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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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ハウンドの長、ダクエル⑤

 大広場でのイベントが始まる、その少し前。

 下水道を進むダクエルたちの姿があった。


「ここが、テケルが言っていた地下施設へと続く道か」


 攫われて実験体として扱われていた彼女の弟が、逃げてきたと言っていた通路を確認していく。そこは人が数人広がっても通れるほどの大きな通路だった。

 いや、通路というよりも下水を通すためのパイプと言った方が正しいかもしれない。

 ただ、既にそのパイプは役目を終えているようで、足元に流れる下水はなく、足を踏み入れれば乾いた靴音が闇へと吸い込まれていく。


「全員、気を付けろ。これまで尻尾を掴ませるようなことをしてこなかったやつが、急に杜撰になるはずがない。十中八九罠だと思って、進もう」

「はい!」


 ダクエルの背後から男数人の声が響く。各々が武器を構えて、襲撃に備えながら闇の中を進む。

 幸い、その道は一本道だった。迷うようなことはなく、向かう先に僅かな灯りが見える。

 自らが立てる足音だけが鳴る中、下水道へと繋がるパイプの終端へと辿り着いたダクエルたちは、そのまま灯りの下に身を曝した。


 そこは広い空間だった。天井は高く、壁際に並べられた灯りだけではその闇は拭いきれていない。

 そして、幾つかの空っぽの檻があるその先には二枚扉が見える。

 ここに人の気配は感じられない。それに、この国が魔獣の実験と関わっているという証拠はなさそうだ。

 先を急ごう――


「――っ! 危ない!」


 全員の意識が既に次の部屋へと注がれる中、ダクエルだけが上空から迫る気配に気がつき、振り返って剣を薙いだ。


「……っ!」


 ぶつかり合う音は、剣と剣が打ち合った時のような硬質な音。不意を突いた一撃が防がれたその襲撃者は、踊るように宙を羽ばたき、積み上げられた空の檻の上へと停まった。


「ありがとうございます。……あれは、魔獣ですかね」

「ああ、そうだろう。蝙蝠のような見た目に、爪も鋭い。先ほどのように闇に乗じて攻撃してくるタイプに見えるな」


 檻の上で羽をたたんで様子を窺っている短い毛を生やした、蝙蝠のような魔獣。やはり罠を張っていたか。しかも、恐らく侵入者を捕らえようとする意図の魔獣ではないことは明白だ。

 確実に生きて返さないという目的を、この魔獣たちには与えられているのだろう。


「もう数体、いるな」


 上を確認するものの、その視線の先は闇。蠢く気配は感じ取れない。

 剣を構えて備えるダクエルだったが、彼女の前に『ハウンド』の仲間たちが並んだ。


「ダクエルさんは、先に行ってください。ここは俺たちが受け持ちます」

「だが……」

「これが罠なら、時間を稼がれるわけにはいきません。こうしてる間にも、証拠を隠滅されてる可能性だってあります。別れた方が、敵の思惑を打ち破れるはずです」


 言いながら、彼は剣を構え直す。確かに、言う通り足止めに時間を割かれるのは敵の思うつぼだろう。

 しかし、この部屋にいる魔獣の数も判明していない内に、ここを離れるべきだろうか。あるいは、こうして迷っている時間ですらも、敵の策に嵌まってしまっていると言えるのかもしれない。

 僅かな葛藤の後、ダクエルはすぐにその足を前へと進める。


「わかった。だが、くれぐれも無茶だけはするな。危なくなったらすぐに撤退するんだ。いいな?」

「はい!」


 威勢のいい返事を受けて、押されたようにダクエルは駆け抜ける。途中、上空からの魔獣の襲撃の気配を感じ取ったが、彼女はただ前だけを見据えて、進む。


「ダクエルさんの邪魔はさせねえよ!」


 そんな声と共に、魔獣の爪と剣が交える音が響いた。

 そのままの勢いで部屋を抜けたダクエルは、薄暗い廊下へと躍り出た。


(右か、左か)


 どちらも同じように先が見えず、ただ壁沿いに蝋燭が並ぶばかり。違いがないようにも見えるその景色だが、僅かに感じ取れる気配を頼りに道を選ぶ。


「――っ!」


 枝分かれに広がる曲がり角。その死角に潜む一匹の魔獣の一撃をいなし、そのまま剣を振って無力化する。


(前に、二匹――)


 そのまま、二足で立つ骨の魔獣が槍を振り回してダクエルの進行を阻もうとするものの、それらを躱しながら斬撃を入れる。


(魔獣の気配が、続いているな――)


 点々と魔獣が配備されておりその都度迎撃しているものの、その意図が読めない。まるで誘い込まれているような感覚すら覚える。

 それでも前へと進まなければならない。

 幾度となく、魔獣の襲撃をいなしたダクエルは、行き止まりの先にある扉に迷いなく飛び込んでいった。


 そこは机や椅子が乱雑に配置された、汚い部屋だった。床には紙が散乱しており、机の上には何らかの実験道具が無造作に置かれている。


「……これか――」


 部屋に入ったダクエルは、落ちている紙の一枚を拾い上げて中身を読む。

 そこには魔獣に対しての実験結果が記載されていた。内容は、人を魔獣に作り変える方法について、というものだった。資料が残っているのは僥倖だ。丁寧に折り畳み、懐にしまい込んだところで、背後に立つ魔獣の気配を察知する。


 体を捻ったタイミングで、頬を鋭い風が掠めていった。

 体勢を整えながら視線を向けると、入ってきた扉を塞ぐように二匹の魔獣が立っている。その体躯は大体男性の身長と同じぐらい。足は馬の蹄を思わせる形状をしており、頭部もまた馬のような見た目だ。

 そしてその腕。人のような指先がついているものではなく、腕の先に鋭い鎌が生えていた。先ほど風を裂いた斬撃は、彼らの両腕から放たれていたと推測できる。


「これはこれは、ダクエルさんじゃないか!」


 二匹の魔獣を睨んでいると、背後から聞き覚えのある男の声が飛んできた。

 ダクエルは首を僅かに向けてその姿を視認し、名前を告げる。


「……ラベレ」

「名前を憶えていただいていたとは、光栄ですなあ! して、本日は何用でこんなところへ?」

「惚けないでもらおう。お前がしている非人道的な実験行為。その証拠を押さえに来た」


 ラベレはその白い髭を弄りながら、ニヤニヤと笑っている。罪が露見したというのに、彼が取る態度からは余裕が窺える。

 ダクエルは、この研究者のことをよく知らない。騎士団に所属していた時代、時折見かける程度の存在で、まともに話をしたりしたことはなかった。

 だからこそ、気にかかる。彼のこの余裕はどこから来るものなのだろうか。


「……バレてしまっては仕方ありませんなあ。ここから生きて帰すわけにはいかなくなりました」

「減らず口ばかりだな。元々、そういった意図の罠を仕掛けていたんだろう? ……私の弟を使ってまで」

「弟? はて、憶えておりませんなあ。ワシはただいつものように実験をしておって……、ああ! もしかすると先日逃げ出した角付きのガキですか! いやあ、イデルガ様からの命令とは言え、あれほどの逸材を逃がすのは心苦しかったですが、まああの方の言うことなら無視するわけにはいきませんで」

「――っ!」


 瞬時に、ラベレとの距離を詰め、剣を振る。

 しかし、それは彼の首には届かない。魔獣たちが壁となって、ダクエルの斬撃を阻む。

 壁となった魔獣から、体液がこぼれ落ちる。


「はは、それも予想できたこと。ここにいる魔獣たちはワシの意のままに操れる。無論、そこに命を惜しむ意志など介在せん」

「……っ!」


 このラベレという研究者は、どこまで性根が腐っているのだろうか。握るその剣に、思わず力が入ってしまう。

 だが、熱の入った思考に、風切り音が混じり込む。

 咄嗟に身を屈めてそれを避ける。

 先ほどと同様の斬撃は、扉を守っていた魔獣たちから放たれたもの。その斬撃は、ダクエルに命中することなく、ラベレを庇うように立っていた魔獣を袈裟斬りにした。

 体液が飛び散り、その肉体が崩れ落ちる。


「わざわざここまで来てもらったんだ。早々にくたばるのは止めてほしいもんだのう」

「……どういう意味だ?」

「簡単な話ですよ! ダクエルさんがここに来るように、魔獣どもを配置。この部屋に招待させてもらいました。目的は、まあ魔獣どもがどこまで通用するかの最終確認ですかな。ここでダクエルさんを倒せれば、満足のいく魔獣が創れたと言えるだろう」


 彼の言葉を皮切りに、どこに潜んでいたのか周囲から魔獣たちが姿を現し始める。

 数にすれば十体ほど。それらがダクエルを取り囲むように、立ち塞がった。


「……さて、それじゃあどれほど保つか。拝見させてもらいますよ――」


 しかし、ラベレのその声が止まない内に、それは起きた。

 ダクエルを囲む魔獣の内、二体。それはうずくまるように倒れ伏し、次いで空を飛ぶ魔獣二体も、その羽を斬られて落ちる。


「この程度の魔獣ごときで敗れるほど、私たち『ハウンド』は脆くない」

「な――」


 出せる言葉すら失ったラベレは、ただ魔獣が無力化されていくその光景を眺めることしかできていない。

 気がつけば、ダクエルを囲んでいた魔獣たちは等しく地に伏していた。


「さて、投降してもらうぞ、ラベレ」

「――いや、そんなはずはない!」


 ダクエルに剣を向けられた彼は、ただその瞳を激しく燃やしている。情熱か、あるいは狂気か。

 余裕を見せていた表情はとっくの昔に崩れていて、険しくさせたその顔で唾を飛ばす。


「ワシの研究は完璧だ! ダクエル如きに遅れを取るはずがない!」

「残念ながら、お前の実験は終わりだ」

「……くっ――! ま、まだだ!」


 そのまま、ラベレは背を向けて走り出してしまった。このまま逃がすつもりは当然ない。ダクエルは足に力を込めて、勢いよく彼に突進する。


「――っ!」


 だが、その直線上にまたも魔獣が割り込んで邪魔をする。即座に無力化するものの、ラベレとの距離が開いてしまった。


「お、おい出来損ないども! ワシを守れ! 誰が、お前たちを創ってやったと思っている!」


 追い掛けるものの、魔獣が度々介入してくる。そのせいで、ラベレとの距離が縮まらずに、気がつけば一つの部屋に逃げ込まれてしまった。

 ダクエルは警戒しながらも、その扉を開く。

 そこは先ほどのような散らかった部屋ではなかった。薄暗く、部屋の全貌が掴めない。


「……追い詰めたぞ」


 しかし、そんな中でもラベレの姿は判別できた。彼は扉から正面の位置で、背を向けて立っている。


「ワシの研究は、完璧なはずだ……。それを、今ここで示そうと思う」


 彼は背を向けたままで、その表情を明かさない。ただ震わせる声にはある種の決意のようなものが滲んでいるように聞こえた。

 彼が何をしようとしているのか、気にはなるもののそれを待つほどお人よしではない。

 いざ、その足を一歩踏み出そうとしたその時、部屋全体にノイズが走った。


お読みいただきありがとうございました!


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