魔王の娘とウェゼンの孫、シャーミア②
村長に案内された場所は、何の変哲もない一軒家だった。石が積まれた生垣の先にあるその家屋は、この村にある他の家々と変わらない木造建築。そしてその隣に納屋と思わしき建物があるぐらいで、特筆すべき箇所は見当たらない。
そんな家の戸を何度か村長は叩くものの、一向に中から人が現れることはなく、ただ木材を鳴らす軽い音だけが虚しく響く。
「おかしいのう。留守じゃろうか。今朝は見かけたんじゃが……」
そんな様子を、シリウスは生垣の外で見守っていた。
ちょうど、手近にある一本の木が太陽の陽射しを遮ってくれると思ったがそんなことはなく、彼女がいる位置とは真逆の方角にその影を伸ばしている。
春が近づくその頃合い。気温は程々に涼しく、時折乾いた温い風が吹く。
木の葉がさざ波のようにこすれ合い、唄う。
不意に、シリウスの足元に影が落ちた。そう認識した瞬間には、彼女の体は押し倒され、背中に土の冷たい感触を覚える。
そして同時に、彼女の瞳に一人の馬乗りになる少女が映っていた。
透き通るような銀髪を左側頭部でまとめて結んでおり、まつ毛は長く、その顔立ちは大人びているようでどこか幼さも残っている。
気の強そうな目元に宿る、磨かれた宝石のように鮮やかなその紅い瞳は、揺らめき、苦渋に染められていた。
「おじいちゃんをよくも……っ!!」
ソプラノの高い声は震えていて、しかし明確な殺意は感じられる。その証拠に、シリウスの首元に突きつけられた短剣に込められた力には、一切の油断もない。何か不用意な行動を起こせば即座に首を刎ねるだろう。
村長も騒ぎに気がついたのか、すぐに駆け寄ってくる。
「シャーミア! 何をしている!?」
「村長! コイツ、ウェゼンおじいちゃんの敵じゃないの!? なんで普通に接してるのよ!」
「ワシはウェゼンの意思を汲み取っているだけじゃ! 早くその剣をしまいなさい!」
「イヤよ! コイツはここで……!」
手に握られた短剣にさらに力が入ったことが分かる。
シャーミアと、そう呼ばれた彼女の覚悟は本物だ。その気になれば、いつだってその凶刃を振るえるだろう。
そんな逼迫した状況にもかかわらず、シリウスはいつも通りの調子で口を開く。
「お主がウェゼンの孫か?」
「……アンタなんかに名乗らないわよ!」
「そう邪険にするな。これから共に行動をするのだからな。仲良くしようではないか」
「共に行動? 誰と、誰がよ」
「余と、お主がだ」
しばらく、無言の時間が訪れる。見るからに困惑している彼女の表情は、やがて激昂へと変わった。
「なんであたしがアンタと行動することになるのよ!?」
「それがウェゼンの願いだからだ」
ウェゼン、という言葉を出されて、彼女の瞳がさらに開かれた。しかしすぐに態度は元に戻る。いや、先ほどよりも更なる怒りを、言葉に乗せていた。
「ウソよ。おじいちゃんがそんなこと言うはずないわ!」
「言葉だけだからな。噓ではないと証明もできないが……。お主の世話をするように、と。そう頼まれた」
「……仮にアンタが本っ当におじいちゃんからそう頼まれてたとしても、あたしがアンタについていくことはないわ。ここで、アンタを殺して、それでお終いなんだから」
「ならば、一つ。お主が余と一緒にいることで発生するメリットを提示しよう」
「メリット? 何よ」
「簡単だ。いつでも余を殺すチャンスを与えてやろう。それに、それが叶うよう手解きもしてやる」
シリウスは大真面目に言ったつもりだったが、彼女には今一つ伝わっていないようで、理解できないといった顔をされてしまう。
「本気で言ってるの? アンタ、今の状況が分かってないわけ?」
「身動きも取れない状態で、首に短剣を当てられておるな」
「アンタが言ってたメリットなんかなくても、あたしのしたいことは成し遂げられそうよね?」
「そうか? それは少し、慢心しておると余は思うがな」
「慢心? そんなわけ――」
シリウスが指を鳴らす。それと同時に、シャーミアが構えていた短剣は弾かれて、遥か後方に弧を描いて飛んでいった。
「――っ!?」
「これが、お主と余の実力だ。だが、鍛錬をすれば自ずと――」
ひと滴、頬を伝った。
シリウスのものではない水滴は、天から降る雨粒だっただろうか。
悔しそうに、寂しそうに。複雑に混ざり合った表情は、晴れやかな空とは対照的に映る。
「おじいちゃん……」
消え入りそうな声。絞り出された感情。胸に手を当てて、必死にその痛みを抑えようとしているように見える。
けれど降り注ぐ雨は止むことを知らず、ただシリウスはそれを受け止めることしかできなかった。




