『影の勇者』イデルガ②
始まりは十年前。
ちょうど魔王を討伐して、元々住んでいた国へと帰還した頃。
その国の王は、世界の標的となっていた魔王を討ったことを大層褒め称え、様々な褒章を受け取ることができた。
金、食料、娯楽、自尊心を満たすためだけに与えられた人間、生活に必要な全て。
これからの長い人生、困ることのないほどの物資が降り注ぎ、誰もが羨望の眼差しを向けていた。
その眼差しは理解できる。
人間にとって必要なものが、何不自由なく扱えるのだ。それを得るために働く人間も多い中、一人では抱えきれないほどの褒美は、さぞ羨ましく映るだろう。
だが、イデルガの心は満たされない。
魔王がいる世界で、自分は勇者であることを全うした。即ち、勇者の目的とは魔王を倒して平和を手に入れること。
確かに魔王を討ち、平和を勝ち取ったと言える。
ならばその後は?
悪は滅び、勇者はどうなる?
彼の心を覆っていたのは、虚無。それは何も、大きすぎる目標をクリアできたことによる達成感からくるものではなかった。
自分の存在意義。
それが分からなくなっていた。
その後、国を出た彼はしばらく魔獣を狩って過ごしていた。脅えていた人間たちからは感謝されるものの、やはりイデルガにとってそれは言葉以外の何物でもない。
そうした生活を続けていたある日、一人の女性が訪ねてきた。
『つまらなさそうな、瞳をしていますね。まるで世界が終わってしまったかのような、そんな何にも期待していない、綺麗な瞳です。美しい。――どうでしょう? ワタクシの夢に興味はありませんか?』
長身で、そこは暑い地域だったにもかかわらず、襟を立てたオーバーコートに身を包む女性だ。艶のある大人びた声に、しかしイデルガは興味もないようにその場を立ち去ろうとした。
『いいのですか? あなたが欲する、役割も手に入れられるかと思いますが』
立ち止まり、振り返る。何かを喋ったような気がしたが、最早憶えてはいなかった。
『どこまでいっても、この世界には必要なんです。悪と、正義が』
彼女は新しい玩具を見せびらかすように、あるいは新作の歌でも披露するように、その口を三日月に歪めて笑う。
『創りましょう。新しい、物語を』
それは、乾いた大地に降る雨のように、イデルガの心を打った。この女性が何を目的に自分に声を掛けたのか、そうした思惑はこの際どうでもよかった。
終わった世界が再び息を吹き返す。色褪せた景色が生き生きと萌芽し始めたのを感じたイデルガは、彼女の計略に乗ることにした。
それは、サンロキアを乗っ取るという計画。国一つを手中に収めるなどできるはずがないと思ったものだが、今となってはそれももう目前に迫っている。
そこは城の一角。
とりわけ大きなその部屋は、人一人で使うにはあまりにも大きすぎて持て余す。
窓の外を見れば、この都市が一望できる。生憎の曇り空だが、朝早いにもかかわらず祭りの熱気が街に満ちている。
この国の王座に着いて、五年。前国王が計画していた下層部と上層部との統合計画は白紙に戻し、徹底的に冷遇を続けた。
下層部の命に価値はない。そういった都市であると、認識させた。そのお陰で、多くの核を手に入れることができた。
それから本来ならば精神隷属の魔獣を駆使して、もっとゆっくりと工程を進めるつもりだった。しかし、一人のイレギュラーがイデルガの意識を早めさせる。
「――楽しみにしているよ。魔王の娘」
魔王という存在が途絶えたと思っていた彼にとって、その存在はまさに天に現れた一番星。
願い、焦がれた一等星。
彼女が現れて、本来もう少し後にする予定だった魔王の子の生成にも熱が入った。
ここまで来れば、最早この国にも未練はない。
久々に、血が巡るのを全身で感じられる。高鳴る鼓動は止まらない。否、止める必要などどこにあるだろうか。
彼女のために、剣を振るおう。
自分のために、全力を尽くそう。
世界のことなどどうだっていい。そこにあるのは、純粋で分かりやすい関係性。
一人の勇者と。
一人の魔王の娘。
それ以上の、何もいらない。
思惑も理想も立場も駆け引きも。そこに混ざるべきではないのだ。
「やっと――」
その瞳は、少年のように無垢であどけなかった。
その表情は、この数年で最も柔和で美しかった。
その意志は。
飢えた獣のように、荒々しく獰猛な雰囲気と昇華されていた。
新生国家サンロキアの、現王。あるいは、『影の勇者』イデルガ。
彼はすぐに期待と暴虐性を忍ばせ、自身もその祭りへと参加するために会場へと赴く。
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