騎士団長トゥワルフ
代々、王家に仕える剣として、騎士団『メサティフ』は育てられてきた。
サンロキアの王は長年スキラス家が務め、その歴史の分、騎士団としての歴史もある。
その長い歴史の中で、トゥワルフが最年少騎士団長に選ばれたことは、栄誉以上の何物でもなかった。
最年少、と言っても二十五歳での騎士団長抜擢なわけだが、異例なことに変わりはない。多くの知り合いがこのことを称え、自分のことのように祝ってくれた。
誰もが口を揃えたように彼をこう評価する。
剣の腕は彼の剣聖と並ぶ。
慈悲深さはこの国の王ほどに深い。
優しく、親しみやすく、このサンロキアを守護する『メサティフ』に相応しい。それがトゥワルフに対する世間の評価だった。
――自分は、それほど真っ当な人間ではない。
――自分は、残酷で国民を裏切った大罪人だ。
城にある自室で、自らの腹部を擦る。
もうすでに塞がってしまったが、そこにある傷跡を優しく、しかし確かめるように撫でていく。
彼の体の傷は、それだけではない。肩や腕、胸元。腰や大腿に至るまで、無数の傷が彼の表面を覆っている。
「バリー、トサ、ルチマー、レタ……」
彼は傷をなぞる度に、うわ言のように誰かを呼ぶ。
それは戒めの時間だった。自分が犯した罪を忘れないために、そして彼らの存在を背負うために、毎朝その傷を確かめる。
「ルダ、ラニア……」
五年の間で、随分と増えてしまった。これをするために、陽が昇るよりも前に起きることが習慣付いている。
「テリー、トーラ……」
最早慣れ親しんだ友のように、すらすらと言葉が出てくる。そうであれば、どれほど良かっただろう。後悔しなかった日は、なかった。
しばらくして、ルーティンを終えた彼はシャツを羽織り、鎧を着けていく。またも、一日が始まるのだ。
変えたくても、変えられない日々が、続いている。
「トゥワルフ騎士団長! おはようございます!」
「おはようございます。明日は討伐祭です。いつもよりも一層注意を払って、警備にあたるよう心掛けてください。特に、魔獣の扱いについてはくれぐれも気を付けてください」
「はい!」
城内にある訓練場。青空が透き通る中、騎士たちの返事がこだまする。朝は彼らの訓練をして、午後は雑務に追われることが多い。それは今日も同様で、午前の訓練を終えたトゥワルフは執務室へと戻ろうとしていた。
「やあ、体調はどうだい? トゥワルフ」
「……っ! イデルガ様!?」
勇者イデルガ。否、今はこの国を率いる王だ。柔和な笑顔を浮かべる彼と相対して、咄嗟に膝を折り屈もうとするものの、猛烈な眩暈に襲われて額を抑えてしまう。
「大丈夫かい!?」
「は、ええ。……疲れが出たのだと思います。ご心配には、及びません」
そう言っている間にも、視界がぼやけていく。
また、だ。
この感覚は、知っていた。意識が遠のくように薄れていって、気がつけば夕方だったり夜だったり、酷い時は朝陽と共に目を覚ます。
これは、報いなのだと、そう言い聞かせている。これまで攫ってきた下層部の人間たちが自分の意識を乗っ取ろうとしているのだと、そんな非現実的な解釈をしてしまう。
彼らがそれで満足できるのなら、喜んでこの体を手放そう。
自分には、何もできないのだから。
「……酷い顔だ。今日は休むといい」
そっと、イデルガの手が首筋に触れる。まるで女性のような彼の整った顔が、間近に映る。
相変わらず、何を考えているか分からない瞳をしている。
トゥワルフは、その彼の金色の瞳が苦手だった。こちらを見透かしているような、あるいは何にも期待していないような、そんな色も何もない目が、嫌いだ。
「……いえ。お気遣い、感謝しますが。騎士団長として、休むわけにはいきませんから」
彼の手を押しのけて、トゥワルフはよろよろとその場を後にする。意識が朦朧としている中、背後から届く一つの声にも気がつかない。
「――明日は頼むよ、トゥワルフ」
■
書類仕事がひと段落し、トゥワルフはサインを貰うために地下へと訪れていた。これぐらい、部下がやると言ってくれるものの、地下への用事は進んで自らが行くようにしている。
その現状を、いま一度その目に刻むために。
「おお! これは騎士団長様じゃありませんか! 本日は何用で?」
白衣を着た髭面の老人が手を擦りながら近づいてくる。下卑た笑いに、胡散臭い声。トゥワルフは彼を一瞥して、手にした紙を差し出した。
「ラベレさん。あなたのサインが必要なんです」
「わざわざそのためだけに、こんなところに来るなんて大変ですなあ。――おい! 騎士団長様をもてなせ!」
紙を受け取りながら、ラベレは周囲にいる他の騎士に怒号を飛ばす。慌てたように片づけを始める彼らを、トゥワルフは首を横に振ってそれを制止させた。
「構わないでください。すぐに出ていきますから」
その騎士たちに、視線と共に言葉を投げ掛ける。
彼らは元々トゥワルフの部下だった。イデルガが来てからというもの、ラベレの専任の手伝いをさせられている。
地下に、静寂が下りた。
と言っても、人の声がしないというだけで、様々な音がひしめき合っていて、居心地は悪い。
何かを煮詰める音。何者かの唸り声。鎖を鳴らす音。異臭と換気もろくにされないその空間は、決して良い環境とは言えず、常人であればすぐに離れたいと思うだろう。
だがトゥワルフは、離れようとは思わない。
乏しい灯りの下、映る大小さまざまな檻。その中に収容されている人ならざるモノ。トゥワルフはうろつきながら、眠る彼らの姿を映す。
「――っ!」
また、眩暈が襲う。魔獣を見ると、意識がなくなる。地下では何とか抗えているものの、外でその姿を見ると、我を失ったように意識が途絶えてしまう。
よろめきながら、ふと視線を向けたその先。
鎖に繋がれ、眠る一匹の魔獣が目に入った。
大の大人数人が肩車をしても到底届かないであろう巨体。二頭を持つその顔つきは、トゥワルフの見覚えのあるモノだ。
「どうだ、凄いだろう! ワシの自信作だ!」
いつの間にか隣にいたラベレが、声を張り上げてそう言った。
「……ラベレさんは、何故魔獣の研究を?」
ずっと、尋ねたかったことだった。魔獣とは、葬るべき存在。それをわざわざ創り出すなんて、明らかに異常だ。
しかし彼はそんなことを意にも介さず、研究に没頭している。
そんな彼を、トゥワルフは警戒していた。彼さえいなければ、こんなことになっていないのではないか。そんな今となってはどうしようもない、答えばかり求めてしまっていた。
「そりゃあもちろん、ワシの能力を証明するためですよ! ワシを追い出した学会を、後悔させてやりたくてですね!」
そのために、一体誰が犠牲になっているのか。
そんなことのために、使っていい命があっていいはずがない。
どれだけの言葉の濁流がせめぎ合うが、言葉として放つことができない。
「いやあ、イデルガ様がこの国に訪れて来てくれて良かった。足りなかったのは人の命とは、考えもせんかったからな。おかげで、安定して魔獣を創り出せるようになったわい」
満足そうに言う彼を、どれほど殴りつけたいか。震える拳はしかし、言うことを聞かない。
そう。彼を罪に問えたなら、どれだけ楽だったか。
どれだけの人が救われたか。
この怒りや憎悪に駆られる度に、トゥワルフの体はその意志に反して動かない。
まるで誰か別の意志が介在しているかのように、何もできない。
「……この魔獣も、明日お披露目するんでしょうか?」
これ以上、この話を続けると熱くなっていく自我と冷めきっていく体に挟まれておかしくなってしまう。我慢できずに、別の質問を投げ掛けた。
「そうですそうです。魔獣同士を戦わせるイベントがあるんでしょう? そこに目玉としてコイツを連れていく予定です。……イデルガ様も何やら躍起になって人材の確保をしておられたが、この討伐祭に何かをお出ししようとしてるんでしょうかねえ?」
「……すみません、体調が優れないので、これで失礼します」
「おや、それはそれは。お大事にしてください」
最早、ここでやり取りをするのも難しくなってきた。何より、自らが罰する呵責に耐えきれない。
トゥワルフはボロボロの思考を何とか保ちながら、ラベレからサイン付きの紙を受け取って地下から立ち去る。
これ以上は、仕事にはならない。引きずる足で、何とか城の内部に戻ってきた彼は、その足である場所へと向かう。
明日処刑されてしまう、敬愛する元王子のいるその場所へ。
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