【第三章】
翌日。
雉鳩の「クゥクゥ」と鳴く声。
朝靄も晴れ切らないうちに出立する三つの人影は汁之丞の一行。
「女将さん、世話になりました」
侍にしては珍しく深々と頭を下げる汁之丞。
「ご丁寧にありがとうございます。また来てくださいましね」
女将に見送られながら朝一番に旅籠をあとにする三人。
「さあ! トワも法螺狗斎殿も張り切って行きましょう! 空飛ぶ猫まであと少しです!」
朝の江戸城、大広間の徳川綱吉の前に食事が運ばれてくる。
「朝一の漁で獲れた魚か。今朝もなかなか旨そうであるな」
「太助なる者が毎朝、この江戸城に届けておるようですじゃ」
爺が笑顔で解説する。
聞いているのかいないのか、上様は箸を進める。
「うむ! 美味い。実に美味い!」
そんな朝食を頂戴する綱吉の元に急ぎの一報が入る。
「お食事時に失礼いたします」
若く男前な小姓の参上。
「かような時分に何事じゃ」
爺が弱い口調で責めるが将軍様は許す。
「よいよい。申せ」
「はい。和歌山の石川原尊道が寄越した使いの者によりますと、鳴門の海から巨大な化け物が出現。海を渡りつつ、この江戸に向かっているとのことです!」
綱吉が小姓をちらりちらりと見ながら焼き魚をむしりながら笑う。
「はっはっは! (もぐもぐ)慌てるでない。あれは(もぐもぐ)余が呼び寄せた(もぐもぐ)エレフアントなる珍獣じゃ(もぐもぐ)」
「え、えれふあんと?」
聞いた事のない単語に理解不能で複雑な面持ちの小姓。
「(もぐもぐ)うむ。(もぐもぐ)案ずるでない。(もぐもぐ)そう伝えよ(もぐもぐ)」
「はい。では、そう伝えます」
伝令係は下がり、爺が微笑む。
「ふふふ。皆すでにエレフアントに驚いておるようですな」
「(もぐもぐ)江戸に来るのが(もぐもぐ)楽しみよのう!(もぐもぐ)」
綱吉も(もぐもぐ)ニッコリ。
朝食に夢中でどこか上の空な将軍様はエレフアントと巨大な大トカゲを混同してしまっているのだ・・・。
静かな海原に絶え間ない波。
見慣れた海の景色である。
だが突然海面が盛り上がり、中から大怪獣ガゥジーラの頭が現れた。
続いて肩、腕、胸・・・。
潜って魚群を襲い食事をしていたのか、或いはただ深みにはまって転けていただけなのか。
再び大トカゲが海上に姿を見せる。
「アンギャオーッ!」
「にゃあああ~」
ここ万来寺の縁側には、背中に羽根飾り(カラス天狗っぽいもの)をくっ付けた白猫が眠っている。
住職・雜然が猫を撫でながら言う。
「猫が空を飛ぶ? そんな馬鹿な事あるわけなかろう! ・・・じゃがな、このタマゾウだけは別じゃ! ひゃっひゃっひゃっ!」
「ええええ・・・」
汁之丞、トワ、法螺狗斎の三人が互いに顔を見合わせ、ガッカリする。
「にゃ~あ~」っと猫。
山道をトボトボと下る三人。
「空飛ぶ猫とはただの飾り立てた猫でござったか・・・」
汁之丞がぼやく。
「飛んでおるのは和尚の強欲ばかりなり、ですな」
法螺狗斎も愚痴る。
「汁之丞様、法螺狗斎様、だからトワは申しました」
トワが落ち込む二人に追い討ちを掛ける。
「いやあ~ 今回はトワ殿に勝ちを譲るしかありますまい、なぁ汁之丞殿」
「今回は・・・ですぞ、法螺狗斎殿。次。次です。次の不思議を探しましょう!」
肩を落としてガッカリ落ち込む汁之丞らの隣を通り過ぎる旅人二人組が歩きながら会話をしている。
「何でも紀伊の海に巨大な化け物が出たとか?」
「わては本物をこの目で見ましたで。あれはアンタ、大トカゲですわ」
「えっ! 何と申されたっ?!」
三田井が大トカゲ話に反応し、旅人に詰め寄る。
「そこの商人殿、その話、詳しく聞かせてくだされ!」
今日も夏日を超えた暑苦しい一日になりそうだ。
紀伊半島は尾鷲城、その庭先。
ジリジリ照り付ける太陽の下、殿を始めに四十名ばかりの役人や大柄な男たちが集まっている。
「石川原殿からの化け物の報せは真であった」
城主・加藤重三郎はその目でガゥジーラをしかと見たのである。
「そこで、だ」
加藤の命により大柄な男たち、すなわち、雷電関を筆頭にお相撲取り二十六力士が急遽召集されたのだ。
「横綱・雷電、及び関取の衆、頭を上げてくれ。実は、そち等に是非とも引き受けてもらいたい頼みがある」
「殿、何なりとお申し付け下さい。どすこい!」
雷電が頭を上げる。
「加藤様、わたしから説明をさせて頂きましょう」
そう話すのは加藤の右隣に座っている策士・榊一慶。
「雷電殿、あなた方、関取衆が陸地に近付く大トカゲに対し、怪力をば見せ付けて威嚇し、追い払って頂きたいのです!」
力士勢が目を丸くし仰天する。
が、その両の眼は即座、闘志の炎に切り替わる。
雷電が力強く答える。
「殿! その役目、我等、二十六力士、お引き受け申す!」
その名も、『力士怪力大作戦』!
ドシン! ドシン!
ドシン! ドシン!
「なんだ? なんだ?」
ドシンドシン!と足音と震動が迫り、道行く人々が思わず振り返る。
ドシン! ドシン!
田舎の街道を縦一列に並んだ関取衆二十六名が褌姿で汗だくになりながら現場に向かって走る。
ドシン! ドシン!
走る。
地響きが唸る。
ドシン! ドシン!
走る。
力士の行進だ。
ガゥジーラが沖合いを悠々歩く姿が見える。
どうやら徐々に陸地に近付いて来ているようだ。
砂浜に到着した力士らは横一列に並び、役人の指示を待つ。
奉行所の役人たちが関取衆の前に重たい米俵を一俵、二人がかりで運んでくる。
次から次へ続々と配られる一俵(約60kg)の米俵。
数分後、力士一人に対し、米俵二俵が足元に配置され準備が整う。
「お願い申す」
若い役人の一人が小声で頼む。
「どすこい」
新米らしき関取が返答する。
大トカゲはザバーッと波飛沫を上げ浅瀬に迫り、今にも砂浜に上陸しそうだ。
緊迫した作戦現場を見に来た大勢の民たちも皆一様に息を飲む。
緊張の空気が辺り一帯に張り詰める。
正直に言うと、役人たちも、力士たちも眼前の大トカゲが怖い。
とてつもなく巨大で未知の動物。
恐怖して当然だ。
だが、流れる汗が両眼に入り染みても瞬きひとつせず化け物に睨みを利かせる。
「自分たちがこの土地を守るのだ!」という強い意志が彼らに勇気を与える。
「平穏を、仲間を、家族を守り抜く!」
ガゥジーラが波打ち際に迫る!
役人が怯えていななく馬をなだめつつ、馬上から大声で合図を出す。
「力士一同! 俵を持て!」
米俵を担ぐ力士勢。
「・・・始めっ!」
関取衆は米俵を抱えると剛力を発奮させる。
四股を踏み俵を肩に担ぐ者、頭上に掲げる者、背から腹へとぐるぐる回す者。
中でも目を見張るのは上半身を捻り三俵も持ち上げる雷電。
「ふん! ふん!」
「どすこい!」
「ふんむっ!」
雷電が叫ぶ!
「見よ! 大トカゲ! これが我らの力ぞ!」
横一列に並んだ総勢二十六力士が人間様の力を大トカゲにまざまざと見せ付ける。
ガゥジーラは小さな生き物(人間)たちが何か威圧的な行動を取っているのは理解している様子だ。
歩みが止まった。
「それぃ! どうじゃ!」
「どすこい! どすこい!」
「化け物め! おいどんらが相手でごんす!」
潮の香りと汗のにおいが周囲に漂う。
関取衆が肉体を奮わせ怪力を誇示する!
更に波状攻撃、役人たち十二名ばかりも腰の刀を抜き、日本舞踊を舞い始めた。
ガゥジーラはそんな人間の行動に威圧され、恐れを成したのか一歩、二歩と引き下がる。
関取衆と侍勢はなおも人間の力を、勇気を、魂を見せ付ける。
ガゥジーラは徐々に波打ち際から離れ、やがて沖合いに戻っていく。
見守っていた観衆から「わぁーっ」と歓声が沸き上がる。
行事が決まり手を告げる。
「波離間投げで人間の勝ちぃ~っ!」
「ごっつぁんです!」
二十六力士が手刀を切り、頭を下げ一礼する。
仁王立ちで大トカゲが去るのを見届ける。
役人も刀を納める。
関取も、侍も、額の汗が眩しい。
涼しい風がさっと吹き、乱れた髷の解れ髪を揺らす。
「やったべ! 化け物が逃げたべ!」
「人間が勝った! 人間が勝った!」
「おとといきやがれ大トカゲ野郎!」
「なんぼのもんじゃい!」
「力士様万歳! 役人様万歳!」
「万歳! 万歳!」
汗だくの関取衆と役人たちにやり遂げた満足と安堵の笑顔が溢れる。
ガゥジーラの巨大な姿は小さくなり、その後、遠く離れた波間に掻き消えるのであった。
汁之丞、駕籠に乗せられたトワ、法螺狗斎の三人は街道を急ぐ。
道行く人々が口々に噂を語り合い騒がしい。
「おい! 何でもすぐそこの海に大トカゲが出たらしい!」
「土産話に見に行ってみるか!」
「関取衆が大トカゲと戦っているそうだ!」
行き交う旅人も噂を聞き付けたようだ。
人々が一方向に駆け、集まっていく。
「近いな。さぁ急ぎましょう!」
法螺狗斎と駕籠屋は汁之丞に急かされる。
「し、汁之丞殿、老体にはキツイ!待ってくだされ! 待ってくだされ! はぁはぁ・・・」