騎士団長トゥワルフ②
元王子であるミスティージャとの付き合いは、相応に長かった。
トゥワルフが騎士団に入った時ぐらいのこと。彼はまだ母に抱き抱えられる赤子だった。やがて彼が自立して歩けるようになった頃、騎士団の元へ剣の稽古をしに来るようになった。
それから、ほとんど毎日。トゥワルフは彼の成長を見守ってきた。王直属の騎士団ということもあり、顔を合わさない日はほぼない。
トゥワルフもまた、彼を自分の子のように思って接してきた。
朝も昼も。
暑い日も寒い日も。
彼が慕い剣を学べば、トゥワルフもそれに応え、道を示す。
時折、ダクエルと二人にしてやったこともあったか。あの頃の平穏な日々が、懐かしい。だが、そんな昔日の光景は帰ってくることはない。
ミスティージャは、明日死ぬだろう。国家に対する反乱を企てた首謀者として、処刑される。
そうして一つの時代が終わりを迎える。これでイデルガの時代となってしまう。
その前に、もう一度。
剣を教えた弟子の顔を見たくなるのは、おかしなことではないだろう。
どれだけ体が意のままに動かなくとも、その意志だけは覆せない。
「……少し、ミスティ王子と、話させてください」
地下牢を警備する騎士に断りを入れて、トゥワルフはその扉を開く。何と重たい扉だろうか。
彼がどれほどの罪を犯したというのだろう。これほどの重さを、背負わなくてもいい重責を、彼は背負って、明日死ぬというのか。
――本当に死ぬべきは、自分だというのに。
階段を下りて、開けた空間に出ると、牢が二つ並んで見える。その奥に、目当ての人物がいた。
「師匠!? どうしたんですか!?」
彼は変わらない調子で、出迎えてくれた。いや、その瞳には心配と狼狽が浮かんでいる。どれほど、自分の表情が優れていないのか、来る前に鏡でも見てから来れば良かった、と。場違いな後悔が生まれた。
まだ、昔と同じように呼んでくれることに心が緩んでしまう。
それでも、今日ここに来たその目的を思うと、一層体が強張る。
「最後に、あなたと話がしたかったんです」
手近にあった椅子を引き寄せて、牢の前で腰掛ける。
捕まってまだ三日程度しか経っていないが、しかし満足な食事も与えられていないのだろう。頬は痩せこけて、艶があった自慢の髪質もすっかり衰えてしまっている。
そんな外見的な変化にばかり気を取られて、トゥワルフはさらに落ち込んでしまう。
「……すみませんでした。何も、あなたが死ぬ必要など、ないというのに」
それは、誰に向けた言葉だろう。
目の前にいるのはミスティージャのはずなのに、もっと多くの、あるいは座り込む自分に、向けられたような、気がした。
「私が上手く動けていれば、国がこうなることは、防げたでしょう」
滔々と、言葉が落ちていく。
それは、懺悔。
それは、介錯。
己を責めろと、言外にそう付け加える。ミスティージャには、それをする権利がある。
俯き、言葉をただ、待つ。
どんな罵倒も受け入れる。どんな叱責も、正しいものとなる。
牢獄を照らす灯りが、揺れた。
「……師匠は、悪くねえだろ」
「――」
その言葉は。
暖かく、優しさに満ちたそれは。
彼は、いつものようにあっけらかんと、そう言葉で答えた。
「なに、を……」
「悪いのは、勇者イデルガ。それと、ラベレってやつか。その二人さえどうにかすれば、この国は元に戻る。そうだろ」
そう言って、笑った。
笑えるのだ。明日、死ぬというのに。いつもと同じような雰囲気を纏いながら、昨日食べた夕食について語るように、何事もなかったようにミスティージャは何でもないことのように、明るくそう言った。
「……分かってるんですか? 明日、あなたは死んでしまいます。そうなれば、もうイデルガを止める者はいません! 我々では、どうしようもないんです……」
反抗できるならば、とっくにそうしている。
しかし、それがどういうわけかできないのだ。
情けない話だが、イデルガの言うことを聞くことしか、できない。
ディアフルンは、サンロキアの歴史は、終わりを迎えるだろう。
「……俺は死なねえよ。今の俺たちは、ただの食われるための餌じゃねえ」
「どういう、ことですか……?」
虚勢や空元気というわけでもなさそうだ。
彼の瞳は本気で、明日も生きるという希望に満ちている。戸惑うトゥワルフに彼は、楽しそうに笑ってみせる。
「シリウスさんが、そう言ってるからな」
「……?」
その言葉の真意を探る、それよりも早く。
美しい鈴のような少女の声が、トゥワルフの耳を打った。
「トゥワルフと、そう言ったか」
「……魔王の娘」
そちらに目を向けるも、トゥワルフがいる角度的に彼女の姿が映ることはない。彼女も別に姿を見せたいわけではないようで、声だけが淡々と届く。
「随分と、疲弊しておるようだな。無理もない。お主の体を蝕む魔獣はもう、その全身にまで及んでおるからな」
「どういう、意味ですか……?」
彼女の言葉が理解できない。いや、それについて考えを巡らせようとすると頭痛がそれを邪魔してくる。
答えは欲しい。だが同時に、何も言わないで欲しいとも思ってしまう。
それを察したのか、それともただ考え込んだだけなのか。少し黙って、それからシリウスは声を上げた。
「お主のそれを、余は解消できる。体内の魔獣を殺せばいいだけだからな。簡単だ。だが、そうなればあの勇者は、お主から自由を奪う手段を取るだろう。今よりももっと過酷で、どうしようもない方法をな」
話の内容の理解ができない。意図を咀嚼できない、という意味ではない。彼女の声が時折ノイズ掛かるのだ。
ろくに返事もできない。息も荒れるその様子を、ミスティージャが不安そうに見つめてくる。
「師匠……」
「……完全に意識まで乗っ取られそうになっておるな。魔力が高いか、精神が高潔であればあるほどに、精神汚染の抵抗力も上がる。今、まだ意識が保っておるのは、ひとえにお主自身の心の強さがあるからこそだ。一介の兵士であれば、この国の騎士団のように身も心も乗っ取られておるところだろう」
肩で呼吸を繰り返す。
体が乗っ取られているとか、意識が保てないとか。普段ならば、きっと理解できるそれを、しかしトゥワルフの脳は拒んだ。
具体的な理由はどうだっていい。きっと自分にはどうしようもないのだから。
――ならば、自分は。
――何を欲しているのだろう?
「……私は、利用されている、ということでしょう?」
それは、薄々勘付いていることだった。イデルガから見れば、この騎士団長という存在は疎ましくもあり、同時にいると便利なモノだっただろうから。
トゥワルフさえ上手く扱えれば、この国でイデルガを脅かすような存在はいなくなる。無力化するのは当然のことだ。
「――っ!? 師匠!?」
携えていた剣を抜き取り、自らの首元に突き付ける。ミスティージャは心配するように驚愕の声を上げたが、彼がそれを止めることはできない。
どれだけ、こうしたことか。
幾度となく、自決を図った。
利用されるぐらいならば、死んだ方がマシだと、そう思えた。
だが――
「できないだろう。イデルガからそう、命令されているはずだろうからな」
「……っ!」
手から、剣が零れ落ちた。
落としてしまったのか、わざとそうしたのか。最早判断もできなくなっていた。
カラン、という軽い音が牢獄内に、ただ響くだけ。
「……私には、何もない」
顔を手で覆って、項垂れる。選び取れる選択肢が、奪われている。捨てることすら、できない。
これが、自分自身の役割だと言うのだろうか。
与えられたモノだけを享受して、それ以外のことを思考から破棄することが、正しいと言えるのか。
私は――
「師匠は、強えだろ」
ハッ、と。
その声の元へと視線を手繰る。彼は、真っ直ぐな瞳でこちらを見ている。
強さ。それが何だ、と。声に出せず、ただ彼の言葉を待ってしまう。
「その強さに助けられた人がいる。その優しさに、救われた人もいる。師匠が死ぬ理由なんて、一つもねえよ。……だから、何もないなんて、言わないでくれ」
力を入れてしまえば、すぐに潰えてしまいそうな、弱い声だった。
彼らしくない。けれど、最も彼らしい、慈愛に満ちた声音だ。
「余も、自死による逃避は推奨しない。世界に殺されるなんて、余程不条理で、随分身勝手で、有り得ぬほどに我慢ならぬだろう」
「しかし……、ではどうすれば――」
答えを求めて、彷徨う。
現状、解決できる方法が他に思い浮かばない。この国はイデルガの手中に収められているも同然。一体、どこに救いがあるというのだろう。
ここから、逃れられる手段など、あるはずがない。
「余が救う」
彼女は、迷いなくそう宣言した。
世迷言だろう。ただの虚勢だろう。彼女は鎖に繋がれて、明日死ぬ。助かりたいがための、虚言かもしれない。
「惑える人間たちも。脅える魔獣たちも。罪なき騎士たちに、独裁へと向かうこの国も。全て余が救う」
「……あなたにはできませんよ」
「何故、そう言い切れる?」
「勇者には、勝てない」
どれほど彼女の魔力量が優れていたとしても、どれほど戦闘技術に長けているとしても。
魔獣が勇者に勝つなど有り得ない。
魔王ですら、勇者連合を前に敗北したのだから。
所詮彼女の言葉は、絵空事に過ぎない。
「……仮にどれだけの策があろうと、イデルガ様は倒せない。あの方も、相当に周到ですから」
「知っておる。だが、小細工を受け入れてこその、強者だ」
どうやら聞く耳も持たないようだ。あるいは、迫る死刑からどうにか目を瞑ろうとしているのかもしれない。
これ以上、話しても無駄だとトゥワルフは席を立つ。
「それでは、また明日お会いしましょう。……最後に、話せて良かった」
ここにはもう訪れない。どれほどミスティージャを逃がしたかったか。その葛藤が湧き始めると、またも頭に激痛が走った。
全てから逃れるように、背を向けて立ち去ろうとする。未練も後悔も希望も自分自身にも、蓋をして、閉じ込める。
そうすることしか、トゥワルフにはできないのだから。
直後、背後から檻を叩く音が響いた。
「絶っ対! 師匠も助ける! んで、この国を救うからな!」
声だけしか、背を向けているトゥワルフには分からなかった。
だが、顔を見なくても、彼がしている表情は分かってしまう。
――何故だ。
きっと彼は何も見捨てない。希望に満ちた顔つきをしていることだろう。
――何故、諦めない?
どれだけ絶望的な状況か、そんなこと分かっているだろうはずなのに。
彼の想いは、挫けていない。
トゥワルフは僅かに口を開きかけて、すぐに閉じる。
湧き上がる疑問を問いかけたところで、何も変わらない。
そうして何に期待することもせず、その希望から目を逸らすように、彼は牢獄から立ち去った。
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