【第七章】
晴れ渡っていた青い空が、ゆるやかな時間を経て次第に淡い紫色から淡い朱色を帯び始める。
城下の町を眺めていた心配げな八戸城主・下北三鷹と家臣ら五人のもとに、ねぶたの灯籠技術を結集した十八間(およそ33メートル)のハリボテ巨大トカゲが完成したとの急ぎの報せが入る。
「殿! 殿! 大トカゲ灯篭がつい先ほど完成致しました!」
「間に合ったべぇか! でかしたべ! でかしたべ!」
三鷹が続けて解説する。
「さぁ! ほんで、じゃ。そのトカゲ灯篭さぁ囮にするべぇな」
家臣の一人・巴郡内が尋ねる。
「お、囮で御座いまするか?」
「うんむ。大トカゲを津軽富士にまで誘き寄せてよぉ、火口に叩っき落っことしてやんだぁべっ!」
活火山・岩木山にガゥジーラを呑み込ませる一大戦略が今、始まろうとしていた。
その名も、『ハリボテ誘惑大作戦』!
八戸城も日蔭は藍色に、陽の当たる壁々は紅黄色に染まってくる。
策士・蓑和又兵衛が作戦の全指揮を執り、皆の尻を叩く。
「総員、配置に付けぇいっ!」
八戸城南部の広大な平地に八つの出陣太鼓の音が鳴り響く。
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドンドン!
「ラッセーラ! ラッセーラ!」
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドンドン!
「ラッセーラッセ! ラッセーラッ!」
「よし! 手綱を引けぃっ!」
又兵衛の号令に六十人の屈強な男達が一斉に綱を掴み、手繰り寄せる。
ギシシ・・・
ギシシ・・・
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドンドン!
「ラッセーラ! ラッセーラ!」
太鼓の鼓動と車輪の軋む音が周囲一帯に重く鳴り響く。
やがて頭頂部からゆっくりと丘の上に現れたのは、日本髪のひとつ伊達兵庫を結った桃色のメス大トカゲねぶた灯篭。
十六の木製特大車輪の巨大山車上部に備え付けられた、竹と紙で組まれたハリボテ灯篭だ。
「おおーッ!」
作戦を見守る数千人の民衆から驚きと期待の大歓声が沸き立つ。
「おお! 又兵衛、見事な出来映えだべぇっ!」
下北三鷹のお褒めの言葉に策士が恐れ入る。
「殿、これも皆、ねぶた師らの手腕故に御座います!」
三鷹が満面の笑みで喜ぶのも無理はない。
このメス大トカゲねぶた灯篭、確かに素晴らしい完成度である。
観衆からも絶賛の嵐。
「見てみぃ!」
「ごっついのう!」
「見事じゃ!」
「色っぺえ!」
「オラの嫁っこに!」
「吾作は物好きだなや」
「(一同笑)がはははは!」
十八間の桃色メス大トカゲは、艶やかな花魁を彷彿とさせた。
大トカゲという異形の生き物を模してはいるが、確かに妙な色気をムンムン放っている。
左右の切れ長の潤んだ眼はやや黒目がちで吸い込まれるような慈しみを湛え、くるりと囲む長い睫毛がそこはかとない色香を漂わせる。
紅をひき、大きく開かれた口には真っ白な牙が並び、時折、火花をちらつかせたかと思うと紅蓮の炎を吐く。
ボアッ!
「お~う!」
観衆から驚きの声。
そして何故か人間の女性を真似て豊満だがほどよい形の乳房が二つと、これを覆い隠す幅広の純白の襷が橫一文字に巻かれている。
左右の両の手はやや斜め下に大きく広げられ、男性を何時でも抱擁し包み込んでくれそうな母性後光(あくまで印象)を放っている。
背鰭から続く長い尾の先には情熱的な真っ赤な花が一輪。
下半身は太股の中部辺りから下が八対の車輪付き台車に取って替わっているが、山車自体にも数種の華やかな花々が飾り付けられている。
嗚呼、まるでお花畑で花を摘み微笑む美少女。
そんな美麗獣なメス大トカゲねぶた灯篭は、内側から数百挺の蝋燭で眩しいほどに光り輝くカラクリが施されているという。
ゴロゴロゴロと重たい車輪の回転音と細やかな地響きを伴い、メス大トカゲがじわり・・・じわり・・・と進行する。
下北三鷹が大声で鼓舞する。
「御岩木様までの辛抱だべ! 気を抜くでねぇべ!」
「おう!」
「おうっ!」
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドンドン!
「ラッセーラッセ! ラッセーラッ!」
一方、大凧によって海に墜落したガゥジーラは・・・。
「アンギャオアアアーッ!」
太平洋を北上したのち、種差海岸から再上陸、全身から海水を滴り落としながら内陸を目指す。
ザッバーッ!
ウミネコが大トカゲに恐れ「ニャアニャア」と鳴き叫び、逃げ惑う人間を追い抜いていく。
浜の千鳥も足元をちょこちょこ歩いて逃げる。
「大トカゲだべ!」
「逃げべ! 逃げべぇな!」
漁村も大混乱。
響き渡る半鐘。
村民の悲鳴。
ガゥジーラは一路、山間部へと突き進む。
「アンギャオーッ!」
城主・下北三鷹は大トカゲ来襲の報を知らされる。
「うんむ! 皆の者、大トカゲが来ただんべっ!」
「方向を変えるぞ! 南南西に進路を取れ!」
又兵衛の号令によりメス大トカゲ灯篭が曳手衆らに引かれ方向を変える。
合わせて観衆も付いて回る。
「迎え撃つべぇっ!」
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドンドン!
「ラッセーラ! ラッセーラ!」
平原の向こう、南側から陽炎に揺れたガゥジーラが夕陽を背に受けて、のっしのっしと現れる。
反対方向の北側からは人間が造ったメス大トカゲ灯篭。
曳手六十人全員が巨大灯篭の後方に急いで移動する。
そのまま地面に置かれた長い六本の丸太を拾い上げ、山車を一斉にぐいっと押す。
「それぃ! 突進じゃ!」
「うおおーっ!」
後ろに隠れた曳手衆が十人ずつ六組に分かれ、丸太で山車を押し出し、前進する。
メス大トカゲが徐々にガゥジーラに近付く。
さぁ! いざ! 大トカゲを迎え撃て!
「誘惑作戦開始だべ!」
ドンド! ドンドン!
ドンド! ドン・・・
太鼓の音が止む。
水平線に太陽が姿を隠す。
薄明に暮れ染まる夕空に、逆光の大トカゲとメス大トカゲ灯篭の二つの藍黒色の影が映える。
「蝋燭に火を入れろ!」
パアッと輝く巨大ねぶた灯篭。
目の前に出現した桃色に発光するメス大トカゲに一瞬ビクッと驚いた態度のガゥジーラ。
落ち着くと明らかに「?」という表情としぐさに変わる。
首を右に、続けて左にかしげ、再び「?」の顔。
距離を置いて覗き込んでいる。
「見るべ! 大トカゲめ! メスを意識しておるべ!」
三鷹が扇子をババッと拡げ大喜びする。
「食い付いてきましたな!」
家臣らも冷や汗混じりの笑顔で成功を喜ぶ。
又兵衛が無言で旗を振り、曳手に前進するよう指示を出す。
山車はゴロゴロゴロとゆっくり大トカゲに接近する。
ぴくっと躊躇ったのち、再びガゥジーラは「?」な表情で頭を掻く。
「ガルル・・・」
だが、その目は次第に不信感を募らせてきたようだ。
上半身をゆっくり左右に傾け、その正体を見極めようとしている様子。
更に確認するかのように、のっしのっしと接近してくる。
ゴロゴロゴロ。
のっしのっし。
ゴロゴロゴロ。
のっしのっし。
二匹の距離は残り二十二間(四十メートル)。
その場に居る者、全ての者が息を呑む。
「ごくり・・・」
と、次の瞬間!
「ンギャッ!」
目の前に立ち塞がるメス大トカゲに対しガゥジーラが!
突然!
短く鳴き、背筋をピンと伸ばしたかと思うと後ろにやや仰け反った直後、大きく口を開け、おもむろに白色火炎を吐き掛けてきた!
ゴッブアーッ!
桃色の巨大灯篭に直撃!
ボゥアッ!
「あぁッ!」
下北三鷹が、蓑和又兵衛が、家臣らが、見守る民衆たちが一斉に声を上げる!
ボァァァァーッ!
ガゥジーラの放った火炎がメス大トカゲ灯篭の下半身に着火、見る見る内に炎に包まれ燃え上がる!
「アンギャギャオアーッ!」
ガゥジーラが天を仰ぎ大声で吠える。
そんな訳で、かわいそうに、メス大トカゲ灯篭は竹の骨組みを残し、いや、それさえも残さず、呆気なく灰となってしまった。
ぷすぷすぷす・・・。
か、悲しい・・・。
人間たちが全員唖然、(えええ・・・)と言葉を失う。
ガゥジーラが同種族を囮に使った怒りからか、或いはハリボテとは言え仲間を失った悲しみからか、かつてない程に大きな咆哮を平原に響かせる。
「アンギャーッス!」
左右の腕をブンブンと振り上げ、どう見ても怒ってる!
「アンギャーッス!」
「大トカゲが怒ったぞ!」
「逃げろーッ!」
「きゃーっ!」
「怖いっ!」
「助けてー!」
雄叫びに恐怖した人間は算を乱し、各々一直線に、戻ってこない八股の吹き戻し笛の如くピロピロ~と逃げ出す。
下北三鷹も必死に逃げながら隣を走る蓑和又兵衛と話す。
「メスに興味が無ぇとは、奴め、トカゲだけに陰間であったべぇか・・・!」
「大トカゲですから、雄ホト陰間と言ったところでしょうか?」
「そ、そちは上手い事を言うべぇのう!」
人間たちは皆、駆け出し逃げ出し、蜘蛛の子を散らしたように完全に姿を掻き消した。
がらんとした夕映えの平原には、哀しげな大トカゲが一匹だけ残る。
やがて薄明は闇に飲まれ、夜の帳が降りる。
ガゥジーラの孤独を象徴するかのように・・・。
「アンギャオアーッ!」
八戸の南約十里、浪打峠の一件宿、二戸玉屋。
その一室に三田井汁之丞と妻トワ、隣室に法螺狗斎が寝泊まりしていた。
亥の刻(二十三時頃)を四半時ばかり過ぎた時、汁之丞はふと目を覚ます。
畳から微かな震動を感じ取ったからだ。
それについ先刻まで賑やかだった虫たちも鳴き止んでいる。
横になったまま息を殺し、周囲を窺う。
ズン・・・ズン・・・。
重い低音が規則的に響く。
「・・・汁之丞殿、起きておいでか?」
襖越しに老絵師が囁く。
「法螺狗斎殿も気付かれたか?」
すっと襖を開く。
「はい。あれは・・・おそらくは足音かと」
耳を澄ませる。
ズン・・・ズン・・・。
汁之丞は隣で眠っている妻を起こす。
「トワ・・・トワ、起きなさい」
「・・・汁之丞様、何事ですか、こんな夜更けに・・・」
「外の様子がおかしいんだ・・・」
トワが慌てて身体を起こす。
ズン・・・ズン・・・。
「あの音は?」
妻が不安そうに尋ねる。
汁之丞が分からないらしく首を細かく横に振る。
続けて、微かな月明かりだけの薄暗い室内を這った夫が窓に手を掛け、そおっと開ける姿が僅かに見える。
「今、灯りを点けます」
「いや、暗い方が良い」
すうっと静かに窓を開ける。
法螺狗斎も傍にやって来る。
外は半月と満天の星空。
無数の星々がきらきらと輝いている。
三人は低音の正体を確かめようと周辺をぐるり見回す。
ズン・・・ズン・・・ドズン・・・!
音が更に近くなる。
ハッ!と三人同時に真っ黒な森の影、左側の鬱蒼と覆い茂った樹々に目が行く。
ズザザザザと樹木を掻き分ける音。
次に夜空の一部分だけ煌めく星々が消え、暗雲が立ち込めたかの如く真っ黒な夜空に変化する。
その真っ黒な夜空に違和感を覚え目を凝らしてよっく凝視する三人。
それは左から右へとゆっくり移動する。
ドズン・・・!
ドズン・・・!
まるで黒い霧がひと塊、地上から湧き出て夜風に浮遊し流されているかのよう。
そう、右を向いた馬頭星雲が下手から上手へと歩いていると表現するのが最も近いだろう。
「あれは・・・大きな何かが動いておりますな」
老絵師が小声で呟き、トワが続ける。
「大きな何かが星空の光を遮っているみたいですね」
「大きな何か・・・。まさか・・・大トカゲ?」
汁之丞が言ったその「まさか」である。
真夜中の森をガゥジーラがゆっくり歩いているのだ。
ドズン・・・!
ドズン・・・!
そのせいで大トカゲが立った箇所だけ地上の人間の目には星の輝きが消えて見えたのである。
大トカゲ自体の大きさは不明だが、汁之丞たちの場所からだと鼻先らしき部分から後頭部と思われる辺りまでは四寸(約十二センチ)ほどの大きさに見える。
そんなに遠くない林道と森の狭間にいるらしい。
ちょっとした物音を立てようものなら直ぐ様こちらに振り向きそうなほどに近い。
宿屋の灯りが何も点いていないのも幸いしたのかも知れない。
足下の人間の存在には気が付いていないのだろう。
息を殺す三人。
その内、大トカゲはドズン・・・ズン・・・とゆっくり歩を進めると樹々を倒し倒し、右の山向こうに消える。
ズン・・・ズン・・・。
足音が遠ざかる。
緊張が解ける。
解けると自分達だけでなく、他の泊まり客たちも今の大トカゲを目撃していたらしく外を見ている。
両隣の客人も「ほっ」と胸を撫で下ろしている。
「はああ~・・・。つ、ついに大トカゲに追い付きましたな、汁之丞殿」
深い溜め息を吐いたあと、法螺狗斎が震えた声色で怯えたように、しかしどこか嬉しそうに三田井夫妻に言う。
「・・・ええ。しかし想像以上にでっかい奴でした・・・」
汁之丞が息を呑む。
「私も、あんなに大きいなんて思いませんでした。とても、怖いです・・・」
トワも震え、恐怖している。
袖で緊張の脂汗を拭う汁之丞だが、しかし深呼吸をひとつふたつして、すっくと立ち上がる。
「それじゃあ大トカゲを追い掛けましょう!」