
「や、やべえ……!」
避難者たちが背を向けて逃げる姿勢を取ってしまう。
恐怖が。敗北が。優位が。魔獣たちに明確に伝わった。
「皆さん! 逃げてください!」
四足の魔獣が騎士に飛び掛かったのと、避難者全員が逃げ惑うタイミングは同時。
目的地も、意志も何もない散り散りとなった逃亡を、魔獣が許すわけもない。
「きゃっ――――」
一人の避難者を、魔獣が捕らえていた。女性は馬乗りにされて、藻搔き抵抗するものの、それで事態が好転することはない。
「や、やめ――」
声が震えて、その場に転がる。魔獣への懇願は慈悲なく潰され、絶望が満ちる。逃げていく避難者の中に、それに気づく者はいなかった。ただ一人の新聞記者を除いては。
「や、止めろっす!」
フネッディが、女性に圧し掛かる魔獣へと飛び込み、その恐怖の呪縛から解放させる。
「ぐがあああああ!!」
魔獣が怒り、狂い暴れ、耳を覆いたくなるほどの咆哮を上げるものの、抱き着いたフネッディは離れない。
「お姉さん! 早く逃げてくださいっす!」
フネッディが叫ぶ。女性は表情を慄かせたまま、しばしの逡巡の後その身を反転させて逃げ出していった。
残されたのは、声すらしなくなった騎士とフネッディのみ。なんとか、この魔獣たちが逃げた彼らを追い掛けないように時間を作る。フネッディは暴れる魔獣に掴まるようにして、その身を全身で抑える。
「ぐが! ぐが!」
「いってえええええぇぇ――っ!?」
しかし魔獣も暴れるばかりではない。四足の魔獣ほどではないが、鋭いその牙でフネッディの肩へと嚙みついて、思わず彼は拘束を解いてしまった。
「――いでぇ……。いでぇっす――」
鼻水混じりの不安定な声音で、暖かいモノが流れ落ちる肩に手をあてる。
血。血だ。痛い。熱い。なんで――
途端に、恐怖が心を支配し始める。
どうして見ず知らずの人間を助けてしまったのか。自分も、他の避難者たちと同様に逃げてしまえば、こんな痛みを味合わなくて済んだはずなのに。
柄にもない。自分は取材のネタが欲しかっただけ。命を懸ける必要などない。
棍棒を持った魔獣が、ゆっくりと距離を詰めてくる。
さっきは不意打ちで抑え込んでいたが、真正面でぶつかっても勝ち目はない。
今からでも逃げるか? 逃げ切れるのか? 他にも魔獣がいるかもしれない。どこから逃げる?
脳内に余計な疑問が浮かんで、動きを止めてくる。足が竦み、動けない。
「ぐがっ! ぐがっ!」
魔獣が、その棍棒を振り翳し飛び掛かってくる。
目を見開いたまま、その光景が脳を処理し始めた。
跳躍した魔獣の動きがスローに見える。
あれ? 動きがゆっくりだ。
これなら避けられる……、あれ、自分の動きもゆっくりだ。避けられないや。
ああ、そうか。これは――
この街にいる冒険者からよく聞いた、死ぬ前に世界が遅く見えるやつだ。
そう理解した時には、既に眼前に棍棒が迫っていた。
これで若者、フネッディ=ラクサムの人生は幕を下ろす。呆気なさすぎる幕引き。十分に、後悔や無念を思い残せないままに、それは訪れる。
「――お前さん、また無茶をしているな」
目の前にあった鈍器が、振り下ろされることはなかった。呆れたように降り注いだ声と共に、宙にいた魔獣の身が、上から降ってきた何かに圧し潰されて地面へとめり込んでいる。
ぼさついた深い藍色の髪に、両手に枷を付けた人型。そして何よりその背から延びる、大きな黒翼。
茶色いコートを着たその男性が降り立ち、周囲には黒い羽が舞う。
フネッディは、その人物を知っていた。騎士に連れられそうになっていたところを、救ってくれた命の恩人であり、創られた魔獣。
「ファルファーレさああああん――!!」
「ハハ、それだけ叫べれば元気じゃろう」
振り返って人懐っこい笑みを向けるファルファーレ。しかしそこにもう一体の魔獣が飛び掛かっていた。
「あ、危ねえっす!?」
そう叫んだのも束の間、飛び掛かる魔獣に向かって、小さな何かが飛来してぶつかった。
「と、鳥――?」
四足の魔獣の動きを止めたのは、数羽の鳥。彼らが代わり替わりに魔獣を牽制している。
「見くびるつもりはないんじゃが、お前さん程度の魔獣に足元は掬われん」
狼狽する魔獣の顔面に、ファルファーレの膝蹴りが刺さった。吹き飛んだ魔獣は黒い粒子となって、地に落ちる前にその姿を霧散させる。気がつけば、彼の足元にいた魔獣も消えている。
「ファルファーレさん! ありがとうございましたっす! 助かったっす!」
「今回は間に合ったから良かったが、お前さん、もっと状況を選ばんと次は死ぬかもしれんぞ?」
「う……、肝に銘じておくっす……」
溜息を吐くファルファーレの言う通りだ。あと一歩遅ければ、死んでいたのはフネッディの方。後先考えない行動を悔いるそんな彼の頭に優しく、手が乗せられた。
「まあ、お前さんみたいな人間は嫌いじゃない。その行動は、称賛されるべきじゃ」
「……ファルファーレさん――」
すぐにその手が離れていく。ファルファーレは翼をはためかせて、宙へと羽ばたいていた。
「悪いんじゃが、これ以上手は貸せん。お前さんは逃げろ」
「ファルファーレさんは!?」
左目を閉じた彼はその身を翻して、空を見上げた。
雨が強く打ちつける。その間にも各所で悲鳴が上がっており、時折魔獣の咆哮も轟いている。
「この混乱を俯瞰して、できるだけ早く収束させるため動く必要があるじゃろう。それが、オレの役割じゃと思っている」
言うが早いか、彼は上空へと飛び立っていく。
「役割……」
そう呟くフネッディは、自分がするべき行動を探るものの、すぐに答えは出ない。
とりあえずできることをしていこう。
倒れ伏す騎士の息がまだあることを確認したフネッディは、鎧を外したその騎士を担ぐ。
自分にできることなどあるのだろうか。
そう自問自答しながらひとまず他の騎士を探そうと、混乱と雨が降り注ぐ街の中を歩き始めるのだった。
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