ミスティージャ=スキラス⑤
牢獄内は再び静寂に包まれた。
元より発生するような音は、ほとんどない。シリウスとミスティージャが会話をすればそれもあるだろうが、それもなければ無音が流れることに変わりはなかった。
「……随分と、大きく出たな。国を救うとは」
その声は、一定の調子で紡がれていた。感情は見えない。あるいは、聞く人が聞けば彼女が何を想っているのか分かったのかもしれないが、この場にそれを知れる人物はいなかった。
「悪いかよ。っていうか、シリウスさんも言ってただろ?」
「うむ。そうだな。お主は何も間違っておらぬ」
瞳を閉じて、彼の言葉を反芻する。ミスティージャの決意は本物だ。無論、そうなるように色々と話はしたが、最終的に決めたのは彼自身の判断によるもの。
――人間を導くのも、強者の役目、か。
「もう、踏ん切りはついたのか?」
確かめるように、そう問いかける。敵対しようとしている相手が誰なのか。待っているのは遥かに険しい道であることを、理解しているか。
シリウスがただ虚空に向けて飛ばした声を、しっかり彼は受け止めて、返した。
「……ああ。憧れとか、常識とか。そういうので見るのはもう、辞めた」
彼はイデルガを慕っていた。
彼はトゥワルフを師と崇めていた。
その彼らが、実は自分を救うつもりはなかった。
事実は感情を迷路のように絡ませ合わせ、思考はまとまるはずもないというのに、彼は戦うことを選んだ。
大事に、選び取れる人間はどれほどいるだろう。
選択肢を提示されて、現状を変えようと動ける人は、きっとそう多くはない。
「――俺は、この国が大好きなんだ。俺が産まれて、父様が支えてたこの国が、好きだ。それをイデルガなんかに、壊させねえ!」
怒声のように、感情に溢れた声が響いた。
牢獄に入った状態で、こんなことを宣ったところで強がりだと笑われることだろう。傍から見れば、随分と滑稽な光景に映るはずだ。
だがその本気は。
人を成長させる燃料となる。
「良いな。あれほど消沈しておった人間と同一とは思えぬ」
「うるせえな。裏切られたみたいなもんだから、しょうがねえだろ!」
恥ずかしそうに、声をひと際大きくして抗議する。揶揄うつもりもない。それこそが人間の美徳なのだから。
「そうだな。だからこそ、余は人を好きなのかもしれぬ」
「……」
どういった感情を乗せてそれを言ったかは、シリウスにとってどうだって良かった。
シリウスはただの観測者。この国の人間ではないし、ミスティージャにとっては通りすがりの一般人と変わらないはずだ。
この国を救う存在の一助にはなるかもしれないが、所詮はただの殺戮者。勇者殺しの罪はついて回る。
だから、線を引く。
魔獣と人間。
殺戮者と国を引く者。
牢獄に入れられた者同士ではあるが、絶対的な違いがそこにはある。
故にシリウスは、深く関わるようなことはしない。結果として根深い関係性となろうとも、懇意にされると困るのは彼だ。
血に染まった魔獣と手を組んだなどと、知られれば世間からの誹りは免れないだろうから。
「――なあ、シリウスさん。シリウスさんは、どうしてこんなに助けてくれるんだ?」
だから、彼のその質問はそもそも間違っている。
助けるとか助けないとか、そういう話ではないのだ。
たまたま道行く先に懲らしめるべき相手がいて、それを倒したら結果的にミスティージャが救われるというだけの話。
救うという自覚は、シリウスにはなかった。
「話しただろう? 余の目的は勇者イデルガを殺すこと。そのためならば、扱えるものは扱うというだけの話だ。助けたという認識は、余にはない」
そう、それだけの話。その解釈は紛れもなく正しい。お互いに利用し、利用される関係性でしかない、はずだ。
だが返ってきたのは、ミスティージャの不服そうな声だった。
「そんなわけねえだろ。もし勇者を殺すことだけを考えるんなら、もっと効率のいい方法があるはずだ。俺のことなんて放って、一人で勇者殺しができるだけの力が、シリウスさんにはあるだろ!」
「……そうだな。お主の懸念も理解できる。恐らく無償の助けが不安なのだろう。安心するが良い。見返りなどもとめ――」
「違えよ! 俺は、あんたのことが知りたいんだ!」
声がこだまして空間に反響する。静寂がより強くなったような気がしたが、それは気のせいではないのかもしれない。
「何故そんなことを尋ねる? それを尋ねて、お主に何の利点があるのだ?」
「へ? いや、仲間のことを知りたいって思うのは、当然だろ?」
今度はこちら側が何を言っているのか分からないと、そんな態度で返されてしまう。
人の心模様は多種多様だ。それこそ、本心など問い質しても出てくるものではない。それは、人間との交流が少ないシリウスでもよく理解していたことだった。
だが彼は、それでもシリウスの考えを知りたがる。嘘を吐くかもしれないのに。本音で話すとは限らないというのに。
あるいはそれこそが、ミスティージャという人間性を表していると言えるのかもしれなかった。
少し宙を見つめる。改めて自らの感情と向き合って、自身の想いを言葉に変える。
「……知っておるか? 生物は、独りだと辛いのだぞ?」
「は?」
予想だにしていなかったという風に、素っ頓狂な声が獄内に響く。
語れと言ったのは彼なので、反応も置き去りにしてそのまま続ける。
「余にはとある師がおった。しかし同時に、其奴とは友でもあった。家族を喪って尚、余が正気を保っていられたのは、其奴のおかげだな」
「……良い師匠だな」
「――ああ。余にはもったいないほどにな。良い師だった」
「……だった?」
彼の声が、何かを察して曇ったようだった。
シリウスはそっと、髪留めに触れる。金色に輝く、鳥の羽を模したそれ。
悲哀に満ちる必要などない。
彼の意思はまだ、ここにいるのだから。
「余が殺した。そうして余はまた孤独になってしまった」
「――っ! そんな……」
「お主が辛そうにする必要などないだろう。それに、何も失ったばかりではないぞ。師はいま街に来ておるシャーミアの祖父でもあってな。それを機として余と旅を共にすることとなった。話し相手ができたわけだ」
「……大切な人を喪って、たったそれだけかよ」
「いや、それはあくまでも副産物にすぎぬ。余自身、師を殺したことで得たものはあった」
「……得たもの?」
遠い日々を思い出す。魔術を教えてくれたある日。食料を持ってきて、分かち合ったその日。口論をしたり、諭されたり、昔話を聞かされたり、一般常識を習ったり。
彼と過ごした十年は、シリウスにとって特別で。
もう戻ってこない過日だ。
「――喪失感と、師の使命だ」
それを、隣にいる彼はどう受け取っただろう。顔が見えないので、黙られると感情も読み取れない。
ただシリウスは言葉を続ける。
「人を殺すと、その人物の歴史が喪われる。ただ完全に潰えるわけではない。正確に言えば、継承されるのだ。他の誰かにな。無差別な殺戮になれば一概にそうとも言えなくはなるが、こと感情を持つ人同士の命の奪い合いになれば、互いに無で終わることなどない。余は、師のやるべきこと、そして父のしたかったことを背負って、今ここにおる」
「……シリウスさん、は。恨みを持つ相手だろうと、そう思えるってのか?」
「無論だ。ただ継承、とはまた異なるな。勇者が担っていたモノを、肩代わりはするよう努める。――今は、お主がそうだな」
「俺?」
呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう。純粋な疑問が返ってきた。
「そうだ。ミスティージャ=スキラス。お主がイデルガ亡き後のこの国を導いていくのだ」
「いや、俺なんて……!」
「できるはずだ。余が、そう見立てたのだからな」
返答はない。だが、その有無はシリウスにとって関係のないものだった。
期待することが、今のシリウスにできることなのだから。
「そのために、まずは明日を生き残らねばならぬ。……覚悟は――、聞くまでもなかったな」
相変わらず返事はなかったが、シリウスからそれ以上の呼び掛けは行わない。
答えは、明日聞かせてくれるだろう。
――そうして、討伐祭が幕を開く。
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