魔獣の夢
幼馴染の友達がいた。
下層部で過ごす内に、いつの間にか仲良くなっていた女の子で、名前はテリー。茶色いおさげがよく似合う、いつもニコニコしている子だった。
彼女は初めは気恥ずかしそうにしていたが、他の歳の子も交えて遊ぶ内にどんどん打ち解けてきて、数日もしない頃には元気にはしゃぎ回っていたのを覚えている。
かくれんぼをしたり、追いかけっこをしたり、下層部を走り回っては陽が沈む。そういった日々がしばらく続いた。
「ねえ、トーラは将来の夢ってある?」
「なんだよ、急に」
陽が沈みかけて、少年少女、二つの影が長く重なる。その日はいつも遊んでいる他の子どもたちはおらず、テリーと二人きりの時間を過ごしていた。
カラスの鳴く声が、静かな空間に落ちてくる。
「最近、王様変わったんだよね。たしか、イデルガ……? みたいな名前の人になったって。これからこの国も変わってくれるのかなあ、ってそう思ったんだ」
「なんか、テリーらしくないじゃん」
「えへへ、そうかな?」
別に褒めているわけではなかったが、彼女が笑ってくれるのならばそれで良かった。
またも静寂が下りてしまう。いつもはそんなことはないのだが、今日はどうにも、上手く言葉が出てこなかった。
「……わたしはね、お嫁さんになるのが夢なの」
「へ、お前がお嫁さんだなんて、似合わねえの」
「なによ! そう言うトーラの夢はなんなの?」
そう言われて、困ってしまう。いや、夢はある。あるが、口に出すのが恥ずかしいのだ。それに、間近でテリーの人形のような瞳を向けられるとなおさら言い出しづらい。
「……誰がお前に言うかよ!」
「ええっ!? わたしだけに言わせて、意地悪なんだ!」
「お前が勝手に言ったんだろ~!」
逃げるトーラを捕まえようと追い掛けるテリー。
この時間が、愛おしかった。つまらないことで言い争って、何でもない話で盛り上がっているこの時間を続けたい。
夢、というほどのものではない。ただ目標として、彼女を守れるような存在になりたい。トーラは、そう思っていた。
「今日も元気そうで何よりです」
「あ、トゥワルフ騎士団長!」
ある日、いつものように遊んでいると彼女は駆け出して、その男性に抱き着いた。彼は困ったように笑いその子の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに笑うのだった。
「……今日も来たんだな」
トーラは俄かに膨れ上がる不機嫌を隠そうともせず、茶髪の男性を睨みながら近づいていく。
「ええ。これも騎士団長としての務めですから」
「ふ~ん……」
そんな拒絶的な態度を浴びせても、彼は気後れした様子を見せず、いつも通りに受け答えをする。
トーラもトゥワルフのことは嫌いではなかった。この都市を守ってくれている『メサティフ』の長でありながら、単身でこんな下層部の様子まで見に来てくれるほどに面倒見もいい。それに時折、剣の稽古もつけてくれるので、寧ろ好きな部類ではあった。
ただ、テリーを独り占めするのだけは止めてほしいと思う。
「テリーさんも、ここにいる子どもたちも、今日は忠告をしにここへ来ました」
「忠告?」
「ええ。夜には必ず出歩かないこと。暗くなる前には、家へと帰ること。これを、できる限りの方たちに広めてください。もちろん、君たちも必ずこれを守ってください」
「……分かったわ」
抱き着きながら頷いたテリーの頭を撫でると、彼は本当にそれだけが用事だったかのように背を向けた。
「……頼みましたよ」
いつもと同じような口調で話し遠ざかっていくトゥワルフを、しかしトーラの目にはどこか弱々しく映ってしまっていた。
それを見守るテリーの不安げな表情を見て、トーラの心もまたざわついてしまう。
何でもない今日が続いてほしいという、ただそれだけの願い。
それが今にも崩れそうな日常の中で成り立っているのではないかと、そんな予感が顔を覗かせてくる。
果たして、その次の日の朝。
何食わぬ顔でテリーと顔を合わせることができた。
「おはよう! ……どうしたの? そんなお化けでも見た顔しちゃって?」
「……ん、いや。何でもねえよ」
自分の考えすぎだろう。難しいことを考えすぎて、変な想像をしてしまっていた。
実際、その翌日も彼女とは遊んだし、その次の日も次の日もいつも通りに顔を合わせて。
そして、その翌日には彼女は来なくなった。
翌日も、その翌日も、彼女は顔を見せない。
テリーだけではない。他に一緒に遊んでいた子も、いつもの集合場所に集まらない。家を訪ねても返ってくるのは無音だけ。
嫌な予感が、加速する。
心臓が早鐘を打ち、脳が現実から目を背けようとし始める。体調不良か何かだろうと、楽観的に考えようとしても、心のどこかでそうではないと否定される。
ならば一体、彼女の身に何が起きたのか。
どれだけ考えても、答えは見つからない。
彼女を探す日々がしばらく続いた、ある日の夕暮れ。
トーラは慌てふためきながら駆けていく下層部の住民たちを見つけた。
「なあ、何かあったのか?」
「そこの橋の下で魔獣が出たってよ! 騎士の兄ちゃんたちが対応してくれてっけどよ。お前も早く逃げた方がいいぜ」
「魔獣……」
自然と歩く足が人々の逃げる方向と真逆に向けられていた。
決定的な何かがあったわけではない。ただ少し、確認をしたかったのだ。
下層部に魔獣が出るという、イレギュラーに彼女が関わってしまっているのではないかと。
そんなはず、ないというのに。
「……あれって――」
人気がすっかりなくなったその場所。向かう先からは騎士たちの喧騒が聞こえてくるものの、それとはまた別に、目の前に佇む一匹のそれ。
四つ足で爪は鋭く、牙は肉食獣が持つような鋭利さを有している。
魔獣だ、と。トーラは反射的にそう判断した。
初めて見るその異常に、体が竦んで動かない。
獣が一歩踏み出して、ようやく体の麻痺が解除された。ただ、体が自由に動くようになっても、逃げようとは思わなかった。
力なく、近づいてくるその魔獣の体は傷だらけで、一歩踏み出すごとに血が噴き出して、地面に赤いシミを作っている。
見るからに痛々しいその様子を、しかし彼は目を離せずにいた。
やがて、その魔獣がトーラの眼前にまで迫る。喰らおうと思えばいつでも喰らえる距離。それでもトーラは逃げない。
ただ、その虚ろな瞳を覗き込む。
何故だろうか。この魔獣からは敵意を感じない。それどころか、親近感すら湧いている。魔獣なんて、初めて見たというのに。
「……」
金属が擦れる音が鳴る。魔獣の先、トーラを見据えるように、一人の騎士がそこに立っていた。
「……トゥワルフ、騎士団長?」
そう呼び掛けるも、彼はそれに答えない。影を背にして、静かに彼は近づいてくる。
その表情は、目の前に立たれても陰になっていて読めなかった。怒っているのか泣いているのか。それすらも分からないが、彼はただ一言、その口から言葉を漏らす。
「――すみません」
空気を斬る音が、耳元で鳴った。
視界に飛び散る、赤い水滴は何だろうか。
何故彼は謝ったのだろうか。
この魔獣は、一体何だったのだろうか。
――どうして、自分は、泣いているのだろうか。
斬られて崩れていく魔獣を、トーラは咄嗟に抱き留めた。そうする理由などないはずなのに、体が動いてしまっていた。
「アァ――」
魔獣は、何故かその瞳を優しく瞑った。母親に撫でられながら眠る赤子のように、その傷とは正反対な安らかな顔を、作った。
血が止まらないのに、これからきっと、君は死ぬのに。
どうしてそんな顔ができるのだろう。
その手で、ゴワゴワの毛を撫でてやると、魔獣の呼吸は薄くなって。
ついに、その拍動を止めたことが、伝わってきた。
それが、とある薄暮の一幕。
トーラが眠るその度に、リフレインされる記憶。それから先のことは、あまりよく憶えていない。
「おい、被検体の調子が悪いな! 誰か捨てておけ! ……まったく、ワシの偉大なる実験の邪魔をしおって! 討伐祭は明日じゃぞ!? なんとしても間に合わせるんじゃ!」
また、あの男の声が聞こえてくる。可哀そうに。攫われて、姿を変えられた誰かが犠牲になってしまうのだろう。
檻に入れられて数年。あの男の機嫌次第で死ぬような日々を、送ってきた。自分ではどうすることもできない。ただ被検体として血を取られて、適当に痛めつけられて、それからまた檻に入れられる。
トーラは思う。
あの時、自分の胸で亡くなった魔獣は――
「……」
その答えから、あえて目を背けるように、トーラは今日も目を瞑る。
そしてまた、あの夢を見るのだ。
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